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亡くなった人の思いはあるのかないのか

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有り難し有り難し 21

今年四月に父が亡くなりました。
両親は私が五歳の頃に離婚をしました。
母に育ててもらいました。感謝しております。
私は今まで父の事をないものとして生きてきました。
帰ってこない、蒸発した父と教えられてきたので
その通りだと思って生きてきました。しかし、本当は違いました。
父は母と離婚したのち、数年後に再婚しておりました。
そのことを親戚に聞きました。子供まで二人作っていたことも
知りました。正直ショックでした。そんな人だと思いませんでした。
それも父が死んでから親戚に電話口で聞かされました。
私は今まで二十年以上、何も知らずにのうのうと生きてきたのです。
馬鹿馬鹿しくなりました。そして情けなくもなりました。
自分に対しても、父に対してもです。
私は父のことが好きでした。今も好きです。
本当に好きでした。それなのに父は裏切った。
今も苦しいのです。私にはお父さんがいなかったのに
その子たちには二十年以上、お父さんがいた。
一緒に生きてきた。一緒に生活をしてきた。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、そんなこともあったのでしょう。
そんなふうに普通の家族としてその二人の子供はお父さんと一緒に
いれたのです。しかし、私にはそれがなかった。
父は私のことを無いものとして生きてきました。
私のことを完全に無視しました。
しかし、私もまた同じでした。
私も父の事を無いものとして生きてきました。
そうしなければ、生きていけなかったからです。
封印して父の記憶消しました。父と私は似ています。
きっと父もそうだったのではないかと思います。
本当はつらかった。今も苦しいのです。
死んでから父のことが頭から離れません。
今まで生きている間は父のこと考えもしませんでした。
忘れているのではなかったのですが、封印したのです。
父に会いたいと思ったことも全くありませんでした。
しかし、父が死んでからそのことを聞かされてから
父に会いたくて会いたくて堪りません。
こんなに人を思う、こんなに誰かのことを思うのは、
私の人生の中で初めてです。自分がビックリしています。
毎日毎日父のことばかり考えています。
昔はあんなにどうでもよかったはずの人なのに。
もしかすると父も私のこと見ているのでしょうか。
父も私のこと思ってくれているのでしょうか。
私は何故だかそんな気がしています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出会い直す

ご相談拝読しました。お父様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

苦しく切ない胸の内をお聞かせいただきました。亡くなったお父様がどこかに何らかの形で存在してあなたのことを思っているかどうか、それは確かめることはできません。
しかし、あなたがこんなにもお父様のことを思うということからは、亡き今も、そしてこれからも、お父様の存在はあなたに大きな影響を与えるということは間違いなく言えるのでしょう。それはけして自分の気持ちの問題というだけでなく、お父様の存在の事実、そしてご命終の事実からあなたが問われ続けるということなのだと思います。

>昔はあんなにどうでもよかったはずの人なのに

とのこと。実はそうではなく、どうでもよくない人だからこそ、その存在があまりに大きいからこそ、あなたは自分の中でお父様の存在を封印したのではないでしょうか。生きていくために。

そこから想像できることはお父様にとってもあなたの存在はとてつもなく大きなものであったということでしょう。お母様との関係やその他事情もあったのでしょうか…願ってもあなたにできなかったことを新しい家族において営みながら、やはりあなたへの思いはあり続けたものと想像します。お父様もやはり生きていくために自分の中での選択をしたのでしょう。

それを裏切りと言うあなたのお気持ちはけして否定できません。でもあなたも感情的に今すぐ受け入れられないだけで、けしてそれだけではないものを心で感じていることとお察しします。

その思いが、あなたのことを思い続けるお父様という形であなたの中に表れているのではないでしょうか。

人は亡き後でも出会い直せます。出会い続けていけます。それぞれの状況や感情が許せる範囲やタイミングの中で、お母様やご親族やあるいは向こうのご家族などから、お父様の存在の事実のお話しをお聞かせいただくことはできるでしょうか。

その事実から、ずっと無限のはたらきを受けていけます。「あなたにとって」のお父様との再会がそこには間違いなくあるのです。

お父様の願いに触れる、そのお父様のご命終という縁において仏様の願いに触れる、その中で「あなたにとって」のお父様との出会い直しがあるのでしょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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あいあい傘

なほこさま

色々な事情があれども、自分の子どものことを思わない親はいないのではないだろうかと存じます。

貴女さまが今、思っておられるように、お父様もきっと貴女さまのことを思っておられているのではないだろうかと思います。

ご質問を拝見しまして、ある映画を思い出しました。

「あいあい傘」という映画です。宜しければご覧になられてみて下さい。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

なほこです。お返事読みました。
川口英俊様、あいあい傘見てみます。
お父さんも思ってくれているといいなと思います。
お優しいお言葉を、本当にありがとうございました。
テレパシーみたいなものがあの世にもこの世にも
あるといいのにな、とふと思います。

吉武文法様、出会い直し、という言葉にハッとしました。
なるほどと思います。亡き父ではありますが確かに今再び
出会い直しをしている感覚があります。
私の知らないお父さんとの出会いです。
それはそれでこんなに素敵なことはないのだろうなと思います。毎日苦しみの中ですが出会いだと思えれば毎日が少し楽しくまた輝き素晴らしいものとなるのかもしれません。大変勉強になります。煌めきの中でお父さんとの思い出を辿ってそしてまた作っていきたいと思います。お父さんとの新しい出会いを期待しております。向こうで会った時に懐かしさを忘れずにいようと思います。

お二人のお坊さん、本当にありがとうございました。
感謝しております。お身体にお気を付けください。
ご自愛くださいませ。それでは、失礼いたします。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ