働けなくなったら死にたいです
私は家族だった人達との仲はよくありません。なので介護はしたくないのです。
また自分が認知症になって迷惑をかけてしまうのも嫌です。
また今の日本は社会的に見てもこの先に良いことがあるとは思えません。選挙へ毎度行っても何も変わりません。
そもそも自分の命にも価値を感じません。
私がいない方がむしろ上手くいくのでは?と考えてしまうことが多々あります。
今はまだ仕事があるのでなんとかやっていくしかないですが、その仕事がなくなって、どこにも行けなければ死んでしまいたいです。
誰も悲しまないし、むしろ厄介者払いができてみんな幸せになれるはずです。
私も私が死んだら嬉しいです。
私は晴れて生きてる間の苦痛や責め苦から自由になれるのだから!
とにかく、老化などでいずれ役立たなくなった際、私は死のうと思っています。
そこで疑問なのですが、命って大事なものなんでしょうか?なぜ苦しんででも寿命まで生きるのが勧められるのでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心を癒やしましょう
拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。
色々と思い悩んでいるようですね。
まずほしぞらさんは、今色々なことに悩み絶望し、苦しみ、どうしていいか分からず八方塞がりになっているのではないでしょうか。
心というのは、乱れてしまうと、バイアス、偏りが発生して物事を正しく判断、決断することができなくなってしまいます。
特に心が乱れていると、ネガティブな判断、決断が多くなってしまいます。
恐らく今ほしぞらさんに必要なことは、心を癒やすことだと思います。
不快となる人とは、距離を置き、日々五感で自然を感じてみたり、呼吸に意識を集中させ、今この瞬間に意識を集中させます。また他人と比べないようにします。マイナスな気持ちが強くなった場合も同じようなことをしてください。
このような事をしていると、だんだん心が落ち着き、色々な問題を客観的に分析ができるようになります。
そして並行して活力が少しずつ湧いていきます。
この活力が湧いたときに今一度、命や生きるという事を考えてみると、違った答えが見えてくると思います。
本来命の大切さというのは、実感でしか分からないことだと思います。
また苦難というのは、己自身の価値観を大きく進化させる力を持っています。この苦難をうまく力に変えることができると、苦難がただ苦しいだけでなくなってしまうので、死ぬほど苦しい事がなくなっていきます。
どちらにせよ、体験してみないと分からないことばかりなので、色々チャレンジしてみると新たなほしぞらさんに生まれ変わることもできると思いますよ。
またお悩みごとがありましたら、ご相談お待ちしております。