考えすぎてしまいます。
自分の将来が不安です。
30歳という年齢が見えてきて自分の将来が不安になります。
明確に○○が不安というのがあるのではないのですが、漠然と自分の将来はどうなってるのか不安で仕方なくなります。
将来に限ってでなく、昔からちょっとした事に対してすぐに考え込んでしまい不安で怖くて仕方なくなったりします。
両親に対しても、愛し育ててくれたのに子供がこんなのでかわいそうだなあと思ってしまったりして申し訳なくなります。
考えすぎのストレスからなのかは分かりませんが、最近は息苦しさを感じ辛いです。
どうしたらもう少し軽く考えられるようになるでしょうか。
支離滅裂な文章で申し訳ありませんが、相談させて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心配事・不安の96%は起こらないことが判明
あき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
不安や恐怖というものは、おおよそ未知から来るものでございます。
しかし、先がどのようなものになるのかは、蓋然性として、おおよそ分かることができることがあるとしても、誰も正確には知り得ないものでございます。
そのため、あまり考えても仕方がないこと、杞憂だとして、心配し過ぎないようにするのが、最も良いのですが・・なかなかそう簡単にはいかないですよね・・
でも、アメリカでの調査において、「心配事・不安の96%は起こらないことが判明」したそうです。
http://www.mag2.com/p/news/143272
心配事の8割は起こらず、残り2割のうち、「16パーセント」は準備をしていれば避けられるもので、結局のところ起こりうるのは「4パーセント」ぐらいだそうです。
リスク回避としての心構えや準備は怠らずにしておくに越したことはないですが、あまり心配し過ぎて、日常の生活に支障をきたしてしまうようであれば、もしかすると、不安神経症(全般性不安障害)の可能性もあります。
その場合には、適切なメンタルケアが必要になるかもしれません。
仏教的なアプローチと致しましては、冒頭で、「不安や恐怖というものは、おおよそ未知から来るもの」であるとして、この世のモノ・コトのありよう、真理をしっかりと理解することにより、不安や恐怖を無くすようにして参ります。
モノ・コトの真理とは、「空」や「縁起」といったありようのこととなります。
もしご興味がございましたら、是非、これを機会に仏教の学びを進めて頂けましたら有り難くに存じます。
また、仏教を学び進められる中で、分からないことがございましたら、hasunohaででももちろんお気軽にご質問下さいませ。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
不安は選択肢があるということ。
将来に不安があるということは、選択肢があるということだと思います。
選択肢がなければ、「私にはこれしか出来ることがない」となるでしょう。
別に悲観的に言っているのではなく、不安を可能性と考えて、受け止めてみてはどうですか?
迷いや、悩みや、失敗でさえも、次のステップへの可能性です。
私の大先輩は、80歳代のころ、「歳をとるということはたのしいことです」というような
ことをおっしゃっておられました。
それともう一つ。
親に対して「かわいそう」とは失礼ですぞ!(怒り笑)
親は、いつでも、いつまでも、子どもの応援者であり、一番のファンなんです。
質問者からのお礼
早速のご回答ありがとうございます。
いい年して…と思われるのが嫌で誰にも相談出来なかったのですが、TVでこちらのサイトを知り相談させて頂きました。
不安や恐怖はおおよそ未知からくるもの。
この言葉に気持ちを楽にしてもらった気がします。
アメリカでの調査報告も気持ちを楽にする事が出来ました。
いきなりは難しいかもしれませんが、少しずつでも心配しすぎないように出来るようにしていきたいと思います。
本当にありがとうございました。