産むことが私の人生なのか
はじめまして。私の考え方が、人として最低だと思うのですが、相談させてください。
先週初め、産婦人科で妊娠5週目であると診断されました。現在6週目の終わりですが、正直、産むべきか悩んでいます。
お腹の子は旦那の子供です。
旦那には妊娠を伝え、嬉しい、産んで欲しいと言ってくれています。
しかし私はどうしてもまだ産みたいと思えません。理由としては、夫婦共にまだ20代前半で、経済的に余裕がないこと。そして、結婚生活自体に「これでよかったのか?」と自分自身悩んでいたところの妊娠だったことです。(結婚生活については、相手の非ではなく、自分自身が、仕事をしながらのこの生活は負担が大きいと感じてしまったこと、もう少し自分ひとりの自由が欲しかった、と思ってしまったことが原因です)
そうは言っても授かった命、産むことが責任を果たすことだ、と思います。
また、私も旦那も親戚に流産を経験している者がおり、産みたくても産めなかった人がいると知っているのに、命を粗末にするのか、という思いもあります。そして、結婚しているのに堕ろす必要があるのか、という疑問が渦巻いています。
曖昧な気持ちで結婚し、気持ちが定まらないままに妊娠した自分が最低だと思っています。
しかし、どうしても来年の今頃、しっかり子供を愛して育てる自信がないのです。
自分が育児放棄をしてしまうのではないか、精神を病んで私が壊れてしまうのではないか、あるいは旦那が壊れるのではないか...とてもポジティブな想像ができません。
毎日、妊娠中や出産後のことではなく中絶について調べ、しかし両親や友人に相談することもできず、自分の中で堂々巡りです。
最近は、産むことに対して、「産んだとしてもそれは私の意思ではなく旦那の希望で、それは私の人生ではなくて、子供が欲しい旦那の人生なのでは」とすら思ってしまいます。
私はどうするべきなのでしょうか。
自分勝手で幼く、最低な考えだと思います。ですが、誰にも相談できない状況です。
お腹の子供は私に「それでこの先の人生、どうするの?」と問いかけてくれている気がしています。これも勝手な考えですが...。
ご意見いただければ幸いです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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おもったとおりにはならないがやったとおりにはなる
拝
未知を恐れるのは当然です
子を授かると
自分の時間や金
友達と遊ぶ時間
達成したい目標
色んなものが音を立てて崩れていくような
そんな不安は若くて執着が強いほどに離れがたいものなのかもしれません。
子供を産む育てるというのは義務ではなく奉仕でございます。
子供の時は大人に面倒見てもらい。
自分が歳を取った時には若い人に世話をしてもらいます。つまるところ奉仕してもらう側に変わります。
見返りの無い奉仕に喜びが見出せ無いならば貴女はまだ奉仕から学ぶべき事に気づいてないはずです。
人生を豊かにする為に、無償で何かを施すということは、とても重要な事です。
例えば、仏の行に顔施というものがあります。それは微笑むという行為、笑み一つで相手も自分も満たす事ができます。
言施というのもあります。相手の事を思った言葉が互いを豊かにし空間を満たします。
こうした奉仕はお金など無くても大した経歴が無くても人は皆出来る事ながら高い意識で無ければ出来ない事です。
こうして得たものが経験となり「人徳」となるのです。
変わって選択という行為についてですが。「堕さないで欲しい」という私の個人的な情を抜いて申しますと。仏教では選択を重要視します。無意識にまで意識を当てて感じ考え、そして、自分で選択した事は必ずやり遂げなければなりません。それでも堕すというならば申す事は無い...
のですが、
それより私が気になるのは貴女のイメージです。
イメージは選択の初期段階でとても重要な役目を果たします。
自分のした結婚や出来た子供、子供がいる未来。自分の未来。
これらを明るく見る事が出来ないとしたら全体的に思考は現実に背を向けているように思います。
例え自分で選んだ感が無いにせよ己で選んだ事に相違ないはずです。
もし、今のような現実から背を向けた心理で子供を育てるのならば私は自信を持って堕さないでと言えません。と申しますか、こういう選択の仕方を続けるならば、子育てをするしないに関わらずいずれ満たされる事がなく貴女は今より大きな問題と向き合う事になるでしょう。
矛盾は付き物です。それでもバランスをとりながら苦しくてもベストを尽くすのが生きるという事です。
くれぐれもですが、選択は重要ですが、襟好みは苦しみの始まりです。
一つの身体に二つの命を宿すとブルーになる事もあるでしょうが、慎重に。
合掌
質問者からのお礼
丸山様
早速のご返信ありがとうございます。
若くて手放しがたい、まさにそうです。今日までのような連休であれば、手放すこともできそうに思うのですが、職場に戻ると、まだ独身で楽しんでいる同期がどうしても羨ましいと思ってしまうのです。
また、こんなに最低な考え方を持ちながらも、おろさないで欲しいと思っていただきありがとうございます。現実から目を背けていること...これもまた、そうだなあと思いました。私は流された部分があると言っても、結婚したのも、妊娠したのも最後は私の選択による結果でした。現実から目を背け、ああじゃなければこうじゃなければと自分で思うことでより自分を苦しめていたと思います。
さらに、子育ては義務ではなく奉仕という考え方が新しかったです。私は今まで、両親から無償の愛を受けてきた経験はありますが、だれかに奉仕したことがありません。まさに今、すべてのことが初めての経験なのだと自覚しました。
自分の選択は最後までやり通さねばならない。その選択の責任の重さを考えつつ、丸山様のご意見も心において、しっかり考えたいと思います。