他人が不幸で自分の幸せに罪悪感を感じる
私はあまり幸せを感じた感覚が無く、ネガティブな感情が多いと思っています。
しかし幸せにはなりたいので自己分析を重ねた結果、ハッピーになった翌日に特に理由もなく落ち込む傾向が見えてきました。まるで幸福な自分に罪悪感を抱いているような感じです。
この傾向の発端には以下の要因が思い当たります。
1.小学校に私をいじめていた人が親から虐待を受けていたのを知っていたこと(自分がいじめに立ち向かってもいじめっ子は救われない)
2.腹違いの兄がイギリスに置いていかれて、奪い合いや殺し合いが日常的な生活を送っている事。(同じ兄弟なのに受けてきた支援のレベルが違う)
3.国際関係学専攻の為、必然的に貧困、紛争などの世界の不幸や不条理の情報が入ってくること。
上の問題は皆と同じく他人に対して無感覚になれば解決するだろうとは理解しています。しかし、余裕のある人たちが無感覚になることを選択しているからこそ、その他大勢の人が苦しみから救われずにいるのであって、自分もその一因に加わることは非人間的だと思ってしまいます。仮に無感覚になって幸せになっても自分を許せないでしょう。
ですが現実問題、たかが大学生が誰かを救えない。コロナが広まってからは精神的に不安定になり急激に成績が落ちたので、社会からはごみとして扱われるでしょう。教授は生徒の人生よりも自分たちの研究優先なので劣等生の意見は無視するでしょうし、巻き返しはもう無理な気もします。
つまるところ、自分は現状、詰んでいるのです。どうあがいても幸せを防ぐ罪悪感の壁にやられて、さらに病んで、成績が下がって、もうあがけなくなる。
この状況を打破して自身が幸せになれる方法やアドバイスを頂けるとありがたいです。
無意識・意識的に差別を繰り返す日本人、英国人に対する憎しみ。 他人の不幸に対して無感覚になれない事。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せを分かち合うために出来ることから
こんにちは、初めまして。
一読した感想は,
問題を絞るべき。
自分でできることからしましょう。
決めつけをしていませんか。
という事です。
まず、世を憂うことは大切だけれども、問題はある程度絞るべきだということです。「貧困、紛争などの世界の不幸や不条理」は、相当複雑な要因の結果です。宗教、政治、文化、民族、経済、地政学的要因など数え切れないほどでしょう。あなたの学んでいる「国際関係学専攻」とはその数ある中の一アプローチにしか過ぎないと思います。まずは俯瞰的な視点から自分の学んでいる範囲を把握し、出来ること出来ないことを峻別する必要があるでしょう。一気に全部の学問を理解することなど出来ないのですから。
次に自分のできることから始めましょう、ということです。
「大勢の人が苦しみから救われずにいるのであって、自分もその一因に加わることは非人間的」だと言うならば、あなたは現在苦しみの中にいる人の為に何が出来ているのですか。あるいは何をしようとしてるのですか。
学問を究めること、それをツールにして世のため人のために尽くすことだってできます。あるいは慈善団体のボランティアをすることだってできるでしょう。「たかが大学生が誰かを救えない」という結論を出す前に、「誰か」一人の人生のごく一部を支えたり助けたりできるかもしませんよ。自分でできることを考え、先ず具体的な行動に移してみませんか。全ての人ではなく、たった一人の為に動く。それも素晴らしいと思います。
そして、決めつけをしていないか、立ち止まって考えてみてください。
「急激に成績が落ちたので、社会からはごみとして扱われる」「教授は生徒の人生よりも自分たちの研究優先なので劣等生の意見は無視するでしょう」とあります。「社会」の誰かがあなたを実際に「ごみ」として扱ったのですか。自分で自分を「ごみ」だと決めてかかっているだけでは。
「教授」はあなたを実際に「無視」したのですか。学問的なアプローチをしっかりした意見(論文を書く、先行研究を踏まえる、フィールドワークをする)は無下に出来ないと思いますよ。あなたは、その努力が出来ていますか。「精神的に不安定」ならば、お医者さんの助けを借りながらではどうですか。
幸せは、分かち合うことからです。
誰かを支えてその喜びに出会ったとき、充実した心に安んじることが出来ると思います。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
言われてみて我に返りました。
自身の能力を思い上がることはあると思います。
ですが決めつけなどの事柄に関しては実際の経験や他人からのアドバイスから成り立っています。バイト先でもアルバイトなどは基本的にはカス呼ばわりでしたし、たかが大学生に何が出来る?は複数人の生徒に相談したところ返ってきた答えでした。教授の件は教授側と生徒側の授業に対して大きな認識のずれがあると会議内容に出ていました。大学側も平均成績は下がってないなどと言っていましたが数十人の生徒に聞いたら成績は下がっていたので隠しているかと。
学問は好きですけど、実際に影響力があるかと言われると。ヨハン・ガルトゥングなどは実際に自身の平和学の理論を紛争地帯に行って応用していたので、まったく意味はないわけではないでしょうが。言葉で拳とナイフは止められないのが事実でした。誰かが暴力を喰らっているならそれ以上の暴力でねじ伏せるしか助ける方法はありませんでした。
身近な人を助けることもしてきたつもりですけど、自殺するって言えば何でも思い通りになると考える輩に会いまして。他人を助けてもそれが当たり前になれば厄介だし。
ここまでくると私の問題は人間の善性を信じられないことにあるかもしれないですね。イギリスや日本での生活を通して人間のネガティブな側面を多く見てきたからでしょうが。考えてみれば「コンビニ行くからなんか買ってこようか?」って言われて一瞬状況を処理できず、警戒してしまいますからね。何か裏があると。
信じてもいないのに支えるなんて夢のまた夢ですし。
取り敢えず人間を信じられるように努力を絞ってみます。
アドバイスの方、ありがとうございました。