念仏について聞きたいです
以前、死と地獄が怖いって事を質問させて頂きました。
私は悪い事をたくさんしてきました。
もちろん反省はしています。後悔もしています。でも、悪い事をたくさんしたので地獄に行くのではと怖いです。
その回答として念仏を唱えると良いと言われました。
それから忘れる時もありますが念仏を唱える事をしています。
ただ疑問に思った事があります。
もちろん反省の気持ちを込めて念仏を唱えてはいます。
もう二度としないという誓いと申し訳ないという反省の気持ちを込めてはいます。
でも、地獄に行きたくないのも本音です。
地獄に行きたくないというやましい気持ちがある中で、反省や誓いを込めて念仏を唱えることは偽善になりますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そもそも、お念仏とは
ご相談読ませていただきました。
私は浄土真宗の僧侶です。回答は浄土真宗の教義としてお答え致しますので他のお坊さんと必ずしも同じものにはならない事をご了承の上にお読み下さい。
結論から申し上げますと、あなたは地獄に堕ちることはございません。
地獄、餓鬼、畜生を三悪道と言います。これは六道の中の最悪の三つの世界です。
残りの三つは、天、人、修羅です。全部合わせて六道と言います。
実はこれ、全て人の心の中で作る世界です。人は誰でも生まれ、老いて、病になり、最後は死にます。これは人間が避けて通れない道です。
避けて通れないならばせめて幸せに過ごしたいと思うのが人情ですよね。
どんなお金持ちでも人は歳を取り、不治の病になる事もあります。
そのような中でより良く生きたいと思うのが人間です。
しかし、悪い事をしたり人の道を踏み外していれば良い人生は送れないと考えるのが人間です。しかし、誰が地獄に行ったと証明出来る人がいるのでしょうか?
先にあげた六道を説明するならば、実は六道は全てこの現世(娑婆世界)の人間の心の移り変わりなのです。
天道と言うのは、誰でも嬉しい事があって浮かれてしまう事がありますよね、有頂天の状態。これを天道に居ると言います。
人間道は、人間らしい穏やな気持ちで過ごしている時。修羅は戦いを意味します、つまり人と争っている状態。畜生は動物です、動物には言葉が有りません、つまり意思疎通が出来ない状態、人の話が耳に入らない事ってありますよね。そう言う状態が畜生道に居ると言います。餓鬼は飢えた鬼です、つまり欲しくて欲しくて欲望が収まらない状態が餓鬼道です。地獄は、苦しみが次から次に湧いてきて常に心が苦しみから逃れられない状態です。
すなわち、地獄を含め全ての感情は私たちの心が決めているのです。
ですから、亡くなってから地獄に堕ちる人など居ないのです。殺人を犯しても地獄には行きません。
何故なら、あなたが信じるか信じないから別として、浄土真宗では阿弥陀如来と言う仏様が念仏する全ての人々を救えないのならば自分は如来にはならない(悟りを開かない)と言う誓いを立てた上で、既に阿弥陀如来がいらっしゃるのだから誓いは成就していると考えるからです。それが、お念仏の功徳です。
念仏できていればOK
難しく考える必要はありません。
念仏できていればOKです。
法然上人は、心を家にたとえて、念仏を心の家の主人としなさいと説かれました。
一方、煩悩による妄想雑念は心にやって来るお客さんです。
地獄を怖がる等のやましい気持ちも心の来客。
来客は必ず過ぎ去り、心は南無阿弥陀仏の主人に戻る。
安心してください。
煩悩や妄想雑念があるならあるままで、そのままのあなたを、阿弥陀仏は極楽浄土に迎えてくださるのです。
質問者からのお礼
コメントありがとうございます。
気持ちも楽になりました!
また、新たな気持ちでお念仏を唱えて行きたいと思います。