人間の悟り(覚り)とは
こんばんは。僕は仏教を学んでいる者(迷走中)です。
僕は真宗を中心としていままで学んできましたが、最近では曹洞宗や黄檗宗、臨済宗など禅宗にも興味を持っています。
そこで大きな疑問が湧きました。悟り(真宗では覚り)についてです。
悟りは超訳すると、「煩悩が消えて物事をあるがまま観ることができる境地(無分別智)」ですよね。
曹洞宗の道元禅師は、正法眼蔵に「唯仏与仏」という言葉を残していますが、意味は「悟りの境地は仏にしか分からず、人間には分からないものだ」と理解しています。
僕が間違っていなければですが、道元禅師は悟り(一体どんな意味の悟りなのか定かではありませんが)の境地に至った人だと理解しています。黄檗宗の隠元も悟ったと理解しています。
真宗では「煩悩具足」と言われ、「人間は煩悩そのもの。煩悩は消えない」という前提で説かれています。ですが、真宗でも「覚り」という表現をする。
人間には悟りを開けない。これは、結構理屈で考えても分かりますよね。煩悩は消えないし、誰でも人間の本性(自己中心性)は無くならない。
歴史上では、仏陀(ゴータマ)が悟りに到達したみたいですが、仏陀に関してはそもそも人間ではなく仏なので悟ることができたのではないかと思います。
ところが、人間である道元や隠元、良寛など悟りに到達した人物が存在するみたいです。
これはどういうことでしょうか?いわゆる「生死即涅槃」や「煩悩即菩提」に到達したということですか?
しかし、基本的には煩悩が消えた状態の悟りを目指すべきですよね。だからこそ、浄土系の仏教では死後の成仏に救いを求めるはずです。
仏教の目的とも言える「悟り」に到達できないという問題は、仏教の存在意義も問われる問題だと思います。
仏陀の悟りと禅宗や真宗などの悟り(覚り)とは、どう違うのか分かりやすく回答していただけると有難いです。
HSP気質で生きづらく、人目を気にするあまりすごく不器用な人間です。 しかしデメリットばかりではなく、生きづらいからこそ、生きづらさを解消するために色んな本に手を出しましたし、仏教に出会うことができました。 人生において様々な悩み事があり、お坊さんのご意見やアドバイスをいただきたいと思いました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悟りのことなら
スマナサーラ長老の無常とか苦とか無我に関するたくさんの書物か、とりあえず藤本晃の『悟りの四つのステージ』(サンガ)を読むと良いと思います。悟りの本来の意味が分かると思います。
日本では悟りやそこに至る正しい修行法がどれだけ伝わったか分かりにくい上に、みんな、各自の言い方で語るので判断しにくいです。道元については、『日本仏教学会年報』84号(法蔵館)に「日本仏教に悟りはあるか?」という題で藤本晃が書いています。親鸞については、藤本晃の『浄土真宗は仏教なのか?』(サンガ)が一部で有名です。
煩悩即菩提などの言い方は天台本覚思想で、仏教ではなく、ヒンドゥ教というか世界の普通の宗教の考え方が仏教にまぎれた可能性があります。と、『サンガジャパン』第34号(サンガ)に藤本晃が書きました。袴谷憲昭は『本覚思想批判』(大蔵出版)を書いています。ここで上げた本はいずれも市販されていますが、十代には値が張るでしょうから、図書館とかで探すと良いと思います。
仏教は、他のどの分野よりも本物と眉唾物が混ざっています。正しく学びたければ、図書館に行って、あるいはyoutubeをあさって、より正確な本や説法を自分の嗅覚で探して、正しく語られている知識を身に着けるしかありません。私はスマナサーラ長老以外のものはお勧めしませんが、それも私の偏見なので、ご自分で挑戦してみてください。
なお、普通の人間シッダールタが悟ってブッダになったので、「仏陀に関してはそもそも人間ではなく仏なので悟ることができたのではないかと思います。」は自己矛盾な表現になっています。
正法眼蔵のくだりですが、「仏」とは悟った人の事をいいます。仏法は、悟った人にしかわからない、という事を言っているのだと思います。人は悟れないなどとは言っていません。詳しくは「唯仏与仏」の出てきた「諸法実相」の巻をよく読んでください。
質問者からのお礼
藤原様、回答ありがとうございます。スマナサーラ長老、ですね。僕は一時期テーラワーダ仏教にも関心があったのでご存知です。たしかに悟りに関してはスマナサーラ長老が詳しく解説していますね。回答ありがとうございました。
光輝様、回答ありがとうございます。悟りの定義にもよりますよね。もし「生死即涅槃」ならば人間にも可能でしょうが、煩悩が消滅した悟りなら人間には不可能かと思います。禅宗の悟りはどういうものなのかは分かりませんが、「唯仏与仏」は仏陀の悟りの境地だと仮定して理解していました。
回答ありがとうございました。