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殺された人や動物の魂

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有り難し有り難し 22

こんばんは。ずっと前から気になってました、殺処分や科学の為と名目上、動物虐待で酷い殺された方をした動物、冬眠中のカエルを掘り出し生きたまま串刺しにする今でもある残酷な神事、政治に関わり暗殺された人と、例えば石井紘基議員、無念に殺された魂は成仏できてるのか気になります。今は宜保愛子さんがいないので、殺された人や動物、虫は成仏できるのか聞いてみたいですが聞けない。お坊さんはどう思われていますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道

こんにちは。ご相談拝読しました。

仏教では常住論(常見)及び断滅論(断見)の両方ともが邪見(偏ったものの見方・誤り)であり、その二遍から離れ中道を行くことが説かれます。

常見とは、死後もこの世界において何らかの固定の実体(アートマンと言います)が不滅で永続するとする見解であり

断見とは、死後は断滅し相続するものはなく、二度と再生もないとする見解です。

さくらさんのおっしゃる「成仏」とはどのようなイメージでしょうか。いわゆる天国のような苦しみのない世界に行くようなイメージでしょうか。

仏教における成仏とは煩悩を滅尽し迷いを離れて真理に目覚めることです。天国のような理想的な世界に生まれることは仏教では「成仏」ではなく、実はまだ迷いの中にあると見るのです。

さて、殺された人や動物の魂がどうなるかという問いはまず魂の存在が前提となっています。
さらにはどんなに議論をつくして想像しようと亡くなった本人ではなく他者が確かめることはできない事象でもあります。

しかし確かめられないことをそのままにしてはおけないのが私たちの心情でしょう。

考えますと、死とは「亡き人本人にとっての死」と「私にとって亡き人の死をどう受け止めるか」という問題に分けて見ることができます。

前者は確かめられず、後者は確かめられます。もしも亡き人が成仏できず苦しみ迷っていると考えるとしたらそれは亡き人本人でなく、そう見る人がそのような見解で苦しんでいるという事になります。

かと言って、おっしゃる通り亡き存在がどうなるのかは気になる所です。不憫な死については悼む気持ちもひとしおでしょう。

でもわからない・・・わからないからこそ「私の思い」に囚われて迷うのでなく、「仏様の願い」に委ねたいところです。

私は一切の生きとし生けるものを極楽浄土に往生させ、さらには成仏に至らしめることをお誓いくださった阿弥陀仏の願いに死後を委ねたいと思います。

信じるとか信じないではなく、わからないことを託すのです。そしてその教えによってこの私自身の目が覚まされ続ける時、その教えとのご縁をくださった亡き存在はけして迷い苦しむことのないであろう仏様のお一人であると見出されるのです。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

お礼のコメント書くのが遅れてしまい申し訳ありません。
有難いお返事ありがとうございました。

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