いじめに立ち向かうのに疲れた
学校で宿題や私物を隠される、障害をばかにされるなどのいじめにあっており、教師やカウンセラーにも相談しました。
教師はできるだけ問題にしたくないからか、いじめっこの主張ばかりを尊重し、私の言い分は被害妄想であると決めつけます。
相手親からは、「今まで障害者として甘やかされて育ったから、多少の意地悪がいじめに見えたのではないか」「障害者は世間に迷惑をかけているから、多少の意地悪は我慢すべき」などと言われました。
最初から誰にも相談せず我慢した方が、傷付かずに済んだのかもしれないと後悔しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
傷ついたことが無駄にはならない
ネギさん、書き込みありがとうございます。
いじめにあって、そのことを教師やカウンセラーに相談したのに適切に対処してもらえない。それどころか保身のために、ネギさんのせいにするなんて、あまりにも酷いことだと思います。
誰も信用できなくなって、誰にも話せなくなっても不思議ではないことだと思います。そのような傷つかれた中で、勇気を出してこうやって、ネギさんが、hasunohaに書き込んでくださったことに、感謝いたします。
周囲の大人が信用できない状況でのいじめって、辛いですよね。もちろん、ネギさんが置かれている今の状態は私には想像することしかできず、それは私が思っているよりも辛いことだと思います。
ただ、たまたま、私もかつてネギさんと似たような経験をしたことがあるので、ネギさんの置かれている状況に、私自身の過去の姿を見ているような気持ちになっています。
ネギさんには、申し訳ないのですが、解決手段を提案することはできません。他の信頼できる大人を探す、他の教員や教育委員会なども考えられますが、また裏切られて傷つくのはしんどいなあと、かつて私は感じていました。
言えることとして、いじめは絶対に許せないし、傷つくことは嫌なことだけれども、それは、これからのネギさんの人生で無駄にはなりませんよ。ネギさんが傷ついた経験は、誰かが同じように傷つきそうな時に、他の人には気がつかなくても、ネギさんならば敏感に気がつくことができるそういう性質のものだと思います。
ネギさんは後悔しているそうだけれども…実際誰も助けてもらえない状況ならば後悔するよなと、私もとても共感することなのですが、でもね。後悔しなくても良い道はありますよ。
繰り返しますが、ネギさんが傷ついた経験は、ネギさんにとって無駄にはなりません。最後に、藤城聡麿という僧侶の言葉を紹介させてください「これからがこれまでを決める」
ネギさん、あらためて、傷ついた胸の内を明かしてくださったこと、どうもありがとうございます。
質問者からのお礼
親身になってお話を聞いてくださり、本当にありがとうございました。勇気が持てました。諦めず、他の教師にも相談してみようと思います。