hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

不思議な現象

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

お忙しい中、いつもご回答を頂き、ありがとうございます。

再び質問をさせてください。

過去の質問にも書かせて頂きましたが、

今年3月に母が他界いたしました。

それから3ヶ月が経過した6月のことです。

家にいても寂しさなどでおかしくなりそうだったので

どこに行くという宛てもなく散歩に出掛けたのですが、

気付いたら母が入院していた病院に来ていました。

自分でもビックリで自然と足が向いていておりました。

もちろん母がいるわけではないので帰宅しましたが、

それから数日後、今度は自分の周りを黒い影のようなものが

通り過ぎていくのを3回程、体験いたしました。

初めは虫がいたり、気のせいかなどと思っていたのですが、

今、改めて思うと違うような気がしています。

そして、つい数日前の最近のことなのですが、

雨の降りが強くなり、自宅の二階窓から外を眺めた時、

人が近くにいかないと点灯しないはずの隣家のセンサーが

点灯し、数秒程ですが明かりがつきました。

夜中でしたので人どころか猫一匹すらもいませんでした。

翌日、隣家の方に事情を話して確認したのですが、

やはり誰も出入りはしていないとのことです。

このように身近で不思議な現象が相次いでいるのですが、

亡くなった母と関係あるのでしょうか?

霊感もなく、今までこのような体験は一度もありません。

わかりにくい質問・文で申し訳ありませんが、

ご意見よろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そのくらい大きな存在だったのです

ご相談拝読しました。

それらの不思議な現象はお母様が起こしているのではなく、何らかの原因があって起きた現象をあなたがお母様を思う気持ちからそこに何かを見出したくなるということでしょう。

それくらいお母様を思う気持ちが強いという事です。何も悪いことはありません。

何かあったら「私は母を求めているのだな」とそんな自分を認めましょう。ふとした何かをお母様と関連付けて感じたくなるほどに求めている、そしてだからこそ喪失感があるという事です。

こう考えると不思議なもので、生きている時以上にその人のことを考えるのが私たちの姿ではないでしょうか。

人は死んで終わりではありません。亡き人はその命の終わりを通して「亡き人と生きる私」という新たな命を生み出してくれます。

霊とかそういうことでなく、目に見えるもの、形あるものを超えて人は出会い、大事なものを感じていけるということです。

お母様のご命終にお悔やみ申し上げますとともに、お母様を感じながらのあなたのこれからの歩みが豊かなものとなりますことを念じております。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

一つ一つはよくあること

私も、行き慣れた場所に無意識のうちに足が向いてしまうことはあります。
また、私の自宅にもセンサーライトを付けていますが、誰もいないに反応することがあります。
黒い影はわかりませんが。
一つ一つの出来事は、よくあることかもしれません。
ただ、それらをつなげて物語にしてしまうのは、私たちの心の側に要因があるのではないでしょうか。
あまり特別な現象だと思ってしまうと、欲や怒りやプライドなどの煩悩を刺激してストレスの原因になるかもしれませんので、「まぁ、そういうこともあるよね」と受け流しておく方が無難だと私は思います。
私みたいな宗教者は特に、自分の不思議体験を美化したり、特別視してしまいがちで、それがプライドの煩悩を刺激してしまうと変な方向に行ったりする危険があります。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

吉武文法様

お忙しい中、ご回答ありがとうございます。
そうですね、言われてみればとてつもない喪失感からそれらの現象を母と結び付けていたのかもしれません。
あまりにも相次いだのでそう思い込んでおりました。
言われるまで気付きませんでしたが、確かに生前の時よりも亡くなってからの方が考えない時はないぐらいに多いです。
変に気にせず自分の命が尽きるその時まで母を思い続けたいと思います。
貴重なご意見ありがとうございました。

願誉浄史様

お忙しい中、ご回答ありがとうございます。
そうですね、母を思う気持ちと失った喪失感でそれらのことを全て結び付けていたかもしれません。
あまり何もかもそう結び付けて考えても自分自身に良くないといけないので、よくあることだと思うようにします。
貴重なご意見ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ