母の死から生きる力を無くしました
何度が相談に乗って頂き感謝してます。
母の死から2ヶ月以上が過ぎ、以前より泣く回数は減りましたが、周りの人が羨ましくて落ち込みます。職場の人達はまだ親が健在な人多く、皆でワイワイ喋ってる時に、例えば親とのXmasや年末年始の話、芸能人の誰々はもういい年やろーしんだ?とか話題にして楽しそうに会話してますが、私はそれをまだ笑って流す事が出来ず、自分には母がいない、皆が言う「いい年」にあてはまり笑われてるのが悲しくなります。もちろん私の母の事じゃないし、2ヶ月経って職場の人達の中では、私が母を亡くした事は忘れてる事で‥でも私は笑えません。皆が幸せそうで楽しそうで。何で私の母は今年、家族とお別れしなきゃならなかったの?もう私の一番の味方、相談相手がいなくなり、何を楽しみに生きればいいかわからなくなって、自分を大切にするのが意味無いように思います。私には主人はいますが、子供もいませんし、本当に毎日何の為に生きてるかわかりません。子供がいれば、子供の為にとか将来どんな風に成長するか楽しみに、子供のイベント行事があったり、入学卒業、就職、結婚、孫‥と新しい出来事と出会えるチャンスがあります。私には主人と老いていくまで働いて暮らすくらいで、まだ残ってる親の死にいずれ又会い、悲しむくらいしかありません。明るい事が無いです。周りと比べてどんどん悲しくなります。勝手なのはわかります。一番辛く悲しい思いをしたのは母で、病から解放出来て母は楽になったと思いたいですが、今の平均寿命から考えると、まだまだ元気でいて欲しかったとも思います。色々悩む自分が一番嫌いです。好きになれない、楽しみない、本当にこの世に私は存在してる価値あるのでしょうか。
周りが普通に結婚して子供出来て家族作っているのを見ると自分と比べて落ち込む。 独身の女友達は仕事もお金もあり、悠々自適生活してて羨ましい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母様はいつもいます
拝読させて頂きました。
あなたが大切なお母様を亡くされてとても悲しい思いさみしい思いをなさっていらっしゃることを読ませて頂きました。あなたのその思いを心よりお察しします。
お母様を心よりご供養させて頂きますね。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
周りの人々がそのように楽し気に話し合っている姿をみてとてもそんな気分になれ礼お気持ちよくわかります。
私もそう思います。私も2年前に母を自宅介護で看取りました。70過ぎですからやはり早かったのでは、或いはもっとできることはあったのではないかとも今でもふと思いますし、家のこたつを見ていると今でも穏やかに母が座っているような錯覚にとらわれてしまうことがあるものです。ですからそのような気持ちは尽きないものです。とはいえ母は死の間際に沢山のお迎えがいらっしゃていました。両親や先に往かれた方々や仏様が母を迎えてくれて、母は声掛けしていました。名残は尽きないですけれども母は今も心穏やかに私達を見守っていて下さいます。
あなたのお母様も必ず仏様や多くの親しい方々に優しく迎えられて一切の苦しみもなく穏やかに皆さんと一緒に仲良く円満にご成仏なさっていられることでしょう。そしてあなたやご縁ある方々をいつも優しくお見守りなさっています。
あなたはいつでもお母様に守られていきていらっしゃいます。そしてあなたには沢山のご縁ある方々と共に生きていらっしゃるのです。
そして私達は必ず親しい方々がお亡くなりになるのです。そうして初めて生きること死ぬこと或いはそのご縁を痛感することになるのです。それは遅いか早いかの時間の問題です。
今楽しそうになさっておられる方々にも必ずその様な時がくるのです。それが世の習いですし真理です。ですから周りの方々のことは気にすることなく流していけばいいと思います。
あなたが悲しい時にはいつでもお母様があなたに寄り添いあなたのお声に耳を傾けあなたの思いを受けとめて下さいますからね。
あなたがこれからもお母様とのご縁を大切になさりながら皆さんと一緒に健やかにその人生を生き抜いていかれます様心よりお母様にお祈りさせて頂きます。
あなたが天寿を全うする時も必ずお母様があなたを優しく迎えて下さいますからね。
質問者からのお礼
頭ではわかっている事ですが改めて言ってもらえると、やっぱりそうだよねっと納得出来そうです。周りを意識せず、いずれ皆も私のように親を亡くす事が絶対ありますもんね。まだまだ悲しみや辛さはあふれそうですが、
私は毎日母を想いながら自分の寿命まで生きていこうと思います。ありがとうございます。