一日も早く死にたい
はじめまして。
現在20代後半の事務職女性です。
意味もなく生きるのが辛く、価値も見出せず、死ぬ勇気もないので惰性で生きています。
自殺の報道を見ると、勇気のある人だと羨ましく感じます。
中学3年の頃からキッカケはありませんが、なぜか生きるのに疲れたと感じるようになりました。
趣味もろくになく、やりたいこともない、やりたくない事を頑張る忍耐力もないので勉強も嫌いでした。
レールから外れはいけないという刷り込みが強いので不登校ではないが、学校に行くのは嫌いでした。
その対象は会社となり今も続いています。
やりたいことがないので進路も決められず、親が選んできた大学に進学しました。
就職も興味のある分野などあるはずも無く、専門的なこともできないため事務職で探しました。
しかしメンタルが弱いため不安定になり応募してはキャンセルを繰り返し、大学の就職支援科で泣いたりしていました。
今は見かねた親が紹介してくれた仕事についていますが、お給料は安く、休みも年間110日以下と少ないです。
恋人も今はなく、婚活に行ったりもしましたが、一人暮らしを始めて人と暮らすことに向いていない自分に気がついてしまい、結婚は諦めてきました。
人に厳しく許容できないのです。
しかし収入が少ないため貯金ができず、このままでは老後が破滅です。
一方で周りはどんどん結婚していき、妹も大企業に就職し、学生の頃からの彼氏とは順調です。
惨めになるので妹が邪魔で仕方がなく、消えてしまえと思います。
なので妹に関わらない為に実家には帰りたくありません。
職場の環境も良くない為、転職しようとしたこともありましたが、新卒の就活と同じで応募とキャンセルを繰り返し挫折しました。
やりたくないことをやろうとすると、死にたい気持ちが強くなりまともに物事がこなせなくなります。
なにをどう頑張っていいのか、頑張り方もわかりません。
鬱やADHDと診断され抗うつ剤等を飲んだこともあります。
飲んでいる間は死にたいと思わなくなりますが、薬をやめるとすぐに再発します。
薬漬けで生きるのは嫌なので今は通院していません。
通うお金もありません。
寝るときにことまま目が覚めなければいいとしょっちゅう願います。
仕事もプライベートもうまくいかず、現場からの脱出も困難でどう生きていけばいいのかわかりません。
1日でも早く死にたいと願う毎日です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの本当の願いは何でしょう
人生に意味や価値が見出せず死にたい気持ちがあるのですね。そして現在は惰性で生きているとお感じなのですね。
死にたいとか消えたいという在り方には種類があるようです。それは「私のこの(理想と違う)人生だから生きていたくない」というのと「たとえどんなに理想的な人生だろうと生きていたくない」というものです。
あなたはどうでしょうね。妹さんとの比較や理想のご自身との比較のようなものが見受けられるのでおそらく前者ではないかなと私には感じます。
自殺というところまで踏み込んでしまう人はもしかしたら最初から後者の要素が強かったり、あるいはどこかで後者にシフトチェンジするに至った人なのかもしれません。
さて、意味も価値もやりたいことも何もないとおっしゃりますが、それは今のあなたの在り方ではそのようにならざるを得ないのだと思います。厳しいことを言えば主体性を欠き、受け身に終始して受けたものを評価しているようなところが強くはないでしょうか。
それは死にたいほどの辛さをもたらしてもいますが、実はどこかで楽な面もあるのではないでしょうか。自分で選び、傷つくことを避けているからです。
意味や価値というのは与えられるものでなく、まさに自分で選び傷つきながらでも歩む中で見出されてくるものです。それは苦しみを伴いますが表面的な喜びではなく深い喜びをももたらしてくれるものです。
こう言われても、「私にはそんな意欲も忍耐力もないし頑張り方もわからない」というのが正直なところかもしれません。
それにはおっしゃるところのADHDや鬱等のあなたの特性も影響しているかもしれません。しかしだからといってそれで必ず意味や価値が見出されないかと言うとそんなことはないと思うのです。
これまでの歴史の中や、今同時期に同じような境遇にいる方でも、そうした特性を引き受けて何かを掴んできた方は沢山いらっしゃると思います。自分の思いの範囲内だけで判断するのでなく、広い世界に学ぶことは大切です。こうして相談いただいたこともその一つです。
あなただけではどうにもならないことも、誰かと共有できたり、おなじ世界で頑張る方を見出せたら変わるかもしれません。
あなたの死にたい気持ちは否定しませんが、あなたの中にある本当の願いをこそ否定したくはありません。その願いは主体的な態度によってこそ顕在化してくることと思います。
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。
おっしゃる通り主体性に欠け流されるだけの人生は虚しいと同時に楽でもあるのです。
それは沼のようで、はまってしまうとなかなか抜け出す事はできません。
しかし今後の人生もそれで通用しない事は理解しているので、悩み考えるふりをしてただ心ばかりが沈んでいきます。
心を軽くして生きるため、教えていただいた通り、まずは外に目を向けることから始めていけたらと思います。