生きていることを心から喜んでみたい
生きることは苦しい、と昔からぼんやり思っています。もちろん日々楽しいことや嬉しいことはありますが、生きることへの絶望感?のようなものがずっと纏わりついて心から喜びを感じられません。
ここ最近体調を崩していて、死を意識する機会があったのですが、その時考えていたのも医療費の心配とか、体が痛いのは嫌だなとか、死んだ後に行く世界のこととかばかりで、今ここで自身の命が終わるということについてはあまり重大さを実感できませんでした。
こんな考えは不謹慎だと思うし、周りの人が聞いたら絶対に悲しむと思います。私自身も自分の人生に絶望したまま死ぬなんて嫌です。この心にかかったぼんやりとした苦しみをどうにか取り除いて、心の底から生きることを楽しみ、喜んでみたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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喜びや尊さ
拝読させて頂きました。
世の中や世界をみると今苦しみやわざわいが渦巻いていて多くの方々が死んでいっています。
そのような中では自分の命も人生も苦しみしかないようにも感じますし、死んでしまった後の不安も大きくなってしまいますよね。
あなたのお気持ちよくわかります。
私たち世界にいる人類は今死の不安や恐怖にさいなまれていますよね。感染症の恐怖や不安におびえながら追い込まれてヒステリックになっているように感じます。この状況を誰かのせいにして誰かの責任に押し付けて、人を追い込み傷つけあっているような本当に愚かな情勢だと思います。そんな愚かなことに振り回されいるのが私たちです。
とはいえよくよく、よくよく周りを見回してみてください。私たち人間を取り囲んでいる様々な生き物、植物や動物や昆虫、そして自然はもくもくとそしてしっかりといきづいいています。
うちのお寺の境内には今真っ白なくちなしの花が一生懸命に咲き誇っています。また今年咲いた梅の木から梅の実がなっています。新たな生命のいきづかいがあちこちで見ることができます。その生き物たちはコロナウイルスのことは気にせずに己の生を真正面から貫いているのです。
そのような生きざまを見せられることにも、生きる喜びや生命の存在の尊さを感じることはできるのです。
自分たちの中で凝り固まって八方ふさがりに思っている私たちがいますが、そんなことには我関せず堂々と生き抜いている姿をどうお感じなさるでしょう。
私たちはあまた素晴らしいものかけがえのないものに囲まれて養われて生きています。コンビニに食べ物は売っていますが、その食べ物は生き物です、かけがえのない生き物の生命です。その一つ一つが実は感動に値する生きる喜びにあたいするものなのです。
そしてそのような中でいきているかけがえのないわが身がいるのです。
すこしゆっくりと見つめなおしてみて下さいね。
あなたがこれから素晴らしい出会いに恵まれてお健やかに生きていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
お返事をいただき、ありがとうございます。
生きることはそれだけで奇跡的だということなのですね。
なまじ色々なことを考えるからよくないのかもしれません。
余計なことを思うより、ひたむきに生きてみます。ありがとうございました。