見返りを求めてしまう
私は相手に何か親切なことをしたら絶対に「ありがとう」を求めてしまいます。感謝されなかったらモヤモヤして少しイラッとしてしまいます。こんな短気な自分が嫌で自己嫌悪に陥っています。自分はありがとうという見返りを求めて親切にしているように思えて、こんな性格悪い自分が嫌になってしまいました。優しさには同じ優しさで返してほしいし全て平等がいいと思ってしまい、気にしすぎだとわかってはいても心が晴れません。時間が少し経てば忘れられますが、対面で話している時はそうもいかず「自分は感謝もされない人間なんだ、どうでもいいんだ」と考えてしまいます。1度考えると負のループに陥り抜け出せなくなります。どうか知恵をお貸しください。
嫉妬深い 悩みやすい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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100回に1回の感謝で良いのではないかと思ってみる
人から感謝されることを求めてしまう。感謝されないとモヤモヤしたりイラっとしてしまい、短気な自分が嫌で自己嫌悪になってしまうということなのですね。
そういう感謝されない事にイラっとしてしまう自分を責めなくていいと思うのです。そういう自分の気持ちもある事を認める。そして、そういう気持ちがなんか嫌だなぁと思っている自分も居ることを知っておく。その事が大事な気がします。
僕も「感謝が欲しい」という気持ちは分ります。つい感謝を求めてしまいます。お釈迦様は人に施しをするときは見返りを求めてはいけないと言っています。見返りを期待すればそれは純粋な施しにならないんだと言われているのにです。
でも、私たちは仏様ではないので必ず見返りを期待してしまいます。でもね…それがどこか嫌だなぁ、本当は純粋な親切をしたいなぁと気づいているわけですね。そこが大事です。
私はこう思います。人間は0か100で考えてしまいがちです。完璧じゃなかったら意味がないとか。でも、こう考えて下さい、親切をした時に期待する自分もいる、でもなくてもいいやと思っている自分もちょっとはいるはずなのです。それでいい。何回も何回も、人と接していくうちに、感謝されなくても、自分が何か出来ればいいと思えるように、少しずつ成長していけるかもしれない。それでいいんではないでしょうか?仏教の修行も一生続きます。そして完璧になることはない。でもそれでいいんです。完璧な人に会ったことありますか?完璧でないといけないでしょうか。
それから、「感謝もされない人間なんだ」という言葉ですが、仏教の基本は「思い通りにならない事は思い通りにしなくて良い」という事なんです。私たちは思い通りにならない事を思い通りにしようとして苦しむのではないでしょうか?他人の事はコントロールできないし、しなくて良いのです。大事なのはあなたが、自分なりに考えて、選んでやってみたという事です。ところで、あなたは、何回他者に親切なことをしてあげたでしょうか?今までの経験で全てを決めてはいけません。
僕もhasunohaで回答して、感謝の言葉が返ってくるのは10回に1回ほどです。でも、それでいいと思っています。逆に言えば10人に1人は言葉を返してくれます。相手がどう受け取るかはこちらは決められないです。
おすすめの本 『私とは何か 「個人」から「分人」へ』平野啓一郎
感謝がないと、見返りを求めてしまいます。
ココアさん、こんにちは。金剛座寺住職の染川智勇と申します。
何か親切をすると、見返りを求めてしまい、イライラするのですね。それは感謝不足の反応です。自分が親切された時にはお礼をしていますか?たぶんしていると答えるかも知れませんが、自分の見えないところ、知らないところで親切をされているのに気づかない親切がたくさんあると思います。たとえば友達や両親だけでなく、あなたが食べる食事。これってお金を払っているから感謝なんかいらないと思っているかも知れませんが、お金を持っていても買えない国はたくさんあります。誰かが作って提供しなければ、お金を持っていても、ご飯は食べられないのです。だから昔の日本人は、感謝を示すために、食事の中に仏教の合掌を入れて「(食事に感謝し)いただきます」と言葉を唱えて食事をする文化ができました。
あなたの大好きな服も、海外の人を含めて、石油を掘ってくれる人、石油を糸にしてくれる人、そして服にしてくれる人がいて、初めて着れます。お金を出したからって服を作る人がいなければ切ることはできないのです。その方々の親切に感謝しても感謝しきれません。だからたくさんの感謝の見返りのために、一所懸命勉強して社会に貢献できる立派な大人になることが恩返しなのです。
見返りがないのは、あなたの親切が少なすぎるからです。しかも自分への親切に対する感謝・恩返しが少なければマイナスで引かれます。だから見返りなんて来るはずありません。たくさんたくさん親切をすれば、お風呂のお水のようにやがてあふれ出して、ココアさんに恩返ししなければと思ってたくさん恩返しが来ることでしょう。
自己嫌悪になる必要はありません。人は見返りを求めたがるものなのです。だからもっともっと人に親切しましょう。親切は無駄にはなりません。心の貯金箱になっていますので、積み立てです。かならず倍返しの恩返しがきますよ。いつ来るかはあなたの努力次第です。
がんばって!応援します。(^人^)合掌
感謝は求めるものでなく受け取るもの
ご質問拝読いたしました。
ありがとうを大事にしたい。
お気持ちはよくわかります。
ありがとう!という言葉
大切にしたいと思います。
本当にお互い気持ちがいいですね。
ここまではあなたも
愚僧も同じです。
違いは何か?
愚僧は反対給付を求めません。
反対給付とは、
相手に見返りを求めることです。
見返りを求めたら、
これはすでに善意や好意で
なくなるように思えるのです。
感謝を求めた瞬間に、
それは善意ではなく、
単なる行為になるように思います。
善意は本来一方通行だと、
思うのです。
感謝されようが、
されまいが
相手にとってよかれと、
思えば行う。
これだけです。
だから感謝されようと、
されまいが構わないのです。
反対給付を求めて
いませんからそれでいいのです。
ただ、
愚僧は相手の方が、
御礼を言われない場合、
その方のために、
何かはしません。
理由は価値観を
共有しないからです。
愚僧の価値観は、
人に何かしていただいたら、
これは有り難いことですから、
心より感謝して、
有難うございます。
と御礼を申し上げます。
時にはお返しをします。
できない方とは、
価値観の共有をしていませんので、今後はお付き合いしません。
なぜなら
小さな親切、
大きなお世話だからです。
しかし、
別にイライラもしませんよ。
価値観が違うだけですから。
明るく
元気に、
にこにこと、
人がどうであれ、
自分は御礼を言える、
人間であれば、
よいのではないでしょうか。
御活躍を祈ります。
質問者からのお礼
釈義行様 染川智勇様 花山雲吉様
回答ありがとうございました。自分の視野の狭さに気付かされました。相手に感謝を求めるばかりで、自分を振り返ってみると自分が感謝出来ていなかった親切、当たり前のように受け取っていた親切がたくさんありました。今まで以上に感謝を大切にしていきたいと思いました。そしてこれからは親切を他人中心に考えるのではなく、自分が親切にしたいという気持ちを忘れずにいようと思います。とても参考になりました。本当にありがとうございました。