猫が死んでしまいました
先日、私の猫が逝ってしまいました。
まだ10歳と若かったのですが、おそらく脳腫瘍と思われる症状に数年前から苦しみ、死んでしまった時も痙攣が止まらず3時間近く苦しみました。
かかりつけの病院からてんかん発作を抑える錠剤をもらっていたため、私はあの子に十全の医療を受けさせてあげられている気分になっていました。
しかし実際蓋を開けてみれば、あの子は身体中痙攣させ、口から血が出ながら苦しみ、夜間に診察してくださった他院の先生はうちの子が受けていた治療に首を傾げて苦い顔をしていらっしゃいました。
あの子はうちに来て10年間私のそばにずっといてくれたのに、私はあの子に何も報いる方ができなかったという思いが消えません。
もっと大きな病院に連れて行きct検査をさなどを受けていたら、あの子は今も私のそばにいたはずです。
あの子を飼い始める時一緒大事にすると思ったのに、私はあの子を大事にしきれませんでした。
後悔ばかりが頭をよぎり、ふとした瞬間に涙がこぼれます。
そしてなにより、あの子の声を段々忘れていく自分に愕然としてしまうんです。
昔から自分は冷たい女だと思っていましまが、これほど薄情で忘れっぽいとは思っていませんでした。
こんな飼い主のもとで育ち、若くして死んでしまったあの子が幸せだったか。考え始めると止まらないのに、考えるのを止めるのはあの子に対する忘却を肯定したような罪悪感が溢れてきます。
大切な命との別れを、他の方はどう乗り越えているのでしょうか?
よかったらアドバイス頂けると嬉しいです。
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感情を抑え過ぎずに、心の赴くままに任せましょう
猫をなくされてお悔やみ申し上げます。
猫でなくても誤診というのはあるのではないでしょうか。素人ですから、獣医さんの言葉を鵜呑みにしてしまいますし、まのさんはその時、最善を尽くされたのですから、例え後から他の方法があったと知っても、その時は思い及ばなかったのですから、どうしようもありません。
あの子に報いることが出来なかったとありますが、獣医さんで診察を受けて、お世話をされた訳ですから、飼い主として十分義務を果たされたのではないでしょうか。大事にされていたからこそ、悩まれるのです。
それに、声は一番記憶に残りずらいと聞いています。人間ですから、過ぎ去ったことは徐々に記憶から遠のくことも致し方無いことです。ご自分を責めないで下さい。あの子もそんな、まのさんを望んでないと思います。
あの子はまのさんの心に生き続けています。以前のように抱いたり、餌をやったりは出来ませんが、逆に今は常にまのさんと一緒です。沢山在りし日の姿を、思い出して上げて下さい。泣きたい時は泣きましょう。感情は抑え過ぎずに、心の赴くままに任せましょう。大切な命をなくしたのですから、時間がかかるかもしれません。でも、必ず乗り越えていけます。
それがそのネコちゃんの一生なのです。
タラレバを考えたらキリがありませんし
それが本当かどうかも証明できません。
ですから
そういうことを考えるのではなく
今出来ることをするしかありません。
御骨や写真があれば
机などの上に置いて朝夕にお参りして
しっかり供養なさってください。
猫ちゃんも成仏しました。
あなたの想いも届いていますよ。