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SNSで嫌いな人が多すぎて疲れた

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Twitterで嫌いだと感じる人が多すぎて疲れました。
元々は好きなアニメの情報収集をしたりイラストを見たり、少しだけ呟くとかそのくらいの気持ちで始めました。

始めた頃はまだTwitterのルールなども知らずに無節操に、イラストを描いている方やなんとなく面白そうな方をフォローしていました。
ですが、この行為がいけなかったんです。

当然人をたくさんフォローしていけば、嫌な情報を見てしまったりその人自身が自分にとって嫌な人だったなと、フォローした後に気づく事がありました……今まで。

その嫌いな人に対してすごく疲れてしまったんです。フォローを外そうか悩む瞬間や、ミュートやブロックした罪悪感、気に入っていた人だったのに一気に嫌いになってしまった時。
別に悪い人じゃないしな~と悩む時
イラストはいい感じだから、外すのはもったいないな~と感じる時など。

なにより辛いことは、
別に悪い方ではないのに、ただ自分自身の嫉妬で嫌いになって自分を責めてしまう事や、
そもそも関わりすらなく、自分が別に何か言われたとかでもないのに嫌いになる事です……

あとその人達別に悪い事も言ってないんですよ
ただなんとなく、ツイート内容やRTしてくるツイートから合わないなと思ってしまって。
直感や感覚から嫌いになっちゃってます……。

関わりもない話したこともない顔すら知らないただの一般人をここまで嫌いになってしまうことが、非常にバカバカしいです。自分が。
正直言って死ねばいいのにってくらい嫌いになっちゃってます。ほんとバカバカしいです、関わりもないのに。

今はもう素直に、フォローを一気に外して、ミュートやブロックなどもしました。
これから出てくる嫌な人達もミュートします。

ですが気にかかることもあります。
なによりあの時の、嫌な事を見てしまった時を思い出して嫌になる事もありますし、すぐ人を嫌いになる自分も惨めだなぁと……未だに思います。SNSくらいでこんなんですよ?はは……

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

SNS疲れですねえ

Twitterなんてやめてしまえ。
以上です。

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有り難し
おきもち

浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)、その後宗門大学(浄土宗の僧侶養成機関)である大正大学佛教学部で学び加行(住職修行)を得るための修行)を受け浄土宗教師(浄土宗の正式なお坊さんとしての、住職資格)を取った後、某寺に入寺、京都の大本山黒谷金戎光明寺内にある浄土宗教師修練道場(浄土宗教師が更に1年間研鑽を務める場)にて1年間修行研鑽、その後も研鑽を続け、教学(浄土宗を中心とした仏教の教え)・法式(お経のあげ方・儀礼)・詠唱(ご詠歌・和讃)・布教(教えの伝え方)・雅楽の研鑽を積んでいます。 がしかし、もともと小学校時代から精神疾患で、大学で精神科初診、20代は通院しながら、学業・修行・僧職を勤めていましたが、30代で仕事と結婚のストレスがさらにかかり、大きく心身の体調を崩して入院して以来、寺を離れました。 2003年に大きく体調を崩して、入院以来入退院を20数回繰り返しています。40代から、徐々に精神的に安定し、50代手前の最近少しバイトが出来るようになりました。デイケア、障害者職業訓練、B型就労支援事業所とステップアップし、単発派遣から初めて、バイトで、2社に勤めて、体調悪化で入院してこの2社をやめて、今は3社目のアルバイトをしています。

疲れたら休んでくださいね。

ご質問文拝見しました。

自己嫌悪、特別な事じゃないですよ。
人それぞれ価値観がすべて一致しているわけではないので、適度な距離を保つのは悪いことじゃないです。

人も社会もまだまだこれから成長します。
時を重ねて、自分自身の回復や充電が整えば、嫉妬する必要がなくなる可能性もあるし、嫉妬するよりすべきことに気づくかもしれません。

人間関係はエネルギー消費することもあり、元気をもらえることもある。
現実もSNSも一緒ですね。

いろいろな気持ちが心の中に押し寄せてきますが、本当に自分が大切にしているモノさえ見失わなければ、世の中なんとか生きていけると思います。

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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

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