母の気持ちが知りたいです
私の母は明るくて人望も厚く、太陽のような人でした。
ですが60代で骨折を繰り返し、杖の生活に。その後、糖尿病で脚も壊死して、片足を切断。最後の1年は、ベッドの上で過ごしていました。
持病でたくさん薬を飲んでおり、骨折と切断した脚の痛み、薬の副作用などで、常に痛みや気持ち悪さに苦しみ、ここ数年は入院も頻繁にしていました。
今年の3月に白内障の手術をした際に体調を崩し、意志疎通ができないまま、その3ヶ月後に71歳で亡くなりました。
あんなにアクティブだった人が、晩年は体調が優れる日はあまりなく、行きたいところへも行けずベッドの上での生活。その上コロナでお見舞いも1度しかできず、寂しい・つらい気持ちで亡くなったのではないかと思うと、胸が痛みます。
私の姉の子ども(2人)は、母が元気だった時(50代)に産まれましたが、両家の折り合いが悪く、1歳頃から高校まで、母は孫に会うことができませんでした。
母が70歳の去年の夏に、私の第一子が産まれ、母も抱っこをしたりミルクを飲ませたりしてくれました。
姉の分も孫と過ごさせてあげたい、ベッドの上での生活なので孫を見ることが生き甲斐になればと思っていた矢先でした。
旦那の両親や祖父母が私の子どもを可愛がるのを見ると、有難いと思う反面、母ももっと孫と遊びたかっただろうな、成長を見たかっただろうなと涙して、やるせない気持ちになります。
特に、母より長生きしている祖父母が遊んでいる姿を見ると、この人たちの為に産んだんじゃない、母の笑顔や喜ぶ姿が見たかったのにと、妬みの感情で涙してしまいます。母も元気で長生きしたかっただろうなとか、祖父母はひ孫まで見て楽しそうに暮らしてるのに、母は孫さえ充分に過ごせなかったとか、色々な感情が混ざっているのだと思います。
日が経つにつれ徐々に気持ちの整理がついてきて、少しずつ涙の時間も減りましたが、その反面、普通に生活している自分が申し訳なくなります。
子どもの成長を喜んだり、旅行や美味しいものを食べて幸せを感じた時、母もそうした時間をもっと過ごしたかっただろうなと、切なくてまた涙です。
母は空から子どもの成長や、私たちのことを見守ってくれているでしょうか?
私が笑顔で人生を楽しむことを、喜んでくれているでしょうか?
そして、自分の天寿を全うしたら、また母に会えるでしょうか?
ご意見、お聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたならどう?
たとえば、あなたが逆の立場だったらどうなんでしょうか?
もし自分が死んでしまったせいで、我が子の心が屈折してしまったとしたなら、めちゃくちゃ責任を感じませんか?
おちおち死んでもいられない、安心して極楽なんかにいられない、そんな思いをお母さんにさせちゃあダメだよ。
先立った者の唯一の願いは、残していった者たちの幸せだよ?あなたにあの偉大だった母親に感謝し弔う心があるのなら、あなたが明るく元気に健やかに、地に足をつけてしっかりと生きていくことなのではないでしょうか。
あなたの幸せが亡き母の喜びです。
さあ、お母さんを安心させてやろうよ。
質問者からのお礼
転落院様
私だったら…
まったく思い出されないと寂しいけど、普段は笑顔でいてほしいです。
私の幸せが母の喜び。背中を押していただけたような気がします。つらくなった時は、この言葉を思い出して過ごしてみます。
ありがとうございました。