hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

悲しみについて

回答数回答 4
有り難し有り難し 42

一昨年前に実母が亡くなり、以来、こちらでお世話になっております。
お寺のことや、供養、お墓等のことで質問させて頂き、ご丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。
毎日のお勤め、花やお供え、茶水を絶やさず供養させて頂いています。

長らく二人暮らしでした。
病を抱えながらも私のために家事をしてくれていました。
私は幼い頃から病弱で心配ばかりかけ、苦労させました。
ある日、突然調子が悪くなり救急車で病院へ、そして次の日から意識が無くなり、一週間後に息を引き取りました。
私はその瞬間にも立ち合うことができませんでした。

生前は、私は仕事なので一人きり。最期も一人で逝かせてしまいました。
延命処置も断ったのは私です。

今年、三回忌となりますが、未だにあの時こうしてあげれば良かった、なぜあんなこといってしまったのだろう、最期にありがとうも言えず、後悔と悲しみの毎日です。

他人からすると、ただのマザコンなのかもしれません。
毎日、成仏し、父やご先祖様と幸せに過ごしてくださいと祈ることしか出来ません。

ただただ毎日冥福を祈り、悲しみが癒える日が来るのを待つしかないのでしょうか?それともいつまでもクヨクヨ引きずっている私の精神が弱いだけなのでしょうか?

2014年4月26日 0:24

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悲しい時は悲しいのです。

こんばんは。

このサイトを利用されておいでのご様子、
既にいろんなアドバイスを受けてこられたのだと拝察致します。

母上の三回忌、みまかられてから早いもので丸2年が経過したのですね。
あんくまさんのご心中、察するに余りあります。
多分、私も貴台の立場ならば同じような心境に到っていると思うからです。

我が親を思慕することが、もしもただのマザコンという人がいるのなら、
そのようにしか考えられない人なのですから、ほっておけばいい。
それほどに我が子から慕われていた母上は幸せだと思います。
そして何よりも成仏されて我が子の幸せを願っておいでだと思います。

思うに、貴台は母上が亡くなられた事実を、
精一杯受け止めようとされておいでなのだと思います。
受け止めるという思索的行為は、辛いと拝察します。
それが2年続くのか3年続くのか…人それぞれだと思います。
私はそうした思いを今すぐにやめなさいとは申しません。
その行為そのものが、母に対する我が子の愛情だと思うからです。

でも、いつの日にか“受け止める”ことから“受け容れる”時が来るはずです。
事実を受け止めるには苦痛を伴いますが、
受け容れることには苦痛は伴いません。
何度も言うようですが、
いつの日にか必ず、受け容れられる日が巡ってきます。
そのことを心の片隅にとどめておいて下さい。

仏の慈悲もまた然り、我々凡夫の苦悩を受け止めて下さるのではなく、
仏は我々の苦悩を受け容れて下さる存在なのです。

クヨクヨすること、気で病む必要はないですよ。
悲しい時は悲しいのです。
ムリにぬぐい去る必要はありません…。

2014年4月26日 1:42
{{count}}
有り難し
おきもち

モットー 「寺は心に溜まったゴミを捨てに来る所」。回答数は決して多くありま...

この世で何年、一緒でしたか?

あんくまさま
ご無沙汰しております、なごみ庵の浦上哲也です。

幼い頃から病弱で、心配をかけ苦労させたと仰っていましたね。
でも、あんくまさんが非常に健康であっても、どんなに絶好調で暮らしていても、やはりお母さまは心配をしたと思います。それが親、特に母親という存在なのです。

「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」という絵があります。お釈迦さまが亡くなる場面を描いたものですが、上空にお釈迦さまのお母さまが書かれています。お母さまはお釈迦さまを産んで7日後に亡くなったと伝えられています。おそらく20代でしたでしょう。

そして80年後、悟りを開き、自分よりも遥かに年上となった息子が亡くなる時、それを嘆き心配し、天界から秘薬を届けようと降りてくるのです。お釈迦さまですら、母親は心配するのです。

1人で逝かせてしまった、延命処置を断った、最期にありがとうと言えなかった。後悔は耐えることがないかもしれませんが、あんくまさんのお母さまは仏さまの世界で、「そんなことを気にしないで、元気に過ごしてね」と微笑んでおられると思います。

悲しみの気持ちについてです。
あんくまさん、お母さまとはこの世で何年一緒にお過ごしになりましたか? 何十年も過ごされましたよね。そんな方を失った悲しみが、1年や2年でどうして消し去ることができるでしょうか。
何年でも時間をかけてよいと思います。じっくりと受け入れていって下さい。

2014年4月30日 23:41
{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

自分の想いにだけに生きない

誤解される表現かもしれませんが、お母さんへの最大の供養は自分の想いにばかり生きないことです。お母さんが人の子の親としてこの世に生きて、あなたという人をそこまで育てて、この世を去ったという事。
お母さんが母の子としてあなたにのぞんだことがあるはずです。
命を授けてくださったお母さんが生命存在としてのあなたにも託したことがあるはずです。
それが宗教心なのです。
あなたがあなたの人生を生きる事。
そして他者とのかかわりをより良くしていく努力を惜しまない事。
母の愛を他者にめぐらし向ける事。
この世に生きていく上で望まれている生き方があるはずです。
自分の中のインナーマザーと向き合い、互いに浄化し、赦し合うことです。
感応道交という言葉があります。
どうぞ、お母さんとの心の交流、語らい、関係が最上になる様、ただお供えをするということばかりでなく、語らいを大切にしてください。
自分の想いだけに生きない、ということは「こうだったんではないだろうか」「こうかもしれない」「こうなんじゃないだろうか」というセルフマインドに陥らないということです。
埼玉ではお墓にコメをまきます。コメは舎利、亡き人への供養ということもありますが、普く広くに供養し、シャリ(遺骨=亡き人へのそばに置いておきたいという想い)を手放す象徴行為でもあります。あなたが母の深愛に導かれ多くの人に母から授かった愛を広める事が永遠に生きるお母さんをこの世に誕生させることになります。和尚の布教活動、檀信徒の強化活動が慈悲、愛を広める、とはそういう意味合いもあるのです。

2014年4月28日 5:32
{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

洞然坊の大橋慈峰です。

始めまして、大橋です。母上様お亡くなりになり、心中お察しいたします。
私も昨年母の3回忌を勤めました。私もお母ちゃん子で、何でも母でした。苦労かけました。心配もかけました。父が他界後一人で暮らしていましたが、痴呆症もでてきて、自坊に引き取り
一緒に暮らしていました。最後は老人病院に入り、病院で亡くなりました。私も母の最後は見送り出来ませんでした。息を引き取り5時間後に病院に到着、息を引き取取る時に私の事、息絶え絶えで聞いていたと聞き、恥も外聞も気にせず病院内で大泣きいたしました。それで気持ちスッキリしました。悲しいけど、無事 通夜、葬儀執りえました。今でも遺影見ると涙出て来ますよ。この文面打ちながらも、涙出て来そうですよ。親子ですもの。だけど悲しみがこの頃、想い出とスライドする様になって来ました。母との思い出の最後が葬儀と思える様になって来ました。
寂しい時、悲しい時、ご仏前でどうぞ涙お流し下さい。人の子供ですから当たり前です。
そして手を合わせ、供養して上げた下さい。きっと喜んでおられますよ。
只そろそろ悲しい思い出ですが、お母様の事想い出として心に残して下さい。
私もその様に努力しています。

2014年4月26日 10:13
{{count}}
有り難し
おきもち

大橋慈峰
始めまして、洞然坊の大橋慈峰です。小さな修験道のお寺で、住職しています。

質問者からのお礼

藤波 蓮凰様
ご回答ありがとうございます。
いつの日か受け容れる日が来ることを待ちながら供養を続けていきたいと思います。
ありがとうございます。

大橋 慈峰様
ご回答ありがとうございます。
大橋様もお母様を亡くされ、お辛い中、ご回答頂いたのですね。
子供の頃から入退院、阪神大震災、父の死等、大きな出来事があり、
助け合いながら、と言うより、助けてもらうことばかりでした。
母は気の強い人だったので、喧嘩もよくしました。
仏前で涙を流す事は無くなってきましたが、やはり写真を見ると。
良い思い出として、気持ちに区切りを付け、前向きに 生きる努力をしなければいけませんね。

丹下 覚元様
ご回答、ありがとうございます。
自分の想いにだけ生きない、今の私には難しいお言葉かもしれません。
しかし、いつまでもこのままではいけないと自分でも思います。
ありがとうございました。

浦上 哲也様
ご無沙汰しております。
今回もまたご回答頂き、ありがとうございます。
周りの方々からは、もうそろそろ気持ちに区切りを付けて…亡くなったお母さんも浮かばれない等のお言葉を頂戴します。母もそれなりの年齢、私もいい歳をしていつまでもと思うところもあるのですが、病を抱えた母でしたが、早起きで、たまに寝坊すると、私はビックリして飛び起き寝ていることを確認してホッとしたり、仕事中も倒れていないか心配の毎日でしたので、今でもよく飛び起き、ああ、もういないんだな心配しなくていいんだなと安心やら寂しさやら複雑な心境になります。
母に対する色々な想いは一生消えることはないと思います。
受け止めるのに何年かけても良いと言うお言葉に、救われるような、また安心するような気がします。
これからも出来る限りの供養をして行きたいと思います。ありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

母が亡くなりました。後悔ばかりです。

つい先日、最愛の母が亡くなりました。 約8年前に乳癌がみつかり、すでにステージ4。 自分はいつも後まわしの家族思いの母は、私や姉、父の入退院で大変だったこともあり、自分の体調変化をわかっていながら病院へ行くのが遅くなりました。 母にとっての宝物は家族。 娘や孫のために長生きするとツラい治療を頑張ってくれていました。 ひ孫も産まれ毎日楽しく暮らしているなか脳に転移し、手がつけられないと医者から告げられ入院して10日で亡くなりました。 優しくて、家族が大好きで、我慢強くて。明るく、常に前向きで、母の口から誰かの悪口や弱音も聞いたことないような素晴らしい人でした。 病院では、母が『私もう長くないね…』って。涙が止まらずにいる私に、自分が1番ツラいはずなのに私の涙をふいてくれて『泣かないよ』って。 母は、『私は幸せだった~』って何度も言ってました。私が『貧乏で、お金なかったのに?』ってきくと『良い娘、孫、ひ孫に恵まれたから、私は幸せだった~』って言ってくれるんです。 『生まれ変わってもまた私の娘で産まれてきてね』って母は言ってくれました。 私と姉が出来るのは、亡くなるその時を、ひとりにさせないこと、そして痛み苦痛がないようにでした。母は寂しがりだったので。最期は母は自ら、家族写真を手に取り、大好きな孫に手を握られ、家族に見守られ亡くなりました。 亡くなったあとも私は後悔ばかりで涙が止まらず前に進めません。 私がはやく脳転移の異変に気付いていれば。体の不調を言ってくれてたのに。どの医者に言っても脳転移は誰も分からなかったようで。でも私が何度も医者に言えば良かったのに。家に帰りたいと言う母、病院に連れて行かないで家で看とり出来るようにしてあげれば良かったとか。 ひ孫と遊んでいる幸せな母の顔を思い出しては、なんで助けてあげられなかったんだろうと後悔ばかり。 母は、家族一人一人に手紙を残してました。 家族の心配と、自分が病気になって迷惑をかけたという内容です。 私はもちろん家族も迷惑かけられたなんて一度も思ったことありません。 家族にとって母は、大きな大きな存在でした。 私は自分が大好きな母を殺してしまった気持ちから抜けられず、寂しくて悲しくてツラくて。 私を信じて一緒に治療を頑張っていてくれた母。私のせい…。。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

ただ聞いてほしいだけです

ただ聞いてほしいだけです。 身内や知り合いではない誰かに聞いてほしいのです。 2日前に母が病死しました。 ひとりになると辛くなり、母に対する後悔がたくさん出てきて、涙も止まらず、もうどうしようもない気持ちになります。 母が病気で心の支えは娘の私だとわかっていたけれど、受験勉強を言い訳にしてお見舞いもほとんど行かず、臨終にも立ち会うことができませんでした。 病気で苦しんでいる母を見たくなくて母と会うことを避けていました。 それを知っての祖父の気遣いだったのだと思います。母の死に間際、苦しんでるその姿を私に見せてはいけないと判断して、母が亡くなった後に私に連絡が入りました。 臨終に立ち会えなかったこと。お見舞いにほとんど行かなかったこと。私の勉強のサポートをしてくれたのに、病気の母をサポートできず、寄り添えなかったこと。病気の母を友達に見られることが恥ずかしくて、高校最後の体育祭を見に行きたいと言っていた母を来られないように入場券を渡さなかったこと。病気の原因であるお酒を必死に、全力で、止めれなかったこと。今まで散々酷い言葉を言ってしまったこと。わがままばかりで迷惑をかけたこと。 ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。後悔しています。ごめんなさい。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

亡き父への後悔ばかりで苦しい

先日、父が咽頭癌で亡くなりました。12年前に若年性認知症を発症(原因は、私が出産の為に実家通いが出来なくなるので一人暮らしの父を2カ月程住まわせ気疲れさせたのが原因かもしれません。)認知症の薬を絶やさないよう12年ほぼ毎日車で往復40分かけて実家に、父の好きなお酒と一緒に持って行くのが日課になっていました。数年は苦にもならなかったのですが、私の子供も大きくなるにつれ段々と父の存在が煩わしくなっていきました。4年ほど前には、私自身が鬱症状が出てしまい、同時期に子供も人間関係から不登校になりメンタル面も弱まり学校を転入したり、またその下の子供も同じく高校に暫く通えなくなるなど4年の間にとても大変な事ばかりでした。父の病気が発覚したのは余命1カ月と宣告された8月の事です。振り返ってみれば、父の異変に気付いたのは半年程前でした。声がれの症状でした。でも私にはそれくらいの事など気に止める余裕すらありませんでした。6月久しぶりの病院の受診、先生にも食事の咳き込みで癌ではないかと尋ねてはみましたが肺炎になっていてそちらを優先に治すと言う事で耳鼻科の受診も2カ月が経つまで先延ばしにしてしまいました。その間は私の家で父親を住まわせ食事や薬の管理もしていましたが、2番目の子供の不登校と重なり、子供の事が一番大事一番心配で、父親の事など邪険にしていました。食事をする度に咳き込み額には汗びっしょり、冷房もない部屋に扇風機だけ、しかもお粥を作ってあげたのは家に居た最初と最後だけ、あとは普通食でした。もう既に私は、父と目を合わせて会話する事もなく、イライラして怒鳴ってばかり。私は独り言で「早くくたばればいいのに。死ねばいいのに。」と言った事もありました。最低な娘です。こんな性格の私じゃなかったはずなのに本当に鬼のように変貌していました。しかし、余命1カ月と宣告され病院生活になってからは、鬼のような私は消え去り、父に直接今までの事を詫びたりもしました。認知症の父は、私から邪険にされていた事など覚えていない様子でした。そして最期の時も、2人姉妹である私と妹で看取ることが出来ました。しかしやはり4年間父親をないがしろにしたと言う事がどうしても消え去りません。本当に父に申し訳なかっと涙が溢れ出てしまいます。出来る事ならもう居ない父親と交信し、謝りたい。許してくれなくてもいいから謝りたい。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

亡くなった姑に対する悩み

今年の6月終わりに姑が68才で亡くなりました。アパートでの孤独死でした。 去年の10月ぐらいに、姑の調子が悪いとアパート管理人から電話があり検査の結果、腰の骨が折れていました。 その当時、姑はパートを辞めたばかりで保険証の切り替えをしておらず、無保険の状態。今から私が取りに行くから!ということで無理やり診察をしてもらいました。即入院ということでしたが、個室しか空いてる部屋がありませんでした。そのため、姑は必死に入院をいやがり、看護士さんに悪態をつく始末。半ば医者に怒鳴られて、追い返されました。 仕方なく、病院をでて、アパートまで連れていきました。始めて中に入ったのですが、中はゴミ屋敷状態でした。部屋からはタバコのやにわにの臭いが強烈に漂い、至るところに栄養ドリンクのビンが転がっていました。とりあえず、場所をつくり保険証の切り替えに部屋をでました。 役所に出向き、保険証を社保から国保に切り替え、今の事情から包括支援センターに電話するとよいと教えていただきました。そこのつてを頼って、なんとか空いてい整形外科を見つけて入院。 義姉が、通帳を預かったそうですが、残高は0、10万ほど借金があったようです。また、年金が月8万ほどしかなく、家賃が3万円。月に5万での生活。退院後、3ヶ月義姉のところで療養アパートに帰ってきました。 部屋は義姉が綺麗にしたそうです。 お金のことが、気になってはいましたが、昨年、祖母、姑の母が亡くなり、70万ほどでしたが遺産があると聞いていました。そのため、急には困らないと思っていました。主人には、生活保護の申請をしたらどうだろうか?援助したらどうだろうか?と相談していましたが、大丈夫、の一言でした。昔は家事をしていた、ケガがなおったから大丈夫だと。でも、部屋の様子は、かなり前からセルフネグレクト。 でも、もし私が口を出せば、全てを任せきられることはわかってました。入院中も一人で面倒をみたから。介護を入れるにも、先立つものがいる。私には四人の子どもがおり、金銭、時間的にも姑の面倒までは無理でした。 あの時、皆に反対されても包括支援センターに電話して、生活保護の申請をすれば、亡くならずにすんだのではないか?もっと、まともな生活ができたのではないかと悩んでいます。 もう、亡くなったのだから...とは思いますが後悔の思いがあります。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

油断からペットを死なせてしまいました

先週、6年と少し飼っていたペットのウーパールーパーを私の油断から死なせてしまいました。 6年前、おそらく生後2ヶ月位の頃に、ご縁あってその子は私の元へやってきました。頂いたなら育ててみようか、位の軽い気持ちで飼い始めましたが、世話をして日に日に成長する姿を見ていつしかとてもかけがえのない私の家族になりました。 ウーパールーパーは暑さに弱いので、夏は室温と水温の管理をし、万が一を考え外泊もしていませんでした。去年までの夏はこれで乗り切ってきました。 ところが今夏、私のどうしても観ておきたかったものが地方で開催される事を知りまた日帰りの距離では無かった為に、一晩だけ家を空ける事にしてしまいました。 夏は私が不在の時、水温が上がらないようにエアコンを常時つけており、エアコンをちゃんと点けてさえいれば一晩くらいなら大丈夫だろうと思い私は出掛けてしまいました。 翌日夜、帰宅して水槽を覗くとウーパールーパーが亡くなっていました。 前日朝にはいつも通りの姿を見せてくれたのに、と信じられない気持ちと、自分のしでかした事の重大さに打ちのめされました。 翌々日、近所のペット霊園にて火葬と埋葬をして頂きましたが、亡くなってから一週間経つ今も後悔ばかりで涙が止まりません。 私が自分の都合を優先したばかりに、あの子の死に際に立ち会えなかったこと。 また、私が居れば何か出来たかもしれないという自責。 全て今さらな事なのですが、見届けられなかった最期を想像するだけで自分を消してしまいたくなります。 また、死に目に会えなかった事は私が自分の都合を優先した事に対するあの子なりのメッセージのような気がしてなりません。 昔から家族というものに恵まれなかった私に、あの子だけが唯一の「無償の愛」を教えてくれました。 そんなあの子に私は酷い事をして死に追いやってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 これからどのような心持ちで生きていけばあの子への贖罪になりますでしょうか。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

母が亡くなりました

一緒に住んではいませんでしたが母が亡くなるまで短い時間でもほぼ1日1回は顔を合わせていました。 そんな母と、一緒に同じマンションで暮らせる(階はちがいますが)ようになり6日目、私が作った朝ゴハンのおにぎりを喉につまらせ急逝しました。 私が仕事で急いでいて寝ていた母を起こしボオッとしていた母に食べさせたのがいけないんです。 私は今まで母の通院にも必ず付き添い買い物も一緒に行ったり買い出ししてきたり周りから見たらいい娘だったかもしれません。 でも実際実家では、寝てばかりで何もしない(病気のせいでダルかったんだと思います)母を怒鳴り泣かせタッパーのような物で頭を叩いたり本当にひどい娘でした。 手も悪かった母はシッカリ歯磨きできないこともあり口が臭うことがあると臭い!と怒ったり、シートベルトが出来ずモタモタしているとベルト出来ないなら乗せないよ!と怒鳴ったり、転んで腰が痛いと言っていた母に寝てばかりいるから悪いと怒鳴ったり・・・しかし母は腰を圧迫骨折していて痛かったのだと後々わかりました。 圧迫骨折の影響で歩くのが困難になり始め腎臓も悪くなり透析の準備の手術もし施設か自分の家の近くに住んでもらうか悩んでいたところ私のマンションの1階が空いたので母に施設と私と同じマンションに住むのどっちがいい?と尋ねたらマンションと言ったので契約をしトントン拍子に物事が進んでいきました。 実家の荷物は遺品整理屋さんで生前整理として片してもらった矢先、母が亡くなりました。 母の物はほぼ無くなって本当の遺品整理になってしまい喪失感がひどいです。 母が大好きだったし優しくしたいと常々思ってはいたのですが仕事と家のストレス等で母にあたってしまい以前の母なら出来たはずなのにナゼ出来ないとの戸惑いもあり日々会うたびに怒ってばかり。 母は言葉が出づらかったので反論もせず私に怒鳴られ叩かれ泣き毎日辛かったと思います。 今は何で優しくしなかったのか、なんで急いでおにぎりを食べさせたか、何で詰まった時にゴボゴボ吐き出す母のお茶を取り上げてしまったか後悔の毎日です。 仕事が早く終わると母に買い物に行く?と電話をしていたのに電話しても出てくれる人もおらず今は母がいなくなった時間で何をしたらいいか・・・。 遺影に毎日お母さんゴメンねと語りかけ涙する毎日です。 この喪失感と悲しみと絶望と後悔はどうしたらいいのでしょうか

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る