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人間の悟り(覚り)とは

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有り難し有り難し 16

こんばんは。僕は仏教を学んでいる者(迷走中)です。
僕は真宗を中心としていままで学んできましたが、最近では曹洞宗や黄檗宗、臨済宗など禅宗にも興味を持っています。
そこで大きな疑問が湧きました。悟り(真宗では覚り)についてです。
悟りは超訳すると、「煩悩が消えて物事をあるがまま観ることができる境地(無分別智)」ですよね。

曹洞宗の道元禅師は、正法眼蔵に「唯仏与仏」という言葉を残していますが、意味は「悟りの境地は仏にしか分からず、人間には分からないものだ」と理解しています。
僕が間違っていなければですが、道元禅師は悟り(一体どんな意味の悟りなのか定かではありませんが)の境地に至った人だと理解しています。黄檗宗の隠元も悟ったと理解しています。

真宗では「煩悩具足」と言われ、「人間は煩悩そのもの。煩悩は消えない」という前提で説かれています。ですが、真宗でも「覚り」という表現をする。

人間には悟りを開けない。これは、結構理屈で考えても分かりますよね。煩悩は消えないし、誰でも人間の本性(自己中心性)は無くならない。
歴史上では、仏陀(ゴータマ)が悟りに到達したみたいですが、仏陀に関してはそもそも人間ではなく仏なので悟ることができたのではないかと思います。
ところが、人間である道元や隠元、良寛など悟りに到達した人物が存在するみたいです。
これはどういうことでしょうか?いわゆる「生死即涅槃」や「煩悩即菩提」に到達したということですか?
しかし、基本的には煩悩が消えた状態の悟りを目指すべきですよね。だからこそ、浄土系の仏教では死後の成仏に救いを求めるはずです。

仏教の目的とも言える「悟り」に到達できないという問題は、仏教の存在意義も問われる問題だと思います。

仏陀の悟りと禅宗や真宗などの悟り(覚り)とは、どう違うのか分かりやすく回答していただけると有難いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悟りのことなら

スマナサーラ長老の無常とか苦とか無我に関するたくさんの書物か、とりあえず藤本晃の『悟りの四つのステージ』(サンガ)を読むと良いと思います。悟りの本来の意味が分かると思います。
 日本では悟りやそこに至る正しい修行法がどれだけ伝わったか分かりにくい上に、みんな、各自の言い方で語るので判断しにくいです。道元については、『日本仏教学会年報』84号(法蔵館)に「日本仏教に悟りはあるか?」という題で藤本晃が書いています。親鸞については、藤本晃の『浄土真宗は仏教なのか?』(サンガ)が一部で有名です。
 煩悩即菩提などの言い方は天台本覚思想で、仏教ではなく、ヒンドゥ教というか世界の普通の宗教の考え方が仏教にまぎれた可能性があります。と、『サンガジャパン』第34号(サンガ)に藤本晃が書きました。袴谷憲昭は『本覚思想批判』(大蔵出版)を書いています。ここで上げた本はいずれも市販されていますが、十代には値が張るでしょうから、図書館とかで探すと良いと思います。
 仏教は、他のどの分野よりも本物と眉唾物が混ざっています。正しく学びたければ、図書館に行って、あるいはyoutubeをあさって、より正確な本や説法を自分の嗅覚で探して、正しく語られている知識を身に着けるしかありません。私はスマナサーラ長老以外のものはお勧めしませんが、それも私の偏見なので、ご自分で挑戦してみてください。
 なお、普通の人間シッダールタが悟ってブッダになったので、「仏陀に関してはそもそも人間ではなく仏なので悟ることができたのではないかと思います。」は自己矛盾な表現になっています。

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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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正法眼蔵のくだりですが、「仏」とは悟った人の事をいいます。仏法は、悟った人にしかわからない、という事を言っているのだと思います。人は悟れないなどとは言っていません。詳しくは「唯仏与仏」の出てきた「諸法実相」の巻をよく読んでください。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

藤原様、回答ありがとうございます。スマナサーラ長老、ですね。僕は一時期テーラワーダ仏教にも関心があったのでご存知です。たしかに悟りに関してはスマナサーラ長老が詳しく解説していますね。回答ありがとうございました。

光輝様、回答ありがとうございます。悟りの定義にもよりますよね。もし「生死即涅槃」ならば人間にも可能でしょうが、煩悩が消滅した悟りなら人間には不可能かと思います。禅宗の悟りはどういうものなのかは分かりませんが、「唯仏与仏」は仏陀の悟りの境地だと仮定して理解していました。
回答ありがとうございました。

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

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悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ