いなくなりたい。希望がもてません。
おかしな相談ですみません。既婚、中高生の子供がいます。
一昨年に父が亡くなり、母は介護施設に入居しています。兄弟は遠方なので、誰もいない実家の維持と親関係の色々なことは、私が一手に引き受けてきました。兄弟との金銭的なトラブルはなく、仲は良い方だと思います。
ただ、近くに住んでいるのが私だけなので、週に1〜2回、50キロ離れた実家の様子を見に行くことと、介護施設の母のこまごましたことは私がやっています。
今はコロナの影響で、母とは電話で話すのみ、洗濯物や小物を届ける毎日です。
母も高齢で、認知症を患っている事もあり、昔の面影はなくなりました。私と母は外見がよく似ていて、まるで自分の行く末を見ているようで、気分が落ち込みます。
フリーランスの仕事もしていますが、今年は仕事が少なく、年収が30万くらいしかありません。夫が仕事しているので、金銭的に苦しいわけではありませんが、夫から、「今みたいに、頻繁に実家に行って、自分の親のことができるのも、僕が稼いでるおかげなんだからね。君が僕と同じくらい稼げたら、僕はいつでも仕事をやめて専業主夫になりたいよ」と言われました。
私は、自分が今やっている、実家や母の世話、フリーの仕事、自分の家の家事や子育て全てを「稼ぎがない」の一言で否定されました。子供たちも夫と同意見のようです。
生きていくという意味では、稼ぎがないというのは致命的なので、夫のいう事ももっともだと思います。今さら夫並みに稼ぐなんてできません。これからずっとこんな事を言われ続けていくのかと思うと絶望感でいっぱいです。
実家も、兄弟が残したいというので維持していますが、母や兄弟が帰ってくるわけでもなく、何のために維持しているのかわからなくなりました。私なりに今まで頑張ってきたつもりですが、誰にも認めてもらえないのがきついです。
このまま生きていても、生き甲斐もなく、最後は母のようになってしまうのかと思うと、今いなくなってしまいたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつでも相談して下さい。カウンセリングにも行きましょう。
よく相談して下さいました。おかしな相談とは思いません。どれ程苦しいかと思います。生きづらさ・苦しさは其々固有のものです。比べる必要など本来無く、どれも厳粛な人間の問題です。
まず質問を拝見すると、色々な問題が今同時に重なってきており、それで苦しくなっていると思います。コロナも影響していると思います。解きほぐせば道は見つかります。しかし、それを一気に清算しようとして極端な道を選ぼうとされていると思う。私はあなたに生きて欲しいし、必ず道は開けます。
どんな問題よりも、あなたの命の方がずっとずっと大切です。それを忘れないで、、、
母の介護を一手に引き受けている。兄弟に助けて欲しい、なぜ私だけという思いがあると思う。認知症を患っているという一点で母を抑えてはいけないと感じます。それも人間の厳粛な姿です。お母さんと色々な思い出があるはずです。良い悪いを超えているのが人生です。ただ、そういう考えに至るのは、やはり疲れているからかもしれません。
何より辛いのは、旦那さんにあなたの苦しさや、生き方を尊重されていないように感じているという事だと思うのです。旦那さんも大変だと思う。しかし、あなたも十分大変で、比べる事など出来ないですね。旦那さんも余裕がないのだと思いますが、相手が苦しいときに支え合えるのが夫婦だと思うんです。人間は分かり合えないから対話をするのです。対話が必要だと思います。あなたが、どれだけ辛かったか伝えましょう。旦那さんは話を受け止めてくれますか。一度話し合った方が良いと思う。
そして、実家の維持というのも、形式的に「やらなきゃ」になっている気がするのです。実際問題、どうしても維持しなくてはいけない理由なんて本当はないのです。
あなたの命より大事な「家」などこの世にありませんよ。辛かったら、大変だったら手放せば良い。それも含めて少しずつ検討していきましょう。
人間って生きがいとか、意味だけでは押さえられないものです。お釈迦様も一切皆苦といっています。(人生は思い通りにならない)辛いことばかりおきます。でも、それでも生きていくんだと思います。でも、だからと言って人生を誰かの生を否定することなどできません。それはあなたの命もです。いつでもあなたの味方です。千字の文字制限があります。また相談して下さい。
質問者からのお礼
釈義行様
お返事本当にありがとうございます。
身近に話せる人がおらず、聴いていただけて嬉しかったです。
自死はしないと思います。身近な自死遺族が苦しんでいるのを知っているので、そういう思いを子供たちにさせたくはないと思います。
それならば生きるしかないのですが、これまで自分が善かれと信じて行動してきたことが全て裏目に出て、支えになるものがない状態なのでつらいのだと思います。また、私自身も「働かざるもの食うべからず」的な考えをしてきた人間なので、自分自身の価値観にも苦しめられています。
夫や家族との話し合いですが、昨晩数時間話して最後に言われたのが、上記の言葉でした。夫の本心ではないかと思います。
母との良い思い出もあります。私が恐れているのは、私が年老いた時に、私が今母に対して持っている(全部ではないですが)負の醜い感情を、子供たちも持つのではないか、という恐怖です。そんな風に思われながら生きるのはつらいなぁ、と思います。
それでも生きなければいけないのがきついですね。
なんだかお礼のコメントとはほど遠いような文章ですみません。でも、少しでも気持ちを吐き出させていただいて本当にありがたかったです。