「諸行無常」「袖振り合うも多生の縁」
大切な方に、恩を仇で返すような非礼を行い怒らせてしまいました。
自己嫌悪に苛まれる日々、大切に思っていた方に何であんな事をしたのか?と問い詰めながらも、心の何処かに相手もちょっと非があるかも、なんて事を考えていました。
そんなある日、hasunohaを見ながら布団で寝ていたら、お坊さんが現れて「諸行無常」とハッキリ呟きました。
朝、とにかく全てを受け入れて、心からの謝罪をしなければいけない。まずはきちんと謝って、受け入れて貰えなくても諸行無常。ありったけの思いつく言葉で謝罪の言葉を伝えました。
お相手から返って来た返事が「袖振り合うも多生の縁」でした。
許す許さないとは書かれていなかったけど、この言葉を受け取り涙が止まりませんでした。嫌味で使う言葉ではないと信じたいです。
「諸行無常」呟いてくれたお坊さんに導かれ「袖振り合うも多生の縁」と言う言葉に出会わせてくれた事。
こんな事って、よくある事ですか?僧侶の皆様におかれましては、このような不思議な話は考えられますか?
この不思議なお話を僧侶の方々に聞いてもらいたかったのと、お礼がしたくなったので、どの方法がよいかご教示下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去は過ぎ去り、すべては空なり、師は経験なり
はりりんさん
拝読させていただきました。
一言ですべては諸行無常です。
人の心も十人十色であり、その一人ひとりには明日の予定や、抱えてる責任感、仕事プライベートの悩みと、皆こころの中でそれぞれ深い悩みというものも持っているものです。
そこに「袖振り合うも多生の縁」と返答が来たなら、尚のこと諸行無常な人生だから、誰にでも失敗や後悔や嫌な思いは必ずしもあるものなんですとお伝えしてくださっていると思います。多生の縁では偶然ではない、昔からの深い縁があってのことだから、気にせず気にせずとおっしゃってくれていることと感じます。
仏教では偶然というものは無いと説きます。昨年の晩ご飯を何を食べたなんて、記憶はないのです。
過去に起こった事象をすべて記憶できる脳力は人間には備わっていないので、偶然と捉えてしまうのです。わたしはちなみに毎日、不思議と思えば不思議の毎日を送っています。
それは霊やオカルトといった類のものは全く無いですよ。
偶然の出会いや不思議な縁をセレンディピティとも現代では訳す人もおられます。少しネットで調べると分かりやすく書いてる記事もたくさんあります。
諸行無常、すべての事象というものは存在しているようで、同じ物事も留めることもなく、また心も同様にすべては移り変わっていき、人は大きな挫折や失敗をしたときに、心の弱ったところに、はりりんさんのハマる言霊が見つかれば、座右の銘ともなることに繋がるものでもあります。
過去は過ぎ去りました。誠実さを持ち合わせている、はりりんさんは今回の機会でまた一つ人生のステージを上がられ、人生に深みを感じ、生きる心構えなども含め、どんどん善き方向へと人生が進んでいくことと思います。
合掌
南無大師遍照金剛
ありがたいご縁ですね
拝読させて頂きました。
読ませて頂いて素晴らしいご縁というか巡り合わせだと感じましたね。そのお坊さんのおっしゃったことを素直に受けいれて心から謝ったことがまた素晴らしい巡り合わせとしてその方とのつながりの中で生きていったのかと思います。
私達は決して独りで生きているわけではありませんし、勝手に生きているわけでもありませんからね。当たり前のように思うことが実は決して当たり前のことではなく奇跡的な巡り合わせやご縁の成り立ちの中でいきづいています。
「諸行無常」のお言葉を素直に受けとめたあなたの心や行いがこれからもそのように人とのご縁を結んでいくのかと思いますよ。
その方がおっしゃる「袖振り合うも他生の縁」も今生だけのことではなく生まれ変わりの中で奇跡的に出会った中でのつながりや出来事なのかとおっしゃっているのかとも思います。
どうかそのように人とのご縁をこれからも大切になさって下さいね。それにより様々なご縁がより広がっていくでしょうからね。
あなたのそのお話はまた巡り巡ってそのお坊さんに伝わっていくのではないでしょうか、或いは仏様やあなたのご先祖様方が既にもうご覧になってよくご存じなのではないでしょうかね。
あなたがこれからも素直なお気持ちで皆さんとお付き合いなさりながら、お互いを思いやり助け合いいろんなことを分かち合っていかれ、皆さんと一緒に幸せに生きていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。
お話お聞かせいただいてありがとうございます。ありがたく受け取らせて頂きますね。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
人は皆間違えたり失敗がある。許された経験を活かして、人に優しくありたいと思いました。
これからの人生、この2つの言葉を胸に人との出会いを大切にしていきます。
この出来事をお坊さんにお伝えしたく、また、今度の休みにお寺に出向きお礼をしてこようと思います。