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禅と念仏

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こんにちは。僕はこれまで様々な道(生き方)を求めて、真宗の教えを求道中だったのですが、はっきり言ってこれまでやってきたことは偽りに過ぎなかったと思い始めました。僕は真宗(本願寺派)において信心をいただきましたが、結局疑いは消えないようです。疑いあるままの救いのようですが、どうも僕にはそれが耐えられないようです。とにかく苦しくて仕方ない。
一方、真宗大谷派の方はもとより疑うべき考え方がないので、とても気が楽になり、最終的には「事実のみが救い」だと最近学びました。
真宗大谷派が最善だと思っていたのですが、僕は精神統一をしなければとても精神が不安定になることもあり、どうせなら座禅の方が良いのではないかと考えています。
これは僕の勉強不足かもしれませんが、座禅と念仏の教えは確実に繋がっているところがあるように思うのです。座禅の教えは自力だと言われていますが、僕はそうは思わず、考え方の問題だと思います。念仏だって自分の意思で間違いなく念仏申しますが、考え方としては「阿弥陀仏の力によって念仏させられる」と考え、禅宗でも「座禅が座禅をするのだ」と言っている人もいます。それに、「座禅は悟りを開くことが目的ではなく、座禅そのものが目的」だと聞きました。

他にも禅で言う大悟も、念仏の信心と似てるというか、もう一緒ですよね。「妙好人」の著書で知られる、鈴木大拙先生も念仏の教えと座禅の教えを比べながら大悟を解説していますし、大悟したと言われる一休禅師も煩悩が消えているわけではない。実際にはどういう境地なのかは分かりませんが、おそらく「仏の眼」によって煩悩あるがままでも力強く生きることができたのではないかと理解しています。
これらの事から、僕は禅の道を歩もうと考えています。
念仏の教えと座禅の教えは、ほぼ同じようなものだと考えている僕ですが、実際はどうなのかが知りたいです。よく吟味しながら求道しようと思っていますので、遠慮なく厳しいお言葉でも構いませんので、念仏と座禅の関係性、大悟や信心の類時点や相違点を教えていただけると有難いです。

2020年7月5日 14:38

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

王いま座禅してただまさに念仏すべし。『教行信証』「行巻」

いいねー。
その若さで、よくぞそこまで辿り着いたものだ。
きっと10代というのは嘘だな(笑)

『淨土五會念佛略法事儀讃』(法照・著)
『五会法事讃略抄』(親鸞・著)

この2つの資料を研究し実践するといい。
東西本願寺のみならず、浄土真宗を名乗る宗派、僧侶、学者の中ではすっかり黙殺されてしまった資料です。きっと、あなたの今までに学んだ浄土真宗の常識が、根底から覆されるような発見があるでしょう。

2020年7月5日 18:26
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『黄金の蝶』。

昔々のおはなし。
『黄金の蝶』がいるというので
サイくんとツリくんというふたりの少年がぜひそれを見つけたいと思った。

しかし黄金の蝶は、さなぎからかえるとすぐに光に包まれ消えていってしまうというのでほとんど誰も見たことがない、伝説の蝶と云われているそうな。

ふたりの少年はどうしてもそれが見たい
どういう姿をしているか知りたい

そう思って、それぞれ蝶を探しまわった。

サイくんは、
蝶の姿ばかりを追い求め、「あれも違う、これも違う」と
探し回っては一生を過ごし、
とうとう見つけられず
年を取って死んでしまった。

ツリくんは、1匹芋虫を見つけると、それを持ち帰り
葉っぱをたくさん与えて育て、さなぎになってからもたいせつに見守ってやり
雨の日も風の日も、さなぎを想わない日はなかった。
やがてあくる朝、それがさなぎからかえって立派な蝶となって飛び立っていくのをみた。

まぶしい朝日の光を浴びて飛び立っていく蝶を見届けながら
「その蝶はまるで黄金のように輝いていた」と
ツリくんは思ったそうな。

求道中とのことですが、念仏にしても禅にしても
内容を比べてどの教えが良いかというのは
蝶を見て芋虫を見ないようなものです。

「教え」として接するならば
そう簡単に「どちらの教えが」ということはできません。

ひとりひとり、それぞれの「歩む道」の中でしか「教え」は見えてこない、
なにが「黄金の蝶」かなんて分からないものだからです。

まして類似点や相違点をあげたところで
それは、斉木さんの決心を後押しするものにあらず。
かえって迷いを深めることになろうかと思います。

ですから、
斉木さんが「そうしたい」と思うなら
それが一番たいせつではないですか。
いたってシンプルだと思います。

教えの違い云々を理由にするよりも
斉木さん自身の道であることが一番の理由になると思いますから。

念仏と禅の教えがほぼ同じようなものだとおっしゃいましたね。
もしそうだとするならそれはですね。
芋虫を大事に育てているツリくんの姿そのものが“黄金の蝶”だよ
という意味なんだろうと思いますね。

斉木さん自身が決めた道と歩む姿が
すなわち“黄金の蝶”なんだろうと。

そういう意味なら念仏も禅も変わらないと
私からは言えると思います。

                     南無釈迦牟尼仏 合掌

2020年7月5日 17:46
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Buddhism. knowing what it actually i...

質問者からのお礼

吉井浩文様、回答ありがとうございます。
面白いお話ですね。僕はまるでサイくんですね。なんとなく想像までできる...。
道を求めても求めても納得するものがなく、結局死んでしまう。まさに僕はそのような状況です。かれこれ道を求め始めて6年(24時間365日、道の事しか考えていないくらい...)くらい経ちますが、未だ納得できるような、救いを実感できるような道が見つからない。
吉井様の言う通り、あれこれと考える前に何らかの道を実践した方が良いのでしょうね...。
回答ありがとうございました。

転落院さん、回答ありがとうございます。
僕はどうしようもなく落ちこぼれた学生です。
五会念仏について少し調べてみたのですが、座禅と念仏が合わさったような念仏行らしいですね。興味深い資料です。
後で読もうと思います。
ありがとうございました。

「念仏について」問答一覧

気持ちが変わってきた

こんにちわ いつもお世話になっています。 最近仏様にお祈りして頼っております。念仏を唱えると気持ちが落ち着き支えられています。 苦しい時の神頼み的で申し訳ない気もしますが… でも、何故か?唱えているとお線香の香りがして来て近くにいてくれていると感じます。 そのせいか、気持ちが変わってきて焦りではなく早く仕事に行きたいと思わせて頂くようになりました。 前はそう思っても怖い不安が先にたちなかなか面接行っても不採用にならないかなと思っていた自分がいました。 先日面接に行ってきてまだ、採用にはなっていませんが、手応えがありました。 今は仕事に行けたら嬉しいなと思えます。 体力的に自信はありませんが、当たって砕けろ的な考えです。 自分がどこまでできるか? ダメなら辞めてもいいって考えて気楽にチャレンジしてみようかなんて! 明日の事は誰にもわからないし わからないから希望ももてるし! 明日失敗するってわかっていてもそれをこなさなければならないならば、人間って生きていけない生き物ですよね? 何が起こるかわからないから期待や希望が持てる物だと感じました。例え失敗に終わってもそれはそれでチャレンジした自分がいるわけだから満足できるのかなと。 明日採用の合否がわかります。 祈っていて下さい。

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比喩表現なのか...謎

お世話になっています。僕はこれまで、「お念仏は1日10回程度でいいだろう」と思っていました。何なら、1回でもいいと思っていました。ところが、あるお坊さんから聞いたのですが、「お念仏というのは、瞑想みたいなものだ」と言っていました。ただ手段が違うだけだと。瞑想では、呼吸や身体の感覚に集中することで、「今」に心を置きます。お念仏も瞑想と同じで、お念仏を唱えている時だけ「今」を生きることができると言っていました。自力の計らいというのも、瞑想でいうところの雑念なのでしょう。また、阿弥陀様や如来というのは、この世の大いなる働き(空、因果律)のことだと言っていました。浄土真宗はとにかく比喩表現が多いんだと。これらのことは本当なのでしょうか?もし、本当だとしたら煩悩を自覚する意味が分かりません。また、煩悩即菩提の概念もよく分からなくなってしまいます。僕は今まで本当に浄土(死後の世界)があり、阿弥陀様も実在する「人」だと思っていました。 しかし、内心では疑いを持っていました。南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に往生でき、それが出来なければ地獄行きというのは疑問に思っていましたし、大宇宙の法則がなぜ「この人は浄土、この人は地獄」と判断するのかもおかしいと思っていました。もし、このお坊さんのいう通りなら、色々と納得できる部分がありますが、実際のところはどうなのか気になります。回答お願いします。

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【浄土宗】本当の念仏行って…何?

 いつもお世話になっております。  まず、質問に先立ちまして御礼とお詫びを申し上げます。  この件に大変尽力してくださった、先生方。ありがとうございます。 そして、大変申し訳ございませんでした。  お念仏は続けていますが、あれから菩提寺を含め、浄土系の寺院には お参りが途絶えている状況です。  私自身、自分の信じていた宗の精舎がすさんでいくのを見るのが とてもつらかったのです。私では、止めようがありません。  詳細を説明すると、 ・お坊さん(布教師)の言うことがちょっとおかしい  →他宗の行をけなしたり、念仏以外の行を積むと地獄へ行くなどと平然と  言い放つ、他の仏様をけなす。   「なむあみだぶつ以外は邪教!!」「本山が喧嘩しあってる」 「平等とは何だ」など、不安を煽るようなことを平気で言う。   結果、信徒の9割がその影響を受けて変な方に考えが行ってしまった。  とにかく、私はつらかったです。悲しかった。顔で笑っていても、 腹の底で悲しむ私の姿を、お母さんー阿弥陀様に見せたくない、 そう思って、門から出ました。  本当の念仏とは何?この数年間私は考えました。恋しい「親様」のために。  「苦行に費やす時間を、目の前の苦しむ人たちのために。 来たるべきその後の時は、仏様が確実に手を引いて導いてくれる」  他の神仏の悪口なんか言っちゃいないし、好き勝手どころか、むしろ、 「良心」を前提で動く私たちの背中を優しく見守ってくれる。 「ドジ踏んだって怒らないから安心しな」と。  本当の念仏行って、なんなんでしょうか?

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