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他人に怪我を負わせてしまった

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有り難し有り難し 11

初めて相談させていただきます。

他人に怪我をさせてしまった罪悪感で消えてしまいたいです。

先日、私は友人に怪我をさせてしまいました。
私が足を滑らせて転んでしまい、それにその友人を巻き込んでしまったのです。
私自身は軽い怪我ですみましたが、
友人は病院に行かないといけない状況で、その後すぐに病院に連れていき、応急処置をしてもらいました。
友人の怪我は、日常生活はできる程度ですが、場合によっては痕が残ってしまうかもしれないそうです。
治療費と慰謝料の支払いについて、友人から「しばらく経過観察が必要みたいだから、それが終わったらまとめて連絡するね」と言われており、今はその連絡待ちの状況です。

この事故が起きてから、悔やんでも悔やみきれなくて、毎日罪悪感で押しつぶされそうです。

10年来の友人で、本人は「あんまり自分を責めないで、引きずらなくていいから」と言ってくれています。私が「もしまた会ってくれるなら、治療が落ち着いた頃に改めてお詫びをしたい」と言ったのにも、承諾してくれました。

それでも、自らの不注意で他人に怪我をさせてしまったことに後悔の念でいっぱいで、苦しくてたまりません。
そんな権利は自分にはないのに、赦されたいと思ってしまいます。

友人を病院に連れて行ったときから今まで、毎日泣いてばかりです。
友人の方がずっと辛くて大変なのに、「気にしなくていい」と言わせてしまうほど気を使わせてしまっているのも申し訳ないのです。

まだ治療中なので、補償が済んでいないというのもひとつの要因かもしれませんが、それが終わったとて、この罪悪感が消えるとは思えません。

この苦しさとどう向き合っていけばいいでしょうか?
お知恵をお貸しください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

迷惑をかけながら生きている

 こんばんは。いきなりタイトルでまた辛くなってしまったかと思いますが、私たちは大なり小なり周りに迷惑をかけながらしか生きられません。私は浄土宗ですが、日々読むお経の前半に「懺悔偈」という、「自分の至らなさ、小人であることを肝に銘じよ」といったパートがあります。
 実際、自覚していなくとも私たちはお互い、他人に寄りかかり、助けてもらい、許してもらいながら生きています。違うとすれば、その自覚があるかないかだけではないかと思うほどです。
 今回のことについては、わざとでは無いし謝ることもして、お相手も許してくださっているようです。ですから、貴女がいつまでも自分を責める必要はありません。
 しかし、今回のやり取りを忘れない事には意味があります。もし今後、貴女が誰かの不注意で怪我をしてしまったら。その時に今回の方のような対応が取れるか。その方の価値観を体現できるか。「許し合って私たちは生きている」ことを示せるか。それが今の貴女に課せられた問いだと思いますよ。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

お返事ありがとうございました。
一文一文、とても心に沁みる文章で、読み進んでいくほどに胸につかえていたものがとれたような気持ちがしました。
自分が同じ状況になったときに、今回の友人が与えてくれたような許しの気持ちを体現できるかどうか、というところに深く感銘を受けました。本当にその通りですね。
これからの人生 許し合って生きていけるよう、胸に刻みたいと思います。
ご回答ほんとうにありがとうございました。

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