交通事故を起こしてしまいました。
いつも運転にはかなり気を付けており、10年以上ゴールド免許でした。
小さな事故も起こした事がありませんでした。
今月は仕事が忙しかったのもあり、自律神経の乱れか、めまいで倒れる事がありました。
その後回復し普通に生活していました。
関連があるかわかりませんが、普段必ず一旦停止していた道を無意識に止まらず進んでしまったことがありました。
もし車が来ていたらとぞっとし、疲れているのかもとさらに気を付けていました。
しかし先日知らない道を通った時に一旦停止を見落とし、事故を起こしてしまいました。
相手の方も命は無事だったのですが、全治1ヶ月ほどの怪我を負わせてしまい、車も廃棄処分になるそうです。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
自分が乗っていた車も昔両親に買って貰いとても大切にしていたので、この様な形で廃棄処分されるのがとても悲しく、家族にも心配や迷惑をかけていたたまれないです。
相手の方へ謝りに行った時も両親に頭を下げさせてしまい、賠償など保険では賄えない部分のお金の負担なども迷惑をかけてしまいます。
沢山の人に迷惑をかけ、痛い思いをさせてしまい、毎日涙が出ます。
気を付けているつもりでも、標識に気づけない自分が今後車に乗るのが怖いです。
しかし車が無いと仕事をやめなければいけません…
取り返しのつかないことをしてしまい、
全ての信頼を失ったような気持ちになります。
後悔ばかりで、これからどうしていくべきか頭が働きません。
人の役に立たなければ生きている価値がないと教えられて育って来たので、人に迷惑をかけてしまったり心配させてしまう事がとにかくつらいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人の役に立たなければ生きている価値がないのでしょうか
命は無事だったものの、相手に全治1ヶ月ほどの怪我を負わせてしまい、昔、ご両親に買って貰い、とても大切にしていた車も廃棄処分になるとのこと。命にかかわる事故でなくて良かったです。
標識に気づけないご自分が今後も車に乗るのが怖いと思われることは、事故を起こした後なら自然なことと思います。ただ、車が無いと仕事をやめなければいけない状況なら気を付けて今後も運転するしかないのではないでしょうか。りんさんは自律神経の乱れの可能性もあり、めまいで倒れる事があるのが気になるのでしたら、転職を視野に入れて考えることも必要かと思います。
運転は命に関わる事故に繋がり兼ねないので、反省され、心に刻まれることは大切です。制限速度を守っていれば車が廃車になることも免れたかも知れませんので、今後もスピードの出し過ぎには気を付けて運転されることをお勧めします。
「人の役に立たなければ生きている価値がない」とりんさんは思われますか。例えば加齢や病気、事故により寝たきりの方、生まれた時から脳に障害をお持ちの方など、一見お仕事も出来ずにお世話をされるばかりのようですが、そういう方は生きている価値がないのでしょうか。障害をお持ちのお子さんを育ててみえる方は、宝物のようにお子さんを大事にしておられます。人はそれぞれに自分の荷を背負って生きています。他の人と代わりたくても代われません。でも、能力を高めたり病気を治したりしなくても居るだけで尊いのです。
「迷惑をかけてしまったり心配させてしまう事がとにかくつらい」とお書きですが、今までも迷惑や心配をかけなくて暮らしてこられたのでしょうか。確かに迷惑や心配を掛けずに生きるように努力することは大切なことです。しかし、生きると言うことは、突き詰めれば周りの人に迷惑をかけ続ける連続ではありませんか。生きるためには食べなくては生きていけません。食べ物は全ていのちです。私たちは毎日、動植物のいのちを奪って生き長らえています。どんなに身を慎もうとゴミを出し、噓をついたり、かすめ取ったりして生きています。とことん深く考えれば迷惑を掛けずに生き続けることは出来ません。ですから、迷惑や心配を掛けずに生きることを目指すのではなくて、迷惑を掛け続けて生きていることを自覚して、深い罪の意識を持ちつつ、日々精進して暮らすことが大切と思います。
相手の方が重症でないなら
私も昨年、自損事故を起こしました。体調がとても悪くて寝込んでいたのですが、子どもを駅まで乗せる必要があり、クルマを痛めてしまいました。保険で修理しましたが、今年から保険代がとても高くなりました。同じく10年以上はゴールドでずっときていますが家内にだいぶ叱られ、今も尾を引いています。体調が最悪のときに運転してはいけなかったと反省しますが、後の祭りです。
あなたの場合は相手があり、1ヶ月くらいの怪我を負わせたということで責任をお感じになるのはよく理解できます。ショックでしょう。文面から誠実で真面目なお人柄であると察せられます。そんなあなたが他者に迷惑をかけた、怪我を負わせたとお思いになり大きな心の傷に苦しんでおられるのは周囲の方々にとっても辛いことでしょう。
ただ双方のクルマについてはしょうがないと思うんです。もともとそうした性質の道具ですから、ご両親に買ってもらったのに申し訳ないとお考えになるのは分かりますが、クルマは無常なものです。仏教語に「諸行無常」がありますが、ここでいう「行」とは「作られたもの」という意味です。いろんなものが組み合わさってできた作られたものは無常なんです。事故がなくても必ず廃車になるときがやがてはくるものです。ご両親もまさか「孫子の代まで」と思って買ってくださったものではないはずです。相手様のクルマについても、そうなる可能性があるものとして走ってしたのですから、弁償はしなけらればならないでしょうが、先祖伝来の家宝ではないはずです。かならず壊れゆくものと運命づけられた工業生産物です。
相手様のお身体はどうでしょうか。完全に元に戻り障害が残らない状況でしょうか? 文面からするとそのように思います。だったら気にしなくても、とは申しませんが、この場合もクルマに乗るということとセットであることに間違いはありません。自分ではどうしようもない状況で巻き添えを食うことを覚悟して運転しているわけです。じゃないと乗るべきじゃありません。相手様もそうなるというリスクを背負ってクルマを運転なさっていた。そしてあなたもそうしてしまうリスクを背負ってクルマを運転なさっていたわけです。お互い様なんです。自分を必要以上に悪者にしないでください。
相手様には誠意を尽くして謝罪してください。あなたも私も体調の悪い時は運転しないようにしましょうね。
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。
とにかくショックでずっと頭も心もぐちゃぐちゃだったのですが、少し整理ができました。
同じ過ちを繰り返さないよう、日々大切に過ごしたいと思います。