信心決定を頂くためにはどうすれば?
最近仏教に興味を持ちました。
浄土真宗では、南無阿弥陀仏と称えれば救われるというのを知りいろいろ調べてみました。
阿弥陀仏の生起本末を疑う事なくそのまま受け入れお救い頂ければ浄土へ成仏を叶えていただける。
これは凄い!と思い早速自分もと思いましたが、さっぱり上手くいきません。
どうやら疑蓋というものがある為に阿弥陀仏の本願を聞き入れる事ができないようです。
ところがその疑蓋は自力で外す事はできず、阿弥陀仏に外して頂くとの事でした。
どうやって外して頂くかといえば、阿弥陀仏の生起本末をよく聞き受け入れる。
でも、疑蓋がある為に聞き入れられない。
堂々巡りです。
疑蓋とかの自覚は全く無いし、知覚出来るようなものでも無いのでしょう。
法話などは一度も聞いた事は無くネットで調べてるだけなので、いまいち理解が足りないのかもしれません。
法話を聞きに伺う時間の余裕は、全く無いのですが、ネットで調べているだけでは、疑いが晴れることは無いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「やってみなくちゃわからない」NHK 大科学実験
"ネットで調べているだけでは、疑いが晴れることは無いのでしょうか?"
はい、まず不可能です。
たとえば、30年間もネットや書籍を読み込み、オリンピックで金メダルを取った事のある名選手たちの講演会にも足繁く通って、スイミングの研究をした人がいるとします。しかし、彼はちっとも水泳は上達せず、身を以て水泳の楽しさ、素晴らしさ、奥深さを知ることができませんでした。どうしてだと思いますか?
彼は、プールに一度も入ったことがないんです。
同様に、もしあなたが、何十年もお寺に通い法話に耳を傾け、あらゆる資料に目を通し、そこらへんの坊さんなんか足元にも及ばぬほどの広い知識を得たとしても、それは単なる知識教養であって【信心獲得】【信心決定】とはまるで別物です。
"信心決定を頂くためには"
阿弥陀仏にすくい取られて極楽浄土に入れてもらうんだと思って、「なむあみだぶつ」と愚直に称える生活を送るしかありません。