絶望しかないのでしょうか。
51歳、男性です。もうすぐ失職します。
これまでそれなりに苦労してきましたが、あまり将来の事を真剣に考えず、
社会が混乱した状況では一番に失職し、タイミングの悪い不景気に揺さぶられてきました。
貧乏だけど働き者の両親に育てられたことだけでも幸せだったと思いますが、
私自身はあまり人に奉仕せず、自分の事ばかり優先して生きてきた為、友人がいません。
このまま、社会に必要とされずに寂しく偏屈者のまま一生を苦しんで死んでいくのでしょうか。
他人を思いやる事、奉仕を喜びとする事は、まず自分の生活が成り立ってからだと思っていて、経済的な余裕がない事を言い訳に、あまり人に奉仕をする、助け合うという事もしておらず、たまに何か人の為にしようと思っても、その度に騙されたり、利用されてしまったりという事ばかりだったので、もう他人の為に奉仕をしてもこちらがダメージを受けるだけだと、益々偏屈になってしまいます。
それでもやはり、人にやさしく奉仕の精神をもって生きていくべきでしょうか。
優しく、余裕のある人間になりたいです。それは本心です。
お金だけではない、心の豊かさを得るにはどうすればいいのか、悩んでいます。
よろしくご教示頂けないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【無財の七施】プライスレス
"経済的な余裕がない事を言い訳に"
なるほど。そんな私たちにピッタリな仏道修行がございます。
1.「眼施」やさしい眼差しで人に接する
2.「和顔悦色施」スマイルで人に接する
3.「言辞施」優しく丁寧な言葉で人に接する
4.「身施」自分の身体を使って何かお手伝いをする
5.「心施」他のために気配りをする
6.「床座施」席や場所を譲る
7.「房舎施」自分の家を提供する
以上、たとえ無一文でも実践が可能な布施行【無財の七施】といいます。
"益々偏屈になってしまいます"
hasunohaの変な坊主に騙されたと思って、最初はうそっこでもハッタリでもいいので、可能な限り精一杯に偽善者ぶって生活してみてください。やがて自分でもビックリするほどの浄化作用が顕現されてきますので。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
まずはできる事からやっていこうと思います。
やがて実績が伴うように、
「眼施」
「和顔悦色施」
「言辞施」
から初めて、自分や周囲に優しさを施していこうと思います。