殺意について
とある人に対して殺意があります。縁は切りました。しかし、殺意があります。
カッとなってわいたような感情ではなく、時間が経てば経つほど悪化するような状態です。
心療内科に通院して、すべて正直に話していますが、薬を処方されるのみで解決に至りません。
鬱病ではないため、仕事をしています。眠れない時に眠剤を飲み、日中は抗不安薬を飲んで働いています。友人や信頼できる人にも相談しましたが、もちろん誰もどうすることもできません。
人を困らせるだけなので、殺意について話さないほうが良いことは分かっています。ただ、自分一人で抱えることは難しく相談させていただきました。
訳あって仕事を休むことはできません。むしろ休むと殺意に飲み込まれてしまうので、休日は人と会うことにしています。人と会っている間は、目の前のことや会話に意識が向かうので少しだけ殺意が抑えられます。食欲もあり、健康であることに感謝すべきだと思うのですが。
私にとって、日常=その人物への殺意になってしまいました。行動に移さなければ良いだけですが、生きる目的そのものになってしまって。行動しそうで、こわいのです。
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そう思いますよね
拝読させて頂きました。
あなたが人に対してそのような感情をもつことはやはりあるでしょう。人間は出会う人やものに対して愛情を注ぎたいと感じることもあれば、憎しみや殺意を感じることもあるものです。
お釈迦様がおっしゃるように愛別離苦(あいするものと離れなければならない苦しみ)怨憎会苦(恨みにくしむものにであわなければならない苦しみ)が誰しもあるからです。ですからあなたがそう思うのも自然なことかと思います。
憎しみや殺意は確かに悪しき考えてあり、そう思うことから態度や言葉或いは実際の行動になってしまうこともありますのでやはり罪です。とはいえそのような愚かで罪深い私たちであることを自覚することはやはり大切です。
そのような感情があることを前提にするならばできるならそのような方とは離れた方が望ましいです。具体的な距離というよりは心の中での距離をとってしまう方が望ましいです。
どうしても会わなけれればならない場合であっても関わらないようにすることです。意識が行ってしまいそうになるでしょうけれども、できるだけその方を透明にしてしまいましょう。居てもいないようにふるまうことや余りとらわれないように心がけてみましょう。
正直私の心の中にも殺意は常にいるのです。ですが、無いようにふるまうことです。慣れもあるかと思います。
或いは一度リセットしてみるためにも例えば神社仏閣巡りしてみたり、お墓参りしてもいいかと思います。
自分のそのような意識や感情のあからさまなところを神様や仏様やあなたのご先祖様方にさらけ出してみてもいいと思います。神様も仏様もご先祖様方もそのような私たちのことを全てお見通しですから隠し立てする必要など一切ないですからね。全てありのままにお話することもいいと思います。
また例えば自分の感情を紙に書いて封をして例えば開封厳禁にして私のお寺に送って下さい。そのお手紙は合間にご供養させて頂いてお焚き上げしてしまいます。つまり燃やしてしまいます。うちのお寺ではそのような方々がいらっしゃいます。それも一つの手段です。
いずれにせよそのような感情があることは当たり前ですから、それを踏まえて流していきましょう。
あなたが日々様々な思いの中でも気持ちを楽になさりおおらかに毎日を生きていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。
また宜しければあなたの思いをお聞かせくださいね。
質問者からのお礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。
どうしても消えない悲しみ、怒りに飲まれないようにしたいです。その感情を持つことがあたりまえと言っていただけて、すこし楽になりました。
ありがとうございました。