嫌いな世間と折り合いをつけるには
小さい頃から人間が嫌いで、厭世的です。そういう人間が生きやすくなるには、どうすれば良いですか。
私の人間嫌いは、生い立ちに由来すると思います。
いわゆる毒親育ちで、同級生からもいじめられました。母や教師からは、いじめられる側が悪いと言われ続けました。
就職先にも馴染めませんでしたが、結婚までは何とか勤めました。
結婚相手はモラハラ野郎でした。結婚生活でも虐げられました。現在、別居中です。幼稚園児の子供二人がおり、私が育てています。
その経験のせいかは分かりませんが、とても厭世的です。最近ではニュースや新聞を見るのも嫌です。人間の愚行が多く載っているからです。
芸能界なども嫌いです。大して面白くないコンテンツをメディアの都合で押し売りしているように見えます。もともと、目まぐるしく移り行くものが苦手なのもあります。
人間嫌いの一方で、天災などで罪の無い人が傷つくのを見るのも辛いです。なぜ、欲まみれの政治家は安穏と生きていて、無辜の人が犠牲になるのかと思ってしまいます。
毎年、猛暑のたびに地球温暖化は喫緊の課題と言いながら、世界的に経済優先の考えは変わらない。これだけモノにあふれた世界なのに、それでも不要不急のモノを作り続けて売り続けて…という社会にも、疑問を持ちます。
そういう世の中(もしくは世の中をそういう観点でしか見られない自分自身)に嫌気がさして、山奥に引き籠ってしまいたいです。
こんな親に育てられて、子供は大丈夫なのかと心配です。現在は私の都合でテレビやYouTube等とほぼ接触せずに育っている娘たちですが、学校が始まれば俗世間を知るようになるでしょう。それが嫌だと思う一方で、私自身のようになってほしくはないとの思いもあります。
どうしたら、嫌なものと折り合いをつけながら生きていけるのでしょうか。また、いじめ等を経験せず、まっすぐに育った人間は、こういう考えを抱かないものなのでしょうか。
宗教家の方のご意見をお聞きしたいです。
思いやりの無い人が許せない 過去の恨みがなかなか手離せない 面倒なことから逃げようとする 身の丈に合わないレベルの物欲
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
山で子育ても良いですね
拝
厭世的な思考は辛いですね。
私は山奥で育ち
いじめられて育ちまさに世の中にうんざりした青春を過ごしました。
いじめを見て見ぬ振りする大人と教育者に失望し
社会の矛盾や人の汚い部分を憎み
大好きな自然を壊す権力者を嫌い
やがて若い自分に借金を背負わせ己の経済ばかり優先する人々を蔑み
ました。
自己破壊や社会破壊的な考えに支配されてしまい孤独でした
優しい自分ばかり負担が多いように感じ仙人にでもなりたかったのを思い出します。
辛かった私は、学校を辞め社会に出て仏教を学びました。そして旅をして色んな人と出会い色んな考え方を知り、自分が経験した事は辛かったけれども、その一つ一つは自分が未熟であるが故、問題を解決する力が乏しかっだだけと気がつきました。社会を否定していた考えというのは、問題を解決出来ない己の未熟さを他の問題とすり替えて頭が良いフリをしていただけであった事に気がつくようになりました。
そうすると、考え方の根本が変わります。まず1つ目に「問題は解決する為にある」という事です。
2つ目に「解決しない問題は考えない」
そして3つ目に「全ての現象は原因があって結果があり、ここにある問題は自分にとって何かしらの因縁の元存在している」
私は、こうした何者にも責任を転換しない
自己完結型の考え方に変えました。
世の中は汚い所はたくさんあります
でもそれに自らが心を荒立てる必要はありません。
感情を交えずありのまま見れば良いのです。
子供が絶対いじめられないよう育てる方法はありません
子供が汚い世に触れないようにする事も出来ません
それが動物の世界
全てありのまま
もし子供に出来ることがあるならば
あなた自身が力強く目の前の問題を解決する事でしょう。
また、辛い経験は同じ境遇の人の気持ちの理解を深める大切なもの
沢山外に出て
沢山の人に自分の問題を話して相手の問題を聞いてあげてください。
まっすぐ育てたいなら
自身がまっすぐ立つ姿を見せる事です。
いつも気をつけるのは人ではなく自分の心です
合掌
【淤泥華】
質問者からのお礼
丸山晃俊様
ご回答ありがとうございます。似たようなご経験をお持ちのようで、とても深いところに響きました。己はまだまだ未熟者ですが、少しでもこの世の事象を否定せず受け止められるよう、努力致します。
転落院様
いつも端的で機知に富んだご回答を拝見しております。ご回答ありがとうございます。
声を出して笑ってしまいました。その通りですね。納得致しました。ありがとうございました。