立派な人間になりたい
立派な人間になりたいという向上心があり、毎日、本を読んで知識を得たり体を鍛えたりしているのですが、立派な人間に近づいていってるという感じがしません。なんだか無駄なことをしている気がします。立派な人間っていったいなんなのでしょう?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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追記しました
こんにちは。
立派な人になりたいと努力をしているのですね。立派な事だと思います。
さて、勉強ができて体が丈夫な人はそれだけで立派なのでしょうか?
私はそのようには思いません。
学力がなくても、体が弱くても、思いやりがあり、正直で、人から信頼される人が立派な人と言えるのではないのでしょうか?
追記です。
周囲からどう思われようと、人が見ている/見ていない関係なく、好き/嫌いの区別なく、あなたが他人に対し親切な行動ができるのかどうか、正直であることができるかどうか、ということだと思います。人からの評価ではなく、あなた自身がどんな人間かという内面だと思います。
「嘘も方便」といいますが、自分を守る嘘は「方便」ではありません。べんかいです。他人を守りまた傷つけない嘘が「方便」と心得てください。
「できないからやらない」などと思わずに、できることから少しずつやっていけば良いと思いますよ。ご精進ください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
人間は物質なので、物質である肉体と心である頭を高めることが立派な人間に近づくことだと考えていました。人の違いは体と心ですから。
でも思いやりがあり、正直で、人から信頼されるというのは他者との接し方、自分がどんな人間かより他人からどう思われるかが立派かどうかを決めるということであってますか?
私は正直ではありますが嘘も方便と考え状況によっては嘘も使います。思いやりの気持ちは大事なペットぐらいにしか湧いてきません。
これでは駄目ですよね。