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自分でも不思議だなぁと思っています。

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有り難し有り難し 24

こんにちは。
私は無宗教…これといって何か1つを深く信仰しているわけではなく、全ての神様仏様は敬うといった考え方で生きているのですが、昔から海深くや森の奥などの自然、神社やお寺、教会などの神聖な場所に惹かれやすく、行きたい気持ちが強くなった時はお参りに行ってました(1番近くにあったのが神社だったので、頻度としては神社が多かったです。)

4,5年前から特にそれが強くなり、最近ではご先祖さま関係なく墓地にも行きたいと思う事もあります(ご先祖のお墓参りは行ってる方だと思います。)。
また、お経や真言を聴くと心落ち着くようで、寝る前や作業をしながら聴いたりする事も増えました。何故か聴きたくなるのです。

特に心が荒んでたり、何かにすがりたい、不安定、というわけではないですし、悪いことではないと思うので成るがままにしているのですが、自分でも不思議だなぁと感じています。
こういう事はよくある事なのでしょうか。

また、今は近くにお寺もあるので行きたいのですが、神社のように気軽にお参りして良いものなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人によって感受性が異なると思います。

 神様や仏様もメッセージを発信したり、念を送ったりしているかもしれません。

 それらを感じ取れる方もいれば、全く感じない方もいると思います。私は自分自身の勤めとして墓参りしておりますが、強く惹かれるといいうことはありません。お寺の住職をしておりますので、日々本尊様や祖師歴住のお参りをしていますが、特別な感覚が生じることはありません。
 
 「霊感が強い。」という方が時々居られますね。と言っても、かなり個人差があると思います。このhasunohaにも時々「見えないものが見える。」「神様が降りてきた。」という質問が寄せられます。他人である我々には、それが事実かどうか確認することは正直困難です。
 とは言っても、人類の歴史の中で「憑霊」「憑き物」という現象の記録はかなりあります。現実に「神が降りてくる」「神の声が聞こえる」から霊能者として活動している方も居られる。時には、「見えているフリ」「聞こえているフリ」の似非霊能者も居るようです。でも、本当に「見えている」「聞こえてくる」霊能者も居ると思います。
 但し、取扱い説明書があるわけではないですから、自分の能力をどうコントロールしどう活用したら良いか悩み苦しむ場合も多いと思います。仮に優れた予知能力を持っていたとしても、誰かに悪用される場合もあると思います。うっかり口を滑らしたために、魔女裁判にかけられた方も居たと思います。

 すぐれた感受性を持つことは悪いことではありませんが、取扱いには注意が必要だと思います。ご質問文を読む限りでは、神仏に好かれているように感じます。感謝の気持ちでお参りを重ねていけば、宜しいかと思います。

 お寺は気軽にお参りして大丈夫ですね。防犯上の理由から門戸を閉めざるを得ない場合もありますし、お寺の運営形態によっては特定のメンバーだけの寺という場合もあります。しかし、基本的に仏様はすべての方々のために、広大な、慈しみのある門を開いています。遠慮無く、お寺を参拝しましょう。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

「好き」とは何か説明のできるものなのか

ご相談・ご質問を拝読しました。

神社仏閣や神秘的な自然などがお好きで何か惹かれるものを感じておられるのですね。そのことに不思議な感覚を覚えていらっしゃるようですが、私たちの「好き」って何でしょうね?

おいとまさんには好きな有名人や食べ物や趣味はあるでしょうか?それについて

・なぜ好きなのか?
・いつ好きになったのか?
・なぜ別の代替ではダメなのか?

などを説明できるでしょうか?おそらくですができるものもあればできないものもあるのではないでしょうか。

例えばチョコレートが好きだという人がいて、それは「甘いものが好きだから」という理由の場合、甘いならば和菓子でも果物でもいいわけです。でもその人はチョコレートが一番なのです。それはなぜでしょうか?

これは究極的的には説明のつかないものです。まさに「好きだから」というだけで、あとは人知の及ばない「不可思議(思議すること〔思い計ること〕が不可である)」なものです。

もちろんそうしたことにも人知では及ばないだけで遺伝子の配列などの理由があるのかもしれませんが現状では分からないでしょう。

犬が好きな人もいれば猫の好きな人もいる。虫が苦手な人もいればそうでない人もいる。それは何かきっかけがあるからということもあれば、物心ついたらいつのまにかということもある。

それが人間の不思議です。そこに理由をこじつけようとする方が危険かもしれません。好きなものは好きなものとして素直に楽しんではいかがでしょう。

お寺の参拝については基本的に歓迎かとは思うのですが、そのお寺の事情によって異なる場合もあります。観光化された寺院なのか、地域密着で檀家さん中心のお寺なのか、修行道場の役割のお寺なのか祈願寺なのかなど…一口にお寺と言っても千差万別です。

通りがかった様子やHPなどを調べる他、一番確実なのは電話で一度問い合わせして見ることでしょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ