離れて住む姉の死
今月離れて暮らす姉が突然亡くなりました。訃報を聞いた時からなにが起こっているのか現実を受け止められずにいます。
駆けつけ、姉の顔を見た時に本当に亡くなってしまったのかと思いました。
葬儀やその後の手続きで忙しかったということもあり何かよくわからない感情のまま時間が過ぎてもうすぐ1か月になろうとしています。
姉が居なくなってしまったという空虚感が残りました。
ただ本当は帰ってくるのではないかとか、どこか遠くに行ってしまっただけではないかとか受け止められずにいてまだ悲しみに暮れるということがありません。
年老いた両親の憔悴した姿を見たということもあり、支えることに必死だったというのもあります。
強がらなくていい、気丈に振る舞わなくていいと言われますが私自身普通にしているつもりではないのですがよくわからない感情の中で今を生きています。
葬儀のときも私は涙は出ず参列者の方々の方が泣いていたりしていました。
昨日は、姉とよく行ったショッピングセンターで夕陽を見た時に胸が苦しくなったり、夢で会えた時涙がつたっていたりと小さな悲しみがくる時があります。
いつか姉の死を受け入れ、こんなふわふわした感情ではなくなる時がくるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相応の月日、故人の行先
こんにちは、はじめまして。
先ずはお悔やみ申し上げます。
お悲しみでしょう。
私は、立場上多くのご遺族の方と触れ合います。
お葬儀で激しい悲しみを表される方もいますし、全く表面上変わりがなさそうな方もいます。ただ、どちらもお悲しみ深いことには変わりがないと思っています。
1周忌を終えても、ふとあのドアから息子が帰ってくる気がしてならない、という方もいます。身近に一緒に暮らしていて、朝、元気に出勤したきり帰ってこなかった。いつか、ただいま、という声が聞こえてくる時が来るかも知れない。だから、今でも不思議と涙が出ないんだ、と語る人もおられます。
頭では、理屈では分かっているけれども、心まで一致しない。そんなちぐはぐな両面を併せ持っているのが人間なのだと私はつくづく思います。
「ただ本当は帰ってくるのではないかとか、どこか遠くに行ってしまっただけではないかとか受け止められず」と、あなたも仰っています。上記のお話と合わせ考えると無理のないことだと思います。ましてや、離れて暮らされていたのだから、ふらっと会いに来そう、と考えても現実感覚としておかしくないのでしょう。
「いつか姉の死を受け入れ、こんなふわふわした感情ではなくなる時がくるのでしょうか」とお尋ねです。これから、現実として死を受け入れ、得心するにはやはり月日が必要でしょう。
そして、もう一つは故人はどこにゆかれたのか、を把握することも大切です。我が宗派では、極楽へ阿弥陀様の御手に抱かれて往かれるととらえます。故人は仏国に安んじているか、どうかを知ることも心の安定に繋がります。
ただ、あなたのご宗旨が分かりませんので、これ以上はあなたなりの信仰に基づいた整理をしていただければと思います。
どうぞお大事になさってください。
お姉さんへの思いを大切に
拝読させて頂きました。
お姉さんが突然お亡くなりになられてあなたも様々な迷いや悲しみの中でなかなか受け入れていくことにとても戸惑いを感じていらっしゃるのかと思います。お姉さんのお葬儀においてもあなたは気丈に振る舞いご参列なさった方々にも気遣いなさっていらしたのではないかと思います。
親しい方が亡くなられたことを認識して受け入れていくことはそう簡単なことではありませんのでどうかあなたなりの受け入れていく時間の経過を大切になさって下さいね。私達の心は弱いですから受けとめていくにも時間も必要ですしタイミングもそれぞれあるものです。
亡くなられたことへの悲しみも尽きないでしょうからそのお気持ちも含めてお姉さんに心からお伝えなさってみて下さいね。
お姉さんは仏様のもと沢山のご先祖様方々に迎えられて心安らかになられて、あなたやご家族の皆さんを優しく見守っていらっしゃいますからね。
あなたの思いをゆっくりとありのままお姉さんにお伝えなさって下さいね。
いつかあなたのお気持ちの中で整理されていく日が参ります。
あなたがこれからもお姉さんとのご縁を大切になさりながら、ご家族の皆さんとお互いを思いやり助け合い、皆さん仲良くお健やかに生き抜いて下さいますようにと心よりお姉さんにお祈りさせて頂きます。