両親が亡くなり、先の事が考えれません
以前、死ぬ事を常に考え ここに質問させて頂きとりあえず母が生きてるうちは先に逝く事だけはしないようにと踏ん張っていました。
9月に母が亡くなり ふっと心の踏ん張りが消え毎日死んだ両親に会いたいと写真を見て泣くばかりの生活を送っています。
今までは毎日気丈に振る舞い、1人になっては葛藤し疲れ果てては母の優しい言葉に助けられていましたが今は縋るものが無く、本当の意味でどのように自分の生き方に終わりを迎えるべきか考えています。 夢に両親を見たら辛いから寝る事も怖く、現実の世界を生きてるのも辛く ただただ1日が始まるのを恨んでいる自分がいます。
生きなければいけない理由を探す事がとても辛く、どうやって自分と向き合うべきかわかりません。
己の手で死ぬ事はよくない、悪手だと様々なお坊さんはおっしゃいますが果たして本当にそうなのでしょうか その先に更なる苦しみがあろうとも、無限の暗闇があろうとも今の肉体がある辛いだけの現実を終わらせるなら意味が無いとは思えないです。
そこに母や父が居なくとも、忘れれるなら 考えなくて良くなるならと毎日悩んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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先ずは、心の支えを
こんにちは、初めまして。
大切なお母様がお亡くなりとのこと、先ずはお悔やみ申し上げます。
お悲しみ、お力落としておいでのことでしょう。
「母の優しい言葉に助けられていましたが今は縋るものが無く」というお気持ちの切実さが伝わってきます。現実に目の前に居てくれて、声をかけてくれる存在があることは心強いですよね。また、その存在が居なくなった事による落胆も深いことでしょう。
ただ、「母の優しい言葉」は、生前だけに有効だった言葉だったのでしょうか。
いや、あなたの記憶の中で、心のなかで、お母さんは生きているのではありませんか。残念ながら人間は命いつまでも、とはいきません。でも、そのあなたを想う、慈しむ心は、いつまでもあなたの心を支えてくれているのだろうと思います。
あなたを産んで、育てて、支えてきてくれたのでしょう。
その年月は、あなたを思い続けた歳月です。
お母さんは、生前にどんな言葉をかけてくれていたかな。
あのときの言葉は、どんな意味だったのだろう。
もしかしたら、良く消化しきれていない部分があるかも知れない。
そう考えれば、あなたの中でお母さんはこれからもずっと生きていてくれるでしょう。そして、その姿をお母さんも見てくれている、そのように生活していけば宜しいのではないでしょうか。
まずは、自分の心の支えを、少しづつ実感のあるものへと定着させていってください。
そして、心の余裕が出来たらでいいですから、次の事も少し考えて頂けたら幸いです。心の支えとともに、現実の周囲と生きていくのに必要な視点だと思いますから。
前回の質問を拝見しました。
あなたは、「社長の養子」として迎えられた。そして、「養父いがいの養母、妻から執拗な叱責を受ける日々」と書かれています。つまり、周囲から孤立しているように思えるけど、「養父」は進んであなたを責めていないように受け取れます。味方とは言えないまでも、中立的な立場をとってくれることに目を向ける必要があるのではないでしょうか。
また、「元々現場仕事で尚かつ元経営者であり」「他業種の人と揉めてばかりだった自分は扱い悪いのか復帰も先延ばしにされ」と書かれています。新しい環境になったのだから、以前の「揉めてばかり」の自分を少し方向転換する必要もあると思います。
色々申しました。
どうぞお体をお大事に
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