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極楽浄土に生まれ変わりたい

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浄土真宗大谷派です。
私は、小学生の時ふざけて、お仏壇の前で南妙法蓮華経と何回かとなえてしまいました。
今となっては反省していますが、こんな私でも南無阿弥陀仏をとなえたら極楽浄土に生まれ変わることができるのでしょうか?
また、浄土真宗の念仏は信じてとなえることが重要だと聞いたことがあります。
実際、どのようにとなえればいいのでしょうか?
極楽浄土に生まれ変わる人は少ないとある記事で見ました。
まだ学生ですが、極楽浄土にいけるか不安で、毎日そのことばかり考えてしまい、勉強に集中できないし、毎日が楽しくないです。

2021年5月22日 20:32

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫です。聞こえてくる念仏が大事、あなたの心ではない。

浄土真宗で言う信というのは、例えば「私は神様を信じるから良い事が起こる」のように、外側に仏を立ててそれを信じるというのとは違うのですね。真宗では信心は大信と言われます。これは仏様から頂く信心で、日常の信とは全く違います。信じられたとか信じられないとかは私たちの「思い」に過ぎません。信じられないという事をくぐりぬけてくる教えなのです。真宗の信心は、私達の心の状況ではなくて、私が私がというエゴ、愚かさをどうしても離れることができないようなこの私そのものに、ずっと遥か昔から呼びかけ続けている声を聞く、それが信心なんです。人間持ちの心ではないのです。

『無量寿経』というお経にこう説かれています。「名声十方に超えん究竟して聞ゆるところなくは、誓う正覚を成らじ」親鸞聖人は仏は「名号を称すること、十声、一声、聞く人」を救うと言っておられます。浄土真宗では念仏は私が称えた念仏というより、聞こえてくることが大事なのだと言われるのです。誰の念仏も、どんな心で申す念仏も同じだと言われるのです。この念仏は正しい、この念仏はダメだなどと言う事はないのです。なぜなら念仏は私の口から出ているけれども、それは仏様の行だからです。私達の心は常に動いていきます。本当に一瞬も悪事や間違ったことをしたり考えない人などいるでしょうか?本当に心をきれいにし悪事を一切しないということができない、そういう人間を悲しみ阿弥陀如来という仏様は、南無阿弥陀仏という念仏を聞かせることによって救うという誓願を建ててくれたのです。心が動揺してしまう者のために…念仏を賜っているのです。もし、心が動じない人、阿弥陀如来を確かに信じている人の称える念仏でしか救われないというのなら、すごく心の狭い仏様になってしまいます。私は浄土真宗の僧侶です。だけど、いまだに阿弥陀如来を信じ切っていると言えないのです。でも、そういう私を救うと説かれている。その教えでしか救われないと私は感じています。「俺は信じて称えている」という人もいます、しかし、その人は「私は信じていると自分が信じている」だけではないでしょうか?私たちの心は不確かなものです。その私たちの姿を念仏は教えてくれるのです。念仏は、道具じゃないのです。大事なのは、そんな愚かな我々の口からどうして念仏が出ているのか、その驚きです。その不思議を考えて行くこと、聞いていく事が大事なのです。

2021年5月22日 21:59
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浄土真宗本願寺派の僧侶です。宗門の学校で5年間「仏教」の授業を担当してきま...

極楽往生

すみっこさま

拙生なりの極楽往生に関する考えにつきましては、下記拙論をご覧頂けましたらと存じます。

極楽往生に関しての考察
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fdf786b2f735761a240f23946285b2f8

その他一連の関連考察
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f2ac67904d60204c87a6af2ac879a06d

かなり難しいことも書いていますが、あくまでも仏教の目的は、悟り・涅槃であり、浄土往生、浄土往詣、浄土導引はあくまでもその目的へと向けた一過程となります。

なぜ浄土、あるいは天へと赴く過程を経なければならないのかは、見仏と授記という悟り・涅槃へ向けた条件を調えるためとなります。

この娑婆世界は、現在、如来が不在であるため、それを補う必要性があるということになります。そのため顕教でも密教でも見仏と授記のために、浄土・天への往生(密教の場合は灌頂)が必須になるところであります。

但し、だからと言っても仏道を進められないわけではありません。

むしろ、浄土や天よりか、この娑婆世界こそ功徳(福徳)を積むに最適な世界であり、悟りへと至るための功徳(福徳)を積まずに浄土や天へ赴くのはもったいないと言えます。

どうしても、浄土や天へと早く行きたいと焦る気持ちは分からなくはありませんが、本当に往生できるのかどうかは慎重に見極めなければならないものとなります。

善根少ない者は極楽往生できないというのは阿弥陀経にも説かれてある基本中の基本であります。

確かなる仏縁と共に帰依、信心、菩提心、そして、智慧と福徳の資糧をできるだけ積むことでこそ、浄土、天も近いものになると考える方が拙生は妥当ではないだろうかと存じます。

とにかく仏教の基本は、悪い行いをなさずに、善い行いに努め励んで、心を清らかに調えていくことであります。

厳密には、阿弥陀如来様が自分を救ってくれるということではなく、実際に心を清らかに調えていくための行い、つまり、自分の善業が、自分を救っていくものとなります。

そのための信、信心とは何か、それを考えていく必要があると拙生は存じております。

川口英俊 合掌

2021年5月23日 9:57
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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

阿弥陀さまは怒ってなんかいませんよ。

これまで
どのようなことをしていたとしても
これから
どのようなことをするとしても
阿弥陀さまがお救いくださって
必ずお浄土に往生できます。

今は信じられなくても
合掌して声に出してお念仏を称えてください。
いずれ阿弥陀さまの存在を
信じられるようになりますから。

「極楽浄土に生まれ変わる人は少ない」
という記事があったとのことですが
極楽浄土に生まれ変わりたくない人は
生まれ変わらないでしょうが
極楽浄土に生まれ変わりたい人は
一人残さず必ずお浄土に往生できます。

2021年5月23日 20:20
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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...

質問者からのお礼

和田さん、ご回答ありがとうございました。どのような人でも南無阿弥陀仏をとなえれば極楽浄土へ導いてくださるのですね!心が軽くなりました。

川口さん、ご回答ありがとうございました。やっぱりいいことをすることは大切なのですね。これからはいい行いを心がけるようにします。

釈さん、ご回答ありがとうございました。聞こえてくるお念仏の方が大事なのですね!念仏をとなえるだけでいいのですね!

「念仏について」問答一覧

禅と念仏

こんにちは。僕はこれまで様々な道(生き方)を求めて、真宗の教えを求道中だったのですが、はっきり言ってこれまでやってきたことは偽りに過ぎなかったと思い始めました。僕は真宗(本願寺派)において信心をいただきましたが、結局疑いは消えないようです。疑いあるままの救いのようですが、どうも僕にはそれが耐えられないようです。とにかく苦しくて仕方ない。 一方、真宗大谷派の方はもとより疑うべき考え方がないので、とても気が楽になり、最終的には「事実のみが救い」だと最近学びました。 真宗大谷派が最善だと思っていたのですが、僕は精神統一をしなければとても精神が不安定になることもあり、どうせなら座禅の方が良いのではないかと考えています。 これは僕の勉強不足かもしれませんが、座禅と念仏の教えは確実に繋がっているところがあるように思うのです。座禅の教えは自力だと言われていますが、僕はそうは思わず、考え方の問題だと思います。念仏だって自分の意思で間違いなく念仏申しますが、考え方としては「阿弥陀仏の力によって念仏させられる」と考え、禅宗でも「座禅が座禅をするのだ」と言っている人もいます。それに、「座禅は悟りを開くことが目的ではなく、座禅そのものが目的」だと聞きました。 他にも禅で言う大悟も、念仏の信心と似てるというか、もう一緒ですよね。「妙好人」の著書で知られる、鈴木大拙先生も念仏の教えと座禅の教えを比べながら大悟を解説していますし、大悟したと言われる一休禅師も煩悩が消えているわけではない。実際にはどういう境地なのかは分かりませんが、おそらく「仏の眼」によって煩悩あるがままでも力強く生きることができたのではないかと理解しています。 これらの事から、僕は禅の道を歩もうと考えています。 念仏の教えと座禅の教えは、ほぼ同じようなものだと考えている僕ですが、実際はどうなのかが知りたいです。よく吟味しながら求道しようと思っていますので、遠慮なく厳しいお言葉でも構いませんので、念仏と座禅の関係性、大悟や信心の類時点や相違点を教えていただけると有難いです。

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気持ちが変わってきた

こんにちわ いつもお世話になっています。 最近仏様にお祈りして頼っております。念仏を唱えると気持ちが落ち着き支えられています。 苦しい時の神頼み的で申し訳ない気もしますが… でも、何故か?唱えているとお線香の香りがして来て近くにいてくれていると感じます。 そのせいか、気持ちが変わってきて焦りではなく早く仕事に行きたいと思わせて頂くようになりました。 前はそう思っても怖い不安が先にたちなかなか面接行っても不採用にならないかなと思っていた自分がいました。 先日面接に行ってきてまだ、採用にはなっていませんが、手応えがありました。 今は仕事に行けたら嬉しいなと思えます。 体力的に自信はありませんが、当たって砕けろ的な考えです。 自分がどこまでできるか? ダメなら辞めてもいいって考えて気楽にチャレンジしてみようかなんて! 明日の事は誰にもわからないし わからないから希望ももてるし! 明日失敗するってわかっていてもそれをこなさなければならないならば、人間って生きていけない生き物ですよね? 何が起こるかわからないから期待や希望が持てる物だと感じました。例え失敗に終わってもそれはそれでチャレンジした自分がいるわけだから満足できるのかなと。 明日採用の合否がわかります。 祈っていて下さい。

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比喩表現なのか...謎

お世話になっています。僕はこれまで、「お念仏は1日10回程度でいいだろう」と思っていました。何なら、1回でもいいと思っていました。ところが、あるお坊さんから聞いたのですが、「お念仏というのは、瞑想みたいなものだ」と言っていました。ただ手段が違うだけだと。瞑想では、呼吸や身体の感覚に集中することで、「今」に心を置きます。お念仏も瞑想と同じで、お念仏を唱えている時だけ「今」を生きることができると言っていました。自力の計らいというのも、瞑想でいうところの雑念なのでしょう。また、阿弥陀様や如来というのは、この世の大いなる働き(空、因果律)のことだと言っていました。浄土真宗はとにかく比喩表現が多いんだと。これらのことは本当なのでしょうか?もし、本当だとしたら煩悩を自覚する意味が分かりません。また、煩悩即菩提の概念もよく分からなくなってしまいます。僕は今まで本当に浄土(死後の世界)があり、阿弥陀様も実在する「人」だと思っていました。 しかし、内心では疑いを持っていました。南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に往生でき、それが出来なければ地獄行きというのは疑問に思っていましたし、大宇宙の法則がなぜ「この人は浄土、この人は地獄」と判断するのかもおかしいと思っていました。もし、このお坊さんのいう通りなら、色々と納得できる部分がありますが、実際のところはどうなのか気になります。回答お願いします。

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【浄土宗】本当の念仏行って…何?

 いつもお世話になっております。  まず、質問に先立ちまして御礼とお詫びを申し上げます。  この件に大変尽力してくださった、先生方。ありがとうございます。 そして、大変申し訳ございませんでした。  お念仏は続けていますが、あれから菩提寺を含め、浄土系の寺院には お参りが途絶えている状況です。  私自身、自分の信じていた宗の精舎がすさんでいくのを見るのが とてもつらかったのです。私では、止めようがありません。  詳細を説明すると、 ・お坊さん(布教師)の言うことがちょっとおかしい  →他宗の行をけなしたり、念仏以外の行を積むと地獄へ行くなどと平然と  言い放つ、他の仏様をけなす。   「なむあみだぶつ以外は邪教!!」「本山が喧嘩しあってる」 「平等とは何だ」など、不安を煽るようなことを平気で言う。   結果、信徒の9割がその影響を受けて変な方に考えが行ってしまった。  とにかく、私はつらかったです。悲しかった。顔で笑っていても、 腹の底で悲しむ私の姿を、お母さんー阿弥陀様に見せたくない、 そう思って、門から出ました。  本当の念仏とは何?この数年間私は考えました。恋しい「親様」のために。  「苦行に費やす時間を、目の前の苦しむ人たちのために。 来たるべきその後の時は、仏様が確実に手を引いて導いてくれる」  他の神仏の悪口なんか言っちゃいないし、好き勝手どころか、むしろ、 「良心」を前提で動く私たちの背中を優しく見守ってくれる。 「ドジ踏んだって怒らないから安心しな」と。  本当の念仏行って、なんなんでしょうか?

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