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悲しみについて

回答数回答 4
有り難し有り難し 42

一昨年前に実母が亡くなり、以来、こちらでお世話になっております。
お寺のことや、供養、お墓等のことで質問させて頂き、ご丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。
毎日のお勤め、花やお供え、茶水を絶やさず供養させて頂いています。

長らく二人暮らしでした。
病を抱えながらも私のために家事をしてくれていました。
私は幼い頃から病弱で心配ばかりかけ、苦労させました。
ある日、突然調子が悪くなり救急車で病院へ、そして次の日から意識が無くなり、一週間後に息を引き取りました。
私はその瞬間にも立ち合うことができませんでした。

生前は、私は仕事なので一人きり。最期も一人で逝かせてしまいました。
延命処置も断ったのは私です。

今年、三回忌となりますが、未だにあの時こうしてあげれば良かった、なぜあんなこといってしまったのだろう、最期にありがとうも言えず、後悔と悲しみの毎日です。

他人からすると、ただのマザコンなのかもしれません。
毎日、成仏し、父やご先祖様と幸せに過ごしてくださいと祈ることしか出来ません。

ただただ毎日冥福を祈り、悲しみが癒える日が来るのを待つしかないのでしょうか?それともいつまでもクヨクヨ引きずっている私の精神が弱いだけなのでしょうか?

2014年4月26日 0:24

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悲しい時は悲しいのです。

こんばんは。

このサイトを利用されておいでのご様子、
既にいろんなアドバイスを受けてこられたのだと拝察致します。

母上の三回忌、みまかられてから早いもので丸2年が経過したのですね。
あんくまさんのご心中、察するに余りあります。
多分、私も貴台の立場ならば同じような心境に到っていると思うからです。

我が親を思慕することが、もしもただのマザコンという人がいるのなら、
そのようにしか考えられない人なのですから、ほっておけばいい。
それほどに我が子から慕われていた母上は幸せだと思います。
そして何よりも成仏されて我が子の幸せを願っておいでだと思います。

思うに、貴台は母上が亡くなられた事実を、
精一杯受け止めようとされておいでなのだと思います。
受け止めるという思索的行為は、辛いと拝察します。
それが2年続くのか3年続くのか…人それぞれだと思います。
私はそうした思いを今すぐにやめなさいとは申しません。
その行為そのものが、母に対する我が子の愛情だと思うからです。

でも、いつの日にか“受け止める”ことから“受け容れる”時が来るはずです。
事実を受け止めるには苦痛を伴いますが、
受け容れることには苦痛は伴いません。
何度も言うようですが、
いつの日にか必ず、受け容れられる日が巡ってきます。
そのことを心の片隅にとどめておいて下さい。

仏の慈悲もまた然り、我々凡夫の苦悩を受け止めて下さるのではなく、
仏は我々の苦悩を受け容れて下さる存在なのです。

クヨクヨすること、気で病む必要はないですよ。
悲しい時は悲しいのです。
ムリにぬぐい去る必要はありません…。

2014年4月26日 1:42
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おきもち

モットー 「寺は心に溜まったゴミを捨てに来る所」。回答数は決して多くありま...

この世で何年、一緒でしたか?

あんくまさま
ご無沙汰しております、なごみ庵の浦上哲也です。

幼い頃から病弱で、心配をかけ苦労させたと仰っていましたね。
でも、あんくまさんが非常に健康であっても、どんなに絶好調で暮らしていても、やはりお母さまは心配をしたと思います。それが親、特に母親という存在なのです。

「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」という絵があります。お釈迦さまが亡くなる場面を描いたものですが、上空にお釈迦さまのお母さまが書かれています。お母さまはお釈迦さまを産んで7日後に亡くなったと伝えられています。おそらく20代でしたでしょう。

そして80年後、悟りを開き、自分よりも遥かに年上となった息子が亡くなる時、それを嘆き心配し、天界から秘薬を届けようと降りてくるのです。お釈迦さまですら、母親は心配するのです。

1人で逝かせてしまった、延命処置を断った、最期にありがとうと言えなかった。後悔は耐えることがないかもしれませんが、あんくまさんのお母さまは仏さまの世界で、「そんなことを気にしないで、元気に過ごしてね」と微笑んでおられると思います。

悲しみの気持ちについてです。
あんくまさん、お母さまとはこの世で何年一緒にお過ごしになりましたか? 何十年も過ごされましたよね。そんな方を失った悲しみが、1年や2年でどうして消し去ることができるでしょうか。
何年でも時間をかけてよいと思います。じっくりと受け入れていって下さい。

2014年4月30日 23:41
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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

自分の想いにだけに生きない

誤解される表現かもしれませんが、お母さんへの最大の供養は自分の想いにばかり生きないことです。お母さんが人の子の親としてこの世に生きて、あなたという人をそこまで育てて、この世を去ったという事。
お母さんが母の子としてあなたにのぞんだことがあるはずです。
命を授けてくださったお母さんが生命存在としてのあなたにも託したことがあるはずです。
それが宗教心なのです。
あなたがあなたの人生を生きる事。
そして他者とのかかわりをより良くしていく努力を惜しまない事。
母の愛を他者にめぐらし向ける事。
この世に生きていく上で望まれている生き方があるはずです。
自分の中のインナーマザーと向き合い、互いに浄化し、赦し合うことです。
感応道交という言葉があります。
どうぞ、お母さんとの心の交流、語らい、関係が最上になる様、ただお供えをするということばかりでなく、語らいを大切にしてください。
自分の想いだけに生きない、ということは「こうだったんではないだろうか」「こうかもしれない」「こうなんじゃないだろうか」というセルフマインドに陥らないということです。
埼玉ではお墓にコメをまきます。コメは舎利、亡き人への供養ということもありますが、普く広くに供養し、シャリ(遺骨=亡き人へのそばに置いておきたいという想い)を手放す象徴行為でもあります。あなたが母の深愛に導かれ多くの人に母から授かった愛を広める事が永遠に生きるお母さんをこの世に誕生させることになります。和尚の布教活動、檀信徒の強化活動が慈悲、愛を広める、とはそういう意味合いもあるのです。

2014年4月28日 5:32
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

洞然坊の大橋慈峰です。

始めまして、大橋です。母上様お亡くなりになり、心中お察しいたします。
私も昨年母の3回忌を勤めました。私もお母ちゃん子で、何でも母でした。苦労かけました。心配もかけました。父が他界後一人で暮らしていましたが、痴呆症もでてきて、自坊に引き取り
一緒に暮らしていました。最後は老人病院に入り、病院で亡くなりました。私も母の最後は見送り出来ませんでした。息を引き取り5時間後に病院に到着、息を引き取取る時に私の事、息絶え絶えで聞いていたと聞き、恥も外聞も気にせず病院内で大泣きいたしました。それで気持ちスッキリしました。悲しいけど、無事 通夜、葬儀執りえました。今でも遺影見ると涙出て来ますよ。この文面打ちながらも、涙出て来そうですよ。親子ですもの。だけど悲しみがこの頃、想い出とスライドする様になって来ました。母との思い出の最後が葬儀と思える様になって来ました。
寂しい時、悲しい時、ご仏前でどうぞ涙お流し下さい。人の子供ですから当たり前です。
そして手を合わせ、供養して上げた下さい。きっと喜んでおられますよ。
只そろそろ悲しい思い出ですが、お母様の事想い出として心に残して下さい。
私もその様に努力しています。

2014年4月26日 10:13
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有り難し
おきもち

大橋慈峰
始めまして、洞然坊の大橋慈峰です。小さな修験道のお寺で、住職しています。

質問者からのお礼

藤波 蓮凰様
ご回答ありがとうございます。
いつの日か受け容れる日が来ることを待ちながら供養を続けていきたいと思います。
ありがとうございます。

大橋 慈峰様
ご回答ありがとうございます。
大橋様もお母様を亡くされ、お辛い中、ご回答頂いたのですね。
子供の頃から入退院、阪神大震災、父の死等、大きな出来事があり、
助け合いながら、と言うより、助けてもらうことばかりでした。
母は気の強い人だったので、喧嘩もよくしました。
仏前で涙を流す事は無くなってきましたが、やはり写真を見ると。
良い思い出として、気持ちに区切りを付け、前向きに 生きる努力をしなければいけませんね。

丹下 覚元様
ご回答、ありがとうございます。
自分の想いにだけ生きない、今の私には難しいお言葉かもしれません。
しかし、いつまでもこのままではいけないと自分でも思います。
ありがとうございました。

浦上 哲也様
ご無沙汰しております。
今回もまたご回答頂き、ありがとうございます。
周りの方々からは、もうそろそろ気持ちに区切りを付けて…亡くなったお母さんも浮かばれない等のお言葉を頂戴します。母もそれなりの年齢、私もいい歳をしていつまでもと思うところもあるのですが、病を抱えた母でしたが、早起きで、たまに寝坊すると、私はビックリして飛び起き寝ていることを確認してホッとしたり、仕事中も倒れていないか心配の毎日でしたので、今でもよく飛び起き、ああ、もういないんだな心配しなくていいんだなと安心やら寂しさやら複雑な心境になります。
母に対する色々な想いは一生消えることはないと思います。
受け止めるのに何年かけても良いと言うお言葉に、救われるような、また安心するような気がします。
これからも出来る限りの供養をして行きたいと思います。ありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

母が亡くなりました

一緒に住んではいませんでしたが母が亡くなるまで短い時間でもほぼ1日1回は顔を合わせていました。 そんな母と、一緒に同じマンションで暮らせる(階はちがいますが)ようになり6日目、私が作った朝ゴハンのおにぎりを喉につまらせ急逝しました。 私が仕事で急いでいて寝ていた母を起こしボオッとしていた母に食べさせたのがいけないんです。 私は今まで母の通院にも必ず付き添い買い物も一緒に行ったり買い出ししてきたり周りから見たらいい娘だったかもしれません。 でも実際実家では、寝てばかりで何もしない(病気のせいでダルかったんだと思います)母を怒鳴り泣かせタッパーのような物で頭を叩いたり本当にひどい娘でした。 手も悪かった母はシッカリ歯磨きできないこともあり口が臭うことがあると臭い!と怒ったり、シートベルトが出来ずモタモタしているとベルト出来ないなら乗せないよ!と怒鳴ったり、転んで腰が痛いと言っていた母に寝てばかりいるから悪いと怒鳴ったり・・・しかし母は腰を圧迫骨折していて痛かったのだと後々わかりました。 圧迫骨折の影響で歩くのが困難になり始め腎臓も悪くなり透析の準備の手術もし施設か自分の家の近くに住んでもらうか悩んでいたところ私のマンションの1階が空いたので母に施設と私と同じマンションに住むのどっちがいい?と尋ねたらマンションと言ったので契約をしトントン拍子に物事が進んでいきました。 実家の荷物は遺品整理屋さんで生前整理として片してもらった矢先、母が亡くなりました。 母の物はほぼ無くなって本当の遺品整理になってしまい喪失感がひどいです。 母が大好きだったし優しくしたいと常々思ってはいたのですが仕事と家のストレス等で母にあたってしまい以前の母なら出来たはずなのにナゼ出来ないとの戸惑いもあり日々会うたびに怒ってばかり。 母は言葉が出づらかったので反論もせず私に怒鳴られ叩かれ泣き毎日辛かったと思います。 今は何で優しくしなかったのか、なんで急いでおにぎりを食べさせたか、何で詰まった時にゴボゴボ吐き出す母のお茶を取り上げてしまったか後悔の毎日です。 仕事が早く終わると母に買い物に行く?と電話をしていたのに電話しても出てくれる人もおらず今は母がいなくなった時間で何をしたらいいか・・・。 遺影に毎日お母さんゴメンねと語りかけ涙する毎日です。 この喪失感と悲しみと絶望と後悔はどうしたらいいのでしょうか

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叔父が亡くなりました

今月の7日に大好きだった叔父が亡くなりました。叔父は私の母の兄であり、片親の私にとっては父親のような存在でした。 生前、叔父は大病を患い奇跡的に回復し仕事を無理のない範囲で出来る程までになりました。亡くなる数ヶ月前から再び体調を悪くし入退院を繰り返していましたが、弱ったところを見せたくない心配させたくない、という叔父の思いから私と母やそれ以外の人にも内緒にしていました。叔父からの連絡がないので心配した母と私が叔父の元を訪ねて、体調が悪いことが発覚しました。 それからは心配で、定期的に叔父宅を訪ねていました。体調が悪い中でも、前向きに回復へ向かおうともがいていましたし私達もきっと良くなると思いながら叔父を見守っていました。 最後に会った時は、いつもより調子が良さそうで沢山お話ができて笑顔の時間もありました。それから1ヶ月経たないうちのお別れで後悔ばかり残っています。 私は祖母(叔父の母)と母の三人暮らしです。 祖母には叔父の病状を全く知らせていませんでした(叔父の意向もあって)。なので、久しぶりの対面がこんな形になってしまった事に後悔しています。祖母は滅多に泣かない人で、私は祖母の涙を一度も見たことはなかったのですが、斎場での最後のお別れの時間涙を流して悲しんでいました。母も突然の事でショックが大きく葬儀が終わるまで泣き続けていました。 時間が解決してくれるとは思いますが、2人の悲しみを少しでも和らげて支えてあげたいです。 私はどのように立ち振る舞い2人に声をかけてあげたらいいのでしょうか。 また、亡くなった叔父は私達のことも見守ってくれているのでしょうか。

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母が旅立ちました 私は酷い娘です

母が20日前に亡くなりました 認知症と肺疾患を患っていた母 父からの暴力を受けてた母 主人が単身赴任していたこともあり 3年半前に私が引き取り 2人で暮らし始めました 話が噛み合うことも たまにはありましたが 認知症のせいで 人格障害 激昂や 私に執着したりする症状 子供返りに 悩まされました 私は母を引きとることに 躊躇していました パートで仕事に出ている間 母を1人で置いてくのが不安だったため デイサービスやショートステイを頻繁に利用していました ショートステイに行ってる間は 会社帰りに寄り道できたり 自由を感じていました 自分の事を最優先にして 母の事は二の次でした 亡くなる二、三ヶ月前から 肺機能が極端に悪くなり いつ亡くなってもおかしくない状態でしたが その頃から 夜中ベッドから私を大声で呼びかけるようになりました トイレに行きましたとか ベッドに上がらせてとか 私は知らんぷりを決め込み 母を手助けしませんでした 翌朝 母に 聞いても 覚えてないと言ってました 母が自宅にいる日は毎日続きました 失禁も多くなり 痰を洗面台に吐きっぱなしにしたり 尿の臭いがキツく ティッシュを無駄遣いしたり ご飯要るといいながら 食べなかったり 私は自制心が効かなくなり 母に酷い言葉を浴びせました オムツ交換の時も足を上げようとしない 母の足を何度も ペチペチと叩きました 母は二酸化炭素を排出できない病で 運動機能や記憶 排泄機能 いろんな ところに障害がでていたことに 私は気づきませんでした 私は小さな頃から 父が母に暴力を目の当たりにして 育ちました 母が沸騰したお湯を床に置いてしまった せいで 幼い私は足を突っ込み 火傷を負い 傷が残りました 先天性の股関節の病もあり 自分は母に 迷惑ばかりかけられていると詰りました 母が倒れる前の晩にそんなことを言いました これまで何度も母と離れたいと思ってきたけど 限界に近かった 本当に心底母から離れたいと思ってしまいました そして 母は倒れ 丸2日苦しんで 私は母を見送ることも出来ず旅立たせてしまいました 母に酷いことばかりして 母に優しくしてあげることができず 悲しい記憶ばかりが残ってしまいました 母に謝まりたい でももう届かない 苦しくて 辛いです 私はどうしたら良かったのか わからないままです

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兄の死 後悔

兄が亡くなり3週間立ちました。兄は事故にあい、一度死にかけた命を一度とりとめ、必死でリハビリをして頑張っていました。私は出産したばかりで兄に一度も会うことができないままでした。会いに行けないのには理由があり、精神的に不安定で暴力事件をおこし拘置所にいたからです。両親が出産したばかりだから会うのは落ち着いてからと言われていました。しかし、時は立ちましたがなかなか会いには行けませんでした。兄はいつも妹を心配してくれていたと聞きました。なのに、私は兄を見離してしまいました。とても心が優しく綺麗で繊細な人なのに、助けを聴いてあげることもできなくなっていました。苦しんで傷ついて辛い時を、私はどうにもしてあげれませんでした。両親も自分を責めているから、私は親の前では泣けません。兄が一生懸命生きる事を教えてくれているのだと思いますが、兄に会って優しい言葉を何でかけてあげれなかったのか、毎日後悔しています。潰されそうです。兄はお前は幸せになれよ!って、いつも言っており、私は兄が幸せじゃないと幸せにはなれんよ!って。本当に優しい兄でした。精神的に病んでからは人格が変わってしまい、手をつけられず、家族も何度も 崩壊しました。生きるか殺されるかの瀬戸際で暮らしていました。兄を憎むこともあったけど、リハビリを頑張って必死で歩こうとしてるのに、私は会いに行かず優しい言葉をかけてあげることもしないまま、兄は病院で窒息死しました。兄を想わない日はなかったですが、なぜ一目会って話てやれなかったのかと申し訳なさでいっぱいです。私は両親も心配です。兄が因縁を全て背負い込みかわいそうなことをしてしまったと。今の私はどうしたらよいのでしょうか?涙で枕を濡らす毎日です。主人や子供もいるから、ちゃんとしなきゃと思いますが、後悔で潰されそうです。

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叔母が亡くなり気持ちの整理ができません

1週間前に母方の叔母が亡くなり毎日のように叔母のことを思い出し涙が溢れてきます。 叔母は生涯独身だったため、家族がおらず私の家から1時間ほどの離れた土地で1人暮らしをしていました。 小さい頃は叔母と一緒に旅行に行ったり叔母が私の実家に来て泊まっていくということもありましたが、9年前に私が結婚してからは海外に住んだり出産育児で忙しく疎遠になっていました。しかし、1人で暮らている叔母のことはいつも心のどこかで気になっていました。 昨年の夏に叔母は骨折し入院していましたが、リハビリの甲斐あって4ヶ月ほどで自宅に戻れるようになりました。 その後、ヘルパーさんにご支援を頂きながら暮らしていましたが、母と父も高齢で頻繁に遠方の叔母の家に通うことは困難になってきたため私の実家の近くの老人ホームに呼び寄せようと思案していた矢先の突然の訃報でした。 退院の時に着る洋服を姉と一緒にプレゼントしたことが叔母にしてあげられた最後のことになりました。なぜ叔母に会いに行かなかったんだろう、会いに行けば良かった、元気なうちに会いたかった、ご飯でも一緒に食べに行けば良かった、美味しいもの食べられてたかな、何もしてあげられなかったな、などなど後悔の念が絶えません。 もうどんなに後悔しても叔母は戻ってこないし会えないことも分かっていますが、まだ気持ちの整理ができません。どのようにこの気持ちを整理したら良いでしょうか?ご教示願います。

有り難し有り難し 21
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母への後悔

先月母が亡くなりました。 母は私の自慢でした。 いつも明るく少し派手で自由で…。 でも子供をいつも優先。 母と会話するのがとても大好きで…。 でもいつの頃からか… 母が病を患い、年老いていく姿に私の心はついていけなくなってしまいました。 ずっとそばにいて支えてくれた母を疎ましく思い、一緒に居て欲しかったであろう時ですら分かっていながら一緒にいてあげられませんでした。 入院した母が我儘を言う姿に苛つき、どれだけお金をかけているんだと罵り、母にあたる事で、私は精一杯しているんだと納得させていました。 優しさなんて1つもない、毎日嫌味しか言わない。それでも見舞いに行くといつも喜んでくれている母に苛つき、後悔しながらもその繰り返し。 亡くなるなんて思ってもいなかった。 急変し、最期ですら間に合わず。 後悔でいっぱいで苦しいです。 何故いつも見ていた母の様子が分からなかったのか、何故老いていく母を受け入れられなかったのか。 母の笑顔を奪ってしまった。 1人で寂しく逝かせてしまった。 私のために体を張ってくれる母だったのに 何故私は突き放してしまったのか とても苦しいです。 本当は変わらず大好きな母だったのに。 母に私の声が届いて欲しいと願い、母への懺悔ばかりを書き続けてしまうのです。

有り難し有り難し 49
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母の死

先日母が心不全で急死し、後悔、罪悪感、寂しさでいっぱいです。 とても優しく献身的で尊敬すべき母でした。自らの祖母の介護、結婚後は両親を含む家族の面倒、子供達の世話、子供達が巣立ってからは母の介護と看取り、夫の半介護と、生涯にわたって温かく献身的に家族を支えて来ました。 なのに私は、自ら家庭を持つことで改めて母の偉大さを感じ取ってはいたものの、晩年、特に半要介護状態となったいわゆる昭和の亭主関白な男である父との関係など色々と悩みを抱えていたことを知りつつも親身になって支えてあげるでもなく、また長年の家族への献身で体も疲れ切っていた母の状態に気づきもせず、近々訪れるであろう父の看取りが終わったらいよいよ母にたくさん親孝行しよう、などとボーッとした考えで、同居していないとはいえ母が限界に至る前に手を打つことができませんでした。 寿命を伸ばすことが出来たかは、多分出来たはずだとの思いが強いですがはっきりとは分かりません。ただ、早めに何らか少しでも手を打っていれば、少なくとも晩年辛く寂しい思いをさせずに済んだと思うと、自分の無能さ、薄情さが悔やまれてなりません。太陽のように明るく活動的で優しかった母の息子とは思えないほどに、優しさ、状況をしっかり感じ取る能力と行動力に欠けていました。自分の生活を維持することばかりに目が向いてしまっていました。 母の無念さを思うと涙が止まりません。 私自身が今取り返しのつかない後悔を抱え悲しい思いをしていること自体は、自業自得であり、一生向き合っていこうと思っています。 せめて母は、死によって全ての苦痛から解放されたのだと、今は天国で安らかに眠っているのだと信じて、母の供養をひたすらにし続けたいと思います。 質問になっておらず恐縮です、今からでも何か母のためにできることがありましたら、ご助言いただけましたら大変幸いです。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

死んだ母に心安らかでいてほしいです

3/6、54歳の母を突然亡くしました。アルコール依存症で、それでも普通の生活を取り戻そうと頑張っていた母です。 両親が離婚していたため離れて暮らしていました。 酒を飲んだ母が嫌で、辛いことをわかろうともせず冷たい言葉も投げかけたことがあります。 母が亡くなった今となっては、なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろう、つらさをわかってあげられなかったんだろう、孤独を埋めてあげなかったんだろうと後悔ばかりです。 泣く回数は減りました。 けれど辛かったであろう母の晩年を想うと涙が出ます。 母の魂は救われるでしょうか? 生きているうちは恐らく辛いことだらけで、私がそれを除くこともできず、沢山寂しい悲しい思いをしたであろう母。 せめてあの世、浄土、言い方はわかりませんがその先では安らかでいてほしいと、毎日母に語りかけ仏様にお願いしています。 棺の中には「優しくできなくて、わかってあげられなくてごめん、大好きだよ」いうことを綴った手紙を入れました。私の気持ちは母に届けられるでしょうか? 手を合わせれば、気持ちは届くでしょうか? 49日が過ぎても、母に出来事を話したい、伝えられずにいた気持ちを伝えたいです。

有り難し有り難し 5
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亡くなった母に後悔の念でいっぱいです

私は40代独身で、2012年に父を、2015年に母を亡くして姉と二人暮しです。 30代の時に隣に住んでいた親戚がアル中であたり構わず暴力をふるい、私も巻き込まれ、それから心を病んで対人恐怖症になりました。 その病気と容姿へのコンプレックスから結婚できず、また姉も性格のせいか結婚しないままです。 両親ともに兄弟姉妹が多く、それぞれの子供たち(私のいとこ)はほとんど結婚して子供もいます。 そのため私達姉妹は親戚から自立していないと蔑まれています。 母に何度も「孫の顔見せてあげられなくてごめんね、肩身狭いね」と言いましたが母は「一緒に暮らせるんだからいいよ」と言ってくれました。 母は若い頃から苦労し続けて私の父が暴力をふるってもずっと耐えてきました。 母に楽をさせたい、親孝行したいと思いながらも自分の病気が制御できず、母にあたったこともありました。 母は60代半ばで若年性アルツハイマー病と診断され、父が先に亡くなると認知症も激しく進行して晩年は一人では何もできないようになってしまいました。 そして最期は乳がんで亡くなりました。 何一つ親孝行できませんでした。 父が亡くなってからは母は仏壇に向かって阿弥陀経をあげつづけていました。 それを思い出して阿弥陀経をあげていますがまだ涙が出ます。 どうすれば母の死を受け入れられるのでしょうか。 母に恩返しができるのでしょうか。 母が親戚の間で肩身の狭い思いをしたことを思うと親戚にも会いたくありません。 母に会えるなら死んでもいいと思うこともあります。 どうしたらこの執着から抜け出せますか。 また、お釈迦様の教えをよく知って拠り所にしたいので分かりやすく読める本などありましたらお教えください。 よろしくお願いします。

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