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母親との関係について

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

文章の下手なところがあると思いますがよろしくお願いします。

私の母親との付き合い方、気持ち的な問題に悩んでいます。
私の父親は、酒乱で母にも暴力をふるっていました。
父ももともと病気があったらしく、それを悲観していたのか酒におぼれてやりたい放題の生活でした。そんな中、母は働いていたスナックで1人の男性に相談していたらしく2人で逃げて行きました。父は26歳という若さで病気で亡くなりました。当時私は3歳。離婚調停で親権は父にありましたが亡くなったので親族が母に相談すると「いまさら遅い!育てる気はない!」と言ったそうです。私は母方の祖父母に育てられました。その間もほとんど母は会いにも来てくれませんでした。
最近、その男性が病死したらしく、電話で「寂しい」と訴えてきます。
私は怒りや恨みの感情しかありません。
どう接していけばいいのでしょう?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分のために生きない を お互いの課題にする

おかわいそうに。それはきっと埼玉県だったからです。(ToT)
埼玉は幸が薄いのです。(嘘)
あ、私も同じ埼玉県のたんたん丹下と申します。よろしく。
みんな自分がピンチの時には自分の事しかみえないもの。
いまさら調子よすぎじゃね?という気持ちも分かりますが、当時母ちゃんも相当レオナルド・ザ・ピンチだったのでしょう。
今後は、様子を見ながら接しましょう。
大人として成長しているかどうか。悲しいですけど、苦難の道を生きてきたあなたの方が大人だったりします。
それを赦せる度量もあった方がイイとは思います。
自分としては許さんでもいいです。でも神仏の心を引き出して、人間の情けなさを理解したうえで容赦するのです。
自分がゆるすとか許さざるとにかかわらず、母ちゃんはかあちゃんなのです。
そこらへんを容赦の心をもって、あまり過干渉にならない程度に容赦するのです。
家族であっても、ちょっと他人感覚で付き合う方がうまく行く場合もあります。
あなたの丁度良い距離感をたもちましょう。赦せる時が来たら受け入れるのもいいですが、甘えから依存にならない様に気を付けましょう。たかられている知人がいます。
あー、なんで、こんなのが私の母親かなーって思いたくなってしまう事もあると思います。
それは誰だってある感情。
あなたとお母さんの存在は別々ココです。
別々存在として、見てあげてください。困った時は、いつでもお寺にどーぞ。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

そうですね。。。
みんなできた母親ばかりではないのはわかります。
家の母親はそうとうな落ちこぼれな母親なのかも(笑)

そんなどうしようもない母親にでも愛されたいとずーーーと願ってました。
何度も裏切られました(泣)
母も60代後半ですし、心配に思う時もあります。
育ての祖父にも「最後はお前が面倒みてあげてほしい。」っと言っていたのを思い出します。
そんな、仏様のような気持ちになれるのか不安です。

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