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父は今、笑顔でいますか?

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はじめまして。いつも拝見させていただいております。乱雑な文章ですが、どうかよろしくお願いします。

今年の4月に父を亡くしました。人の住まいを作る、立派な父でした。
2ヶ月経った今も、ふと涙が止まらなくなります。

約1年前に病気がわかったときから、父はなにを考え、一日一日を過ごしたのでしょうか。
闘病中は家族みんな希望を捨てず、可能性を信じて父を励まし続けました。父はそれに応えるように、弱音を一切吐かず治療を頑張り、体が以前のように動かなくなっても“生きる”という意思を貫きました。私たち家族の為だったと思います。

亡くなる1週間ほど前に、私が「父さんは絶対大丈夫。絶対治る。」と言ったとき、父は「嬉しい。」と言って泣きました。父がこんなにも泣く姿を初めて見ました。

でももしかしたら、父は、“自分はこの先どうなるんだろう“という不安に寄り添ってほしかったかもしれないと、今更答えの出ないようなことばかり考えてしまいます。私がポジティブな言葉ばかりかけ続けていたのは、ただただ自分自身の為で、私が父の病気を受け入れられず、現実から目を背けていたのではないかと思います。
ときには不安を共有し、泣きたいときには一緒に泣いてほしかったのではないでしょうか。

自宅で明け方に亡くなった父は、家族に「おやすみ。」を言って、みんなが寝静まってから、眠ったまま逝ってしまいました。苦しんだ形跡もなく、寝入るときのままの表情だったので、本当に穏やかに眠ったのだと思います。父の最後が安らかで良かった、生前積んできた徳がこうして人生を締めくくったのだと思いました。

しかし私たち家族は旅立つ間際に手を握ることも、今まで大切に育ててくれた感謝を伝えることもできませんでした。
お医者さんや看護師さんは、“人は死に方を選ぶ”とか、“お父さんは自分で決めて、この時間に逝ったのだ”と言ってくれました。確かにこの言葉にどれだけ救われたかわかりません。
でも、私が眠らずに手を握っていれば…逐一様子を見ていれば…とどうしても後悔が消えません。

まだまだこの世でやりたいことが沢山あったと思います。でも強い人でしたので、自分の生きる世界が変わったことなど早々に受け入れて、新しい毎日を過ごしているのではないかとも思います。

父は今、笑顔で私たちを見守ってくれていますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

きっと笑顔でこちらを向いていますよ

31 様 遅ればせながら、お父様のお悔やみを申し上げますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝

お父様は、亡くなる時に心地よくいかれたのですね。それはご家族の愛情を感じられたのですね。

伝えきれなかったこと、後悔する事、お別れの時にはそんな思いがついてきます。
遺された者は、何かしらそのような想いを持つものです。
それを手がかりとして、お父様の遺影や位牌などに語りかけていいんですよ。

お別れの時の悲しみはその時のことですが、お父様のとの繋がりは、ずーっと前からあったのですから、思い出せるだけ、ありったけ思い出して、自分の気持ちを伝えていきましょう。自分の立場とお父様の立場にも立ってみて、両方の感情を味わうように、思い出しをしてみてください。
きっと、お父様からあたたかなメッセージが返ってきますよ。
感謝の言葉「ありがとう」でしょうか「優しいね、見守っているよ」でしょうか
「安心して、大丈夫だよ」でしょうか、きっと笑顔でこちらを向いていますよ。

どうしても不安なら、グリーフケアを受けてみてください。グリーフケアの専門のカウンセラーや傾聴をする僧侶がいますので、お近くかで探すか、ネットで探して、悲しい気持ちを聴いてもらうことも、必要かもしれません。
一人で全てを受け止めようとせずに、色々頼ってみてください。
その中で、温かさや、優しさ、思いやりを感じたら、それが癒しになっていくでしょう。そうするとさらにお父様は安心して笑顔に成ると思います。
やがて「自分の人生を生きてね」とメッセージが聞こえてくるかもしれませんね。
一礼

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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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仏さまとして寄り添ってくださっています。

亡くなった方は
仏さまが成仏させてくださいます。
そして
ずっと極楽浄土に居るのでなく
有縁の方々を導くため
この娑婆に戻って
支えてくださっています。

我らからは
その存在を確認できませんが
あなたのその想いはもう
届いていますよ。

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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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質問者からのお礼

ご多忙の中お返事いただき、ありがとうございます。
たしかに今は父が旅立ったことを受け入れて毎日を生きることで精一杯ですが、少しずつ、父と過ごした日々を振り返り、元気に笑う姿を思い出して感謝を伝えていけたらと思います。

今は父をすぐ近くに感じられ、私たちを見守ってくれている気がします。なにか語りかけたときは、隣で聴いてくれているように思えます。
父からの言葉を聞き逃さないよう、一日一日を温かく穏やかな気持ちで生きていきます。

和田様 お忙しい中お返事いただき、ありがとうございます。
またいつか父と家族になれるように、周りとの縁を大切にしながら生きていこうと思いました。

「亡くなった・死んだ人に会いたい」問答一覧

母が恋しい

3年前に亡くなった母に会いたくて仕方がないです。 当時の私は高校3年生の受験真っ只中で、母の死にうまく向き合えず、心の整理がつかないまま大学で3年を過ごしてきました。 就職活動にあたり、自分の将来を思い描くとき、無意識に母がいる姿を想像してしまい、それが叶わないことに気付くと辛いです。 また、最近は毎日夢で母の姿をみます。夢から覚めてすぐは、やっぱり実家はいいな、久しぶりに帰ろうか、母に会いに行こうか、と考えるのですが、しばらくしてもう母はこの世にいないことに気づいて毎日泣いたり吐いたりしています。 この3年間、実家に帰る機会は何回もあったものの、仏壇の前に座って母の遺影と位牌をみて拝むことがほとんどできません。なぜできないのか自分でもわかりません。怖いのかもしれないし、認めたくないのかもしれません。自分でもよくわからず、苦しいです。線香もあげてやらない娘で本当に申し訳ないです。 夢で全く会わなかった時期はあんなに夢に出て欲しいと思っていたのに、実際に夢に見るようになってからは辛いだの苦しいだの言って酷い娘です。でも母に会いたくて仕方ないです。もう意味がわかりません。苦しいです。

有り難し有り難し 6
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故人に会いたい、話したい

親しい仲だった友人弟を亡くして暫く経ちました。 以前質問をさせていただいた時からは、少しだけ気持ちが落ち着き、日常も取り戻しています。 そこで様々な疑問や思いが出てきました為、また聞いて教えていただけたらと思います。 まず、故人とはまたいつか再会出来ると言っていただけましたが、その再会とはどの様なものなのでしょうか。 魂同士で見た目は持たないのか、それとも最後に会った時の肉体の見た目(お互い20代、今の姿)なのか… 私が彼の訃報を受け、お参りに行かせていただいた時には既にお骨の状態でした。その事からか、未だに全く信じられなかったり、肉体への執着心が消えません。堪らなく会いたくなります。 また、無知なので何を言っているのかと思われるかもしれませんが、死後の動きは宗派によって異なるのでしょうか?宗派の把握はしておりませんが、私と彼の家の宗派が違う場合、いつかの再会は叶わない、という事はあるのでしょうか…? そして、彼に聞きたい事が沢山ありますが、特に聞きたい事として、私の事をどう思ってくれていたのか、私とどうなりたかったのか。 現在恋人がいる為、あまり聞くことでは無いと思いますが…私を想ってくれている様な発言を何度か受けており、けれどハッキリした言葉ではなかった為、いつか再会した時に教えて欲しいと思っています。会話は、出来るのでしょうか。 彼に会いたくなってLINEのやり取りやSNSのアカウント、前に一緒に遊んだ時の写真や動画を見ては、彼が居ないことが理解できない気持ちと、もう会えないのか…と強烈な寂しさで苦しんでいます。 記憶力がよくなく、昔遊んだ時の記憶はおろか、数年ぶりに再開した今年の春、初めて一緒にお酒を飲んでとても楽しい時間を過ごしましたが、その記憶さえも薄れています。 彼とのわずかな思い出を忘れる事が、今は1番の恐怖で辛いことです。介護職をしているので、何もかも分からなくなる認知症には絶対になりたくない、記憶があるうちに絶対死にたいと思っています。自死は選びませんが、どうか早くに、とにかく早く人生の幕が閉じないかと願っています。若いうちに彼に会いに行きたいとも。 めちゃくちゃな文章で分かりにくく申し訳ありませんが、また回答をお願いいたします。

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夫の包容力が恋しくてたまりません

夫を亡くしてもう少しで5ヶ月です。 共に過ごした12年間…喧嘩もたくさんしました。それでもなんだかんだ言いながら、私がたっぷり甘えていたのでしょう。仲良くやれていたと思います。 いまは一人で、二人の男の子を育てながら生きてます。というより、子どもが生きる理由です。 こどもの前では泣かないようにと思ってましたが、やっぱり無理です。それと、お盆に入って祭壇が設置されてから色々なことを思い出しては涙し、その都度子どもたちが慰めてくれます。駄目な母親です… 子どもたちを守らなきゃ!育てなきゃ!でいっぱいいっぱい。夫が生きてたときに子育てや色々なことに悩んだときは、『そんなに頑張らなくていいよ』と沢山抱きしめてくれました。 夫の大きな体で、包んでもらったぬくもりが忘れられません。寂しくてたまりません。寂しくなったら子どもたちを抱きしめてますが… きっと甘えなのでしょう。女性としての本能なのでしょう…大きな体で包んでもらいたい…そんな不謹慎な気持ちが浮かび、自己嫌悪です。人間として普通なのでしょうか。それとも、自分が単なる欲求不満なのでしょうか。 今後誰かと恋愛したりとかそんなことは、全く考えてませんが、この欲求がどうしたらおさまるのかわかりません…。もう一度会いたいです。

有り難し有り難し 5
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ