どのように考えれば?
いつもありがとうございます。今回も僧侶の先生方にご指導賜りたく、よろしくお願いいたします。先日尊敬する先輩からお話を頂きまして、お坊さんになる為にお寺で働けることになりました。労働条件として、宿坊業務はやらず法務見習いをするとの事でしたので、長年働いていた会社を辞めてお寺に行きました。行くなり宿坊業務と台所仕事、掃除等の外回りの仕事ばかり指示されました。前々からいる事務員は何を尋ねても答えませんし、的確な指示もなくどうしていいか分かりませんでした。独りで何から何まで抱えることになりまして、いっぱいいっぱいになり「これはちょっと違うぞ」と思いました。先輩に助けを求めても「とにかく耐えろ」しか言われませんでした。しまいにはその事務員は、やってもないことを住職に告げ口され、住職から注意される始末でした。もう限界と住職にありのままをお伝えして辞めて来た次第です。職を失い、年齢的にお坊さんになる夢も絶たれ、途方にくれています。どうか先生方のご指導をよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「滅多にこの緒を解くなよ」と言われて 盛永宗興
尊敬する先輩に世話をしてもらって、悲喜の涙を拭いながら入門したお寺では、雑用ばかりを押し付けられて不当な扱いを受けてきた、と思ったわけですね。
自分は、こんなことをやりに来たのではない。
なぜ、自分がこんなことをやらなきゃならんのだ。
花園大学元学長の故・盛永宗興師は、若い頃に大徳寺へ修行に入る時、お師匠様直々に草履の緒を結んでいただき「滅多にこの緒を解くなよ」と言われて涙を流しながら感動し、決死の覚悟で旅立ったまさにその日の朝、道場の門前で邪険に扱われ(これはお決まりの入門のシナリオ)、腹が立ってきてもう辞めてやろうかと思った。その時、その程度の弱い意志しか持ち合わせていない自分の馬鹿さ加減に気付き、愕然としたそうです。
ところで、あなたのおっしゃる「お坊さんになる夢」とは、世間一般の人々とは一線を画すような、特別な何かを身に付けてか傅かれるような「偉くなる事」だったのでしょうか?また、年齢や今までのステータスのおかげで、ある程度の段階から横入りさせてもらえるとでも思っておられたのでしょうか?
なんで僧侶を目指したんでしたっけ?
<追記>
僧侶を志したあなたの動機は、決して不純なものでないと思います。しかしながら、その動機こそがあなたを苦しめているようにも私には思えます。
http://h-kishi.sakura.ne.jp/s-187.htm
ちょっと長い文章ですが、何かのご参考になれば。
私も役僧をしていた駆け出しの頃、あなたと同じ目に遭い、同じように苦しんだものです。でも、私の場合はNHKの番組だったと思いますが、盛永師の語る言葉を聞き、雷に打たれたような衝撃を伴って目が覚めました。今でも時々、当時と同じ心に囚われそうになることはありますが、そのたびに盛永師の言葉を思い出します。
質問者からのお礼
転落院先生、この度はご回答頂きましてありがとうございました。僕がお坊さんになろうと思ったきっかけは、自分が無明の中をさ迷い歩いていた時、導かれるようにとある伝統仏教の本山にたどり着いて仏の教えに触れて、真人間として生きる道筋を付けて頂きましたので、今度は僕が同じように無明をさ迷い歩いている人に、仏の教えを元に正しい道を示して差し上げたいと思ったことと、僕自身が幼少期母親から精神的・肉体的虐待を受けて育ちましたので、最近頻発しています子供の虐待で子供ゆえに逃げ場なく、されるがままの子供たちに、昔の自分が重なり、寄り添って「苦を抜き楽を与える」ようにしたいと思ったからです。そして僕は下座が嫌だとかは決して考えておりません。むしろ進んでやりたいと思い、質問したり指示を仰いでも、全く取り合うことなくヒステリックに吐き捨てる女性事務員にはとりつく島もありません。住職に相談しても「事務員に従いなさい」としか言われず八方塞がりです。これは「行」以前の問題です。また決して、年齢やキャリアを振りかざして横から入る等考えたこともありません。今回ご回答頂きましたこと、転落院先生に感謝致します。