心の整理がつかないです
今までずっと健康体だった親友が去年の8月に
急性白血病と診断され昨日余命2カ月と言われたと聞かされました
先月は退院出来るかもしれないと聞かされていたので尚更辛いです
親友とは小1からの付き合いで
私の誕生日が7月で誕生日を祝って貰い
それから1か月後に親友は入院して今に至ります
今年でお互いに40歳になる節目の時で
親の事を気にしながらお互いにまた仲良く過ごして
頑張ろうと誓い合ったのが最後です
私自身去年の4月に父を癌で亡くして
今年は親友を失うと思うと気持ちが辛くてしょうがないです
正直父を失った時より気持ちは落ち込んでます
父は不摂生が原因で癌になったのと思ってるので
仕方がないと思いますが親友は酒や煙草
夜遊びなどもしなくて真面目な人間です
世の中には詐欺や平気でパワハラなどする人が
健康で生きていて何故親友がと思ってる位です
歩いてるだけで車で轢かれたり刺されたりする人も
いますので運命って本当に分からないものと思ってます
母の前では気丈に振舞ってますが
親友の事を想うと泣けてきて風呂場や
就寝時の時にだけ泣くように心掛けています
本当は親友が亡くなったら俺も後を追いたいぐらいです
だけどこんな駄目な自分でも母は私を必要と言ってくれるので
母の為に頑張って生きなきゃと思いますし
私が先に亡くなったら亡き父にあの世で殴られると思ってます
自分が傷つく分には努力が足らないから仕方がないと耐えたり
割り切れますが大切な人が傷つくのは心が耐えられません
相談内容と言いますか心が苦しかったので
長文な文章を書いてしまい大変申し訳なく思っております
心が強ければ悩まなくて済むんですけどね
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
出会った縁、重ねてきた時間、大切な存在であることを伝えよう。
まだまだこれからも共に喜び合いながら生きていく友だと思っていた存在が、病に苦しみ、余命を告げられる。到底 受け入れられないですよね。夢ならどんなにいいか…
身近な人が、自分のそばからいなくなっていく。死を見ていくことは、生きることを考えさせられますが、こんな形で突然に、一生懸命に生きてきた人に病が襲う。あまりにも残酷で、ご友人も不安で怖くて堪らないだろうと思います。
こうして出会った縁を、重ねてきた時間を、大切な存在であることを、お伝えしたいですね。ずっと大事に想っていること、これからも親友であることを、届けましょう。
仏教では、この世のあとは、生まれていく世界が待っています。命終えるのではなく、生き抜いて 願われ救われて往きます。また遇える世界。ずっと繋がり続ける存在ですよ。
どうぞ、親友との時間を大切に。愛を届けていきましょう。
心は、強くなくていい
こんばんは。質問文、並びにプロフィールも読ませていただきました。全く同感です。
私は、あなたより一回りほど上の年齢ですが、母が本当に年老いてきて、とても淋しい思いをしております。
坊さんとしては、「それがこの世の定めです。お釈迦さまの時代から、人は全員がこの問題に直面し、付き合いながら生きてきたのです。生とは死に至る時間のことなのです」と言えます。しかし、我が家族も、そして自分もその一つであることを思えば、やはり愕然とします。
だから。日々を無駄にしないように生きよう。せめて後悔少なく…したいこと、避けたいこと、願うこと…のために自分を律し続けたいと心がけています。
更に、そうは言っても100%やれているかと問えば、答えはノーです。
その自分を見て、「ダメだダメだ」を言うこともできるし、「頑張ってるよ俺」を言うこともできます。
自分にも娑婆にもうんざりしながら、それでも時々見つかる「美しいもの」を、しっかりキャッチしながら足掻いている。それが精一杯の「生きる」ということではないかと思います。
私たちは、多分誰かのために生きています。周り回って自分のためになることもあるけれど、それはボーナスみたいなもの。「ダーリン」という曲でも「誰かの私に、なりたかった」という歌詞があります。いま少なくとも「彼にとっての友達である」こと、「お母さんにとって大事な息子でいる」こと。あなたは確かに意味のある人生を生きておられると、私には見えますよ。
悲しみの中で、今できること ~ かけがえのない親友へ ~
ハスノハにご相談いただき、有り難うございます。
かけがえのない親友の余命宣告という辛い知らせを受け、「心の整理がつかない」とおっしゃっていますが、それは当然のことです。長年、人生の節目節目を共に祝い、励まし合ってきた大親友ですからなおさらです。40年近くにわたる深い関係性があればこそ、その別れの可能性に対する悲しみや衝撃は、計り知れないほど大きいものだと思います。お風呂場や一人の時間に涙されているように、今は悲しむことをご自身に許してあげてください。その涙は、hiroさんが親友をどれほど大切に思ってきたかの証です。
余命宣告について「もう2ヶ月しかない」と受け止め、絶望的な気持ちになるのも無理はありません。しかし、「まだ2ヶ月、親友と過ごせる時間がある」と、少しだけ視点を変えて捉えてみることもできます。残された時間の中で親友のために、そしてご自身のために「何ができるか」を考え、行動することは可能です。
もし可能であれば、親友の話に静かに耳を傾け、その複雑な心境に寄り添ってあげてください。特別な言葉はいらないかもしれません。ただそばにいて、うなずき、時には一緒に涙を流す。心の整理がつかない者同士が、ただ共にいる。それだけで、大きな支えになることがあります。
お釈迦さまがまさに涅槃に入られようとする時、悲しみにくれる弟子のアナン尊者に対して、「私に会いたければ、私の説いた教えを大切にして生きておくれ。そうすればいつでも私に会えるのだよ」と語られたと伝えられています。肉体には限りがあり、いつか必ず別れは訪れます。しかし、親友と過ごした時間、交わした言葉、共に笑い、泣いた思い出は、決して消えることはありません。それは、これからもhiroさんの心の中に生き続け、人生を照らし、支えてくれるはずです。
悲しい現実を目の当たりにするからこそ、私たちは、今ここにあるいのちの尊さ、当たり前のように過ごせる日常の有り難さを、より強く実感することができます。その大切な気づきを、親友にも伝えてあげてください。「あなたと出会えてよかった」「たくさんのことを教えてくれてありがとう」と、感謝の言葉を伝えることも、今できる大切なことの一つかもしれません。
どうか、一人で抱え込まないでくださいね。ハスノハはいつでもhiroさんの声をお待ちしています。
質問者からのお礼
お忙しい中私の為に色々答えて下さって有難う御座います
親友は私と出会えた事は宝だと言ってくれました
私自身も同じ考えで今回親友を失うのが凄く辛いです
これからも自分よりも回りを大事にして生きて行きます
親友はそんな優しさに惹かれた言ってくれるので
今回質問に答えて下さった方々に敬意を示すとともに
身体に気を付けてお過ごし頂ければ幸いです