罪悪感を受け入れ生きていくには
はじめまして、長年悩み続けていることがあるのですが周りの人に絶対に話せないことなのでこちらで話させていただきます。
私が中学生の時に私の不注意で元気だった祖母と祖父が認知症、さらに寝たきりになったあと亡くなってしまいました。それだけでも私は一生償えない罪を犯したのにさらに認知症の祖母のお世話を手伝っている時に泣いてしまい祖母に謝らせてしまったり、祖父も祖母も二人揃うと喧嘩ばかりでどちらかが認知症になってもそれは変わらず、ふとした瞬間に祖母と祖父が亡くなった後の平穏な生活を想像してしまう時がありました。最低です。家庭環境はいいとは言えませんでしたがみんな私を愛してくれていたので大好きでした。それなのにこのような仕打ちをしてしまって悔やんでも悔やみきれません。
最近は前よりは前向きに生きられていると思うのですが、罪悪感から自分が幸せになることを遠ざけてしまいます。幸せになりたいという気持ちとあんなに酷いことをしていて何が幸せになりたいだ、と自分のことを激しく憎んでいる気持ちとがあります。幸い人にはとても恵まれているのでその人たちや家族、周りの人のためにという気持ちでなんとか生きていますがふとした瞬間にこんな自分であと何十年もひとりで生きていかないと思うと絶望してしまいます。好きな人ができて付き合えそうになっても罪悪感から付き合えずに好きでもない人に安心感を求めてしょうもない関係を続けています。周りの人たちは優しいのでこんなことを話すと悲しい気持ちにさせてしまうと思うと話せません。
こんな罪を忘れて幸せになりたいなどとおこがましいことは考えていませんがあと少しだけ心が楽になり、こんな私のことを愛してくれている家族のためにひとりでも強く生きていけるようになりたいです。長文失礼いたしました。
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今日で終わります。
そらさんが、罪悪感と思う事は、おじいさん、おばあさんからみれば、全くの見当違いだよ。と思っておられます。まずは、そのことを最初に伝えておきます。
さて、認知症の祖父母の看護をされたこと喜んでおられたと思います。そらさんの不注意とありますが、それはご本人の問題ですから、全く関係ありませんので、そのことも気にしないでください。
又、その後の経過を経て亡くなられたことも、それは自然のことであり、誰でも死を迎えるということです。
又、おばあさんに謝るようなことを言ったということも、おばあさんからみれば可愛い孫に面倒をみてもらうことや、迷惑を掛けていることにも十分理解しておられるので気にしないことです。
それ以上に、冒頭でお話したように、罪悪感を抱くことはひとつもありません。
たしかに、大変な状況の中で、いなくなればと思ったかもしれませんが、それは誰しも思う事です。それだけ自分たちのペースが乱れるからです。でも、それは一瞬のことであって、ゆえにそれ以上に優しい接することも出来たのです。
罪悪感は自ら作り上げるものです。誰かに言われた訳ではありません。
ゆえに、この瞬間に消せるものでもあるのです。
おじいさん、おばあさんは、そらさんの優しい心を認めています。それなのに、自分で自分を追い詰めている、どんどんと閉鎖的になっている、しかもそれが自分たちのせいである。その状況を悲しんでいます。
もう、今日で罪悪感は終わりましょう。
本来のそらさんの元気と優しさと笑顔で、楽しんで人生を送ってください。
それが一番の祖父母への感謝であり供養です。