死ぬべきか
「死刑囚はすでに70歳を超えていました。なぜ年老いた人を執行しなければいけないのか、そのまま老衰で死なせてやってもいいのではないかという思いもありましたので、自分を納得させるために記録を読みました。仮出所した際、お寺の住職さんが身元引受人になり、自宅に下宿させ仕事まで見つけてくれたそうです。その恩を仇で返すように、奥さんと娘さんを強姦・殺したのです。これは許せん、被害者遺族に代わって敵を討ってやらにゃいかんという使命感に燃えました。」
これは以前アベマニュースという番組で見たものです。これを見た時は、そんな人間は死刑になって当然だと思いました。
しかし、ある時に自分でも同じ行動をとるかもしれないと思うようになりました。それは人間との関係が上手くいかず反社会的な考えに支配されているからです。
それからは恩人(周りや当人がそう思い込んでいるだけ)の妻娘が強姦殺人されても因果応報だと思うようになりました。
そんな犯罪者思考が染み付いている人間が生きていてもいいと思いますか。また、あなたの妻娘が強姦殺人されたら犯人に対しどう思いますか。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
すこしでも安楽な世界になって欲しくて。
ご質問ありがとうございます。
裁かれなければならない人も含めて、
命を踏みにじられ、
奪われなければならない人などいないと思います。
不運な巡り合わせがあるだけだと思います。
ひとがどうなるかは置かれた境遇、与えられた性質などの状況によります。
誰にでもどんな可能性でも起こりうるのは事実です。
もし生まれた時からいじめられつづけ、踏みにじられ続けて、なお清く美しく生きられるでしょうか?
あなたは、自分が強姦殺人されたとしたら、どう感じますか?
私は、理不尽なことの起こるこの世界が悲しいです。
きっと犯人に復讐したい気持ちと、
その犯人の生まれた背景を思い、やりばのない悲しみが起こると思います。
負の連鎖が世の中をめぐっています。
それは弱いところへ、弱いところへ社会みんなで集められ、
あるとき事件として、噴出します。
そして、社会の「患部」は、切られます。
しかし、患部は永遠に作られ続けるしくみになっていないですか?
再弱者が常にみんなの鬱憤をせおわされ、死刑になる。
すると次の再弱者が、、、。
こんな構造をみんな何となく気づいているのか、
上がるよう、落ちないよう必死です。
人を蹴落としてでも。
人を蹴落とす社会では自分も蹴落とされるかも。
なら先に蹴落として身を守るんだ。
このままでは悪循環ですよね。
恐ろしいことです。
負の連鎖を、幸の連鎖に変えていきたいです。
恐ろしいことです。悲しいことです。
自分の能力を知り、相手に応じて適切な距離を取りながらも、
できるだけのことをしていきたいですよ。