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悲しみについて

回答数回答 4
有り難し有り難し 49

一昨年前に実母が亡くなり、以来、こちらでお世話になっております。
お寺のことや、供養、お墓等のことで質問させて頂き、ご丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。
毎日のお勤め、花やお供え、茶水を絶やさず供養させて頂いています。

長らく二人暮らしでした。
病を抱えながらも私のために家事をしてくれていました。
私は幼い頃から病弱で心配ばかりかけ、苦労させました。
ある日、突然調子が悪くなり救急車で病院へ、そして次の日から意識が無くなり、一週間後に息を引き取りました。
私はその瞬間にも立ち合うことができませんでした。

生前は、私は仕事なので一人きり。最期も一人で逝かせてしまいました。
延命処置も断ったのは私です。

今年、三回忌となりますが、未だにあの時こうしてあげれば良かった、なぜあんなこといってしまったのだろう、最期にありがとうも言えず、後悔と悲しみの毎日です。

他人からすると、ただのマザコンなのかもしれません。
毎日、成仏し、父やご先祖様と幸せに過ごしてくださいと祈ることしか出来ません。

ただただ毎日冥福を祈り、悲しみが癒える日が来るのを待つしかないのでしょうか?それともいつまでもクヨクヨ引きずっている私の精神が弱いだけなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悲しい時は悲しいのです。

こんばんは。

このサイトを利用されておいでのご様子、
既にいろんなアドバイスを受けてこられたのだと拝察致します。

母上の三回忌、みまかられてから早いもので丸2年が経過したのですね。
あんくまさんのご心中、察するに余りあります。
多分、私も貴台の立場ならば同じような心境に到っていると思うからです。

我が親を思慕することが、もしもただのマザコンという人がいるのなら、
そのようにしか考えられない人なのですから、ほっておけばいい。
それほどに我が子から慕われていた母上は幸せだと思います。
そして何よりも成仏されて我が子の幸せを願っておいでだと思います。

思うに、貴台は母上が亡くなられた事実を、
精一杯受け止めようとされておいでなのだと思います。
受け止めるという思索的行為は、辛いと拝察します。
それが2年続くのか3年続くのか…人それぞれだと思います。
私はそうした思いを今すぐにやめなさいとは申しません。
その行為そのものが、母に対する我が子の愛情だと思うからです。

でも、いつの日にか“受け止める”ことから“受け容れる”時が来るはずです。
事実を受け止めるには苦痛を伴いますが、
受け容れることには苦痛は伴いません。
何度も言うようですが、
いつの日にか必ず、受け容れられる日が巡ってきます。
そのことを心の片隅にとどめておいて下さい。

仏の慈悲もまた然り、我々凡夫の苦悩を受け止めて下さるのではなく、
仏は我々の苦悩を受け容れて下さる存在なのです。

クヨクヨすること、気で病む必要はないですよ。
悲しい時は悲しいのです。
ムリにぬぐい去る必要はありません…。

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モットー 「寺は心に溜まったゴミを捨てに来る所」。回答数は決して多くありま...

自分の想いにだけに生きない

誤解される表現かもしれませんが、お母さんへの最大の供養は自分の想いにばかり生きないことです。お母さんが人の子の親としてこの世に生きて、あなたという人をそこまで育てて、この世を去ったという事。
お母さんが母の子としてあなたにのぞんだことがあるはずです。
命を授けてくださったお母さんが生命存在としてのあなたにも託したことがあるはずです。
それが宗教心なのです。
あなたがあなたの人生を生きる事。
そして他者とのかかわりをより良くしていく努力を惜しまない事。
母の愛を他者にめぐらし向ける事。
この世に生きていく上で望まれている生き方があるはずです。
自分の中のインナーマザーと向き合い、互いに浄化し、赦し合うことです。
感応道交という言葉があります。
どうぞ、お母さんとの心の交流、語らい、関係が最上になる様、ただお供えをするということばかりでなく、語らいを大切にしてください。
自分の想いだけに生きない、ということは「こうだったんではないだろうか」「こうかもしれない」「こうなんじゃないだろうか」というセルフマインドに陥らないということです。
埼玉ではお墓にコメをまきます。コメは舎利、亡き人への供養ということもありますが、普く広くに供養し、シャリ(遺骨=亡き人へのそばに置いておきたいという想い)を手放す象徴行為でもあります。あなたが母の深愛に導かれ多くの人に母から授かった愛を広める事が永遠に生きるお母さんをこの世に誕生させることになります。和尚の布教活動、檀信徒の強化活動が慈悲、愛を広める、とはそういう意味合いもあるのです。

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丹下覚元(たんげかくげん)
かくげん和尚の電話おなやみ相談  📞08020659278 そのモ...

この世で何年、一緒でしたか?

あんくまさま
ご無沙汰しております、なごみ庵の浦上哲也です。

幼い頃から病弱で、心配をかけ苦労させたと仰っていましたね。
でも、あんくまさんが非常に健康であっても、どんなに絶好調で暮らしていても、やはりお母さまは心配をしたと思います。それが親、特に母親という存在なのです。

「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」という絵があります。お釈迦さまが亡くなる場面を描いたものですが、上空にお釈迦さまのお母さまが書かれています。お母さまはお釈迦さまを産んで7日後に亡くなったと伝えられています。おそらく20代でしたでしょう。

そして80年後、悟りを開き、自分よりも遥かに年上となった息子が亡くなる時、それを嘆き心配し、天界から秘薬を届けようと降りてくるのです。お釈迦さまですら、母親は心配するのです。

1人で逝かせてしまった、延命処置を断った、最期にありがとうと言えなかった。後悔は耐えることがないかもしれませんが、あんくまさんのお母さまは仏さまの世界で、「そんなことを気にしないで、元気に過ごしてね」と微笑んでおられると思います。

悲しみの気持ちについてです。
あんくまさん、お母さまとはこの世で何年一緒にお過ごしになりましたか? 何十年も過ごされましたよね。そんな方を失った悲しみが、1年や2年でどうして消し去ることができるでしょうか。
何年でも時間をかけてよいと思います。じっくりと受け入れていって下さい。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

洞然坊の大橋慈峰です。

始めまして、大橋です。母上様お亡くなりになり、心中お察しいたします。
私も昨年母の3回忌を勤めました。私もお母ちゃん子で、何でも母でした。苦労かけました。心配もかけました。父が他界後一人で暮らしていましたが、痴呆症もでてきて、自坊に引き取り
一緒に暮らしていました。最後は老人病院に入り、病院で亡くなりました。私も母の最後は見送り出来ませんでした。息を引き取り5時間後に病院に到着、息を引き取取る時に私の事、息絶え絶えで聞いていたと聞き、恥も外聞も気にせず病院内で大泣きいたしました。それで気持ちスッキリしました。悲しいけど、無事 通夜、葬儀執りえました。今でも遺影見ると涙出て来ますよ。この文面打ちながらも、涙出て来そうですよ。親子ですもの。だけど悲しみがこの頃、想い出とスライドする様になって来ました。母との思い出の最後が葬儀と思える様になって来ました。
寂しい時、悲しい時、ご仏前でどうぞ涙お流し下さい。人の子供ですから当たり前です。
そして手を合わせ、供養して上げた下さい。きっと喜んでおられますよ。
只そろそろ悲しい思い出ですが、お母様の事想い出として心に残して下さい。
私もその様に努力しています。

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大橋慈峰
始めまして、洞然坊の大橋慈峰です。小さな修験道のお寺で、住職しています。

質問者からのお礼

藤波 蓮凰様
ご回答ありがとうございます。
いつの日か受け容れる日が来ることを待ちながら供養を続けていきたいと思います。
ありがとうございます。

大橋 慈峰様
ご回答ありがとうございます。
大橋様もお母様を亡くされ、お辛い中、ご回答頂いたのですね。
子供の頃から入退院、阪神大震災、父の死等、大きな出来事があり、
助け合いながら、と言うより、助けてもらうことばかりでした。
母は気の強い人だったので、喧嘩もよくしました。
仏前で涙を流す事は無くなってきましたが、やはり写真を見ると。
良い思い出として、気持ちに区切りを付け、前向きに 生きる努力をしなければいけませんね。

丹下 覚元様
ご回答、ありがとうございます。
自分の想いにだけ生きない、今の私には難しいお言葉かもしれません。
しかし、いつまでもこのままではいけないと自分でも思います。
ありがとうございました。

浦上 哲也様
ご無沙汰しております。
今回もまたご回答頂き、ありがとうございます。
周りの方々からは、もうそろそろ気持ちに区切りを付けて…亡くなったお母さんも浮かばれない等のお言葉を頂戴します。母もそれなりの年齢、私もいい歳をしていつまでもと思うところもあるのですが、病を抱えた母でしたが、早起きで、たまに寝坊すると、私はビックリして飛び起き寝ていることを確認してホッとしたり、仕事中も倒れていないか心配の毎日でしたので、今でもよく飛び起き、ああ、もういないんだな心配しなくていいんだなと安心やら寂しさやら複雑な心境になります。
母に対する色々な想いは一生消えることはないと思います。
受け止めるのに何年かけても良いと言うお言葉に、救われるような、また安心するような気がします。
これからも出来る限りの供養をして行きたいと思います。ありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

亡き夫への想い

1年半前に26年共に過ごした主人を亡くしました。それが原因で実の親と兄弟と絶縁。心療内科に通いなんとか普通に生活しています。夫は今どきめずらしいほどの亭主関白で厳しい人でした。弱音は吐かず寡黙な人でおしゃべりが好きで甘えたい私には厳しすぎて、いつの日か笑って話す事もなくなり、頼る事をしなくなり日時会話も減っていきました。家政婦のような毎日に嫌気がさし、いつもの喧嘩から意地で家を出ました。亡くなる3ヶ月前です。職人だった主人は健康診断をせず、病気に気づかず、ただ、険悪になった3ヶ月は主人の身体は立っているのも辛い状態だったはずだと後から医者に聞きました。痛い、辛いを言わなかった人だけに私はその辛さに気づかず、孤独は自分なんだと可哀想な自分は自由になるべきだと家を出ました。主人が溺愛していた末娘を連れてです。いつも絶対に折れない主人が頭を下げて戻ってきて欲しいと言うまでは帰るまいと決めてました。その間に歩けなくなった主人は入院してから4日で亡くなりました。相当苦しかったはずだ、と医者に聞かされ愕然としました。入院して2日目にベッドの上から私の手を引っ張って握り「戻ってくれ」と言いました。ずっと聞きたかった言葉に泣けて泣けて泣けて…… ずっとその大きな手が欲しかっただけ。 優しい言葉が欲しかっただけ。 私はどこを何を見ていたんだろう。この人の何を見ていたんだろう。ずっと愛してくれていたはずなのに、欲張りな私は気づかなかった。週末は外に干し毎日整えてた布団も一番辛かった3ヶ月はずっと敷いたままだった。毎日作っていた手料理も一番辛かった時に作ってあげられなかった。毎日掃除していた部屋も毎日洗濯していた作業着もきれいにしてあげられなかった。長い間 一緒にいて、一番不幸な時に死なせてしまった。私が殺してしまった。あの時傍に居たら、ずっと一緒に暮らしてたら、もしかしたら命はあったかもしれない。寂しかったはず、辛かったはず… 1年と半年、毎日謝り続け、でも、普通にご飯を食べのうのうと生きている自分に嫌気がさし、消えてしまいたい思いと戦いながら、残った4人の子供たちを幸せにしなければ、とただ、それだけで頑張っていますがスーパーで買い物をしていても、車を運転していても主人の影を探してしまう毎日にもう無理だよ……って、どうにもならなくなったとき、このサイトを見つけました、辛いです。助けて

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母が他界しました。63歳でした。 3年半闘病しました。2年間は食べる事も飲む事もできませんでした。 旅行が好きな母でした。私が社会人になってからはいろんな所へいきました。 最後の旅行の時「あなたと後何回いろんなところへ行けるかな。」とポロっと言われました。その時は「何言ってるのー?」と笑って返しましたが、その旅行が最後の旅行になりました。何故こんな事を言ったのかずっと心に突き刺さっています。 亡くなる3日前に急に体調が悪くなり、肺炎でした。施設に預けていましたが、亡くなる前日少し状態が良くなり、付き添いを止め、私も自宅に帰りましたが、夜中に1人で逝ってしまいました。 「付き添いをしてあげればよかった」「仕事で忙しいと言わずに時間を作ってもっと会いに行ってあげれば良かった」いろんな感情がぐるぐる回っています。3年半も頑張ってくれて、もう辛くないんだから前を向かなきゃと思いますが、どれだけ泣いてもふっと気を抜くと涙が止まりません。 そばにいて貰いたくて、分骨したいと思い骨壷ペンダントを買いましたが、家族に言えずにしまっています。 分骨も悪い事ではないとインターネットで見ましたが、やはり身内にお願いできません。また遺骨を砕く勇気も私がありません。身体が鉛のようで何もできないです。 このままじゃ母が心配しそうです。

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誤りたいです

私は朝7時に出て夜7時に家に着く生活をしていました。 父が病状が悪化した時、さすがに7時は遅いと思いました。 でも、毎日早退なるし…そう思い毎日15分早退する事にしたんです。 1時間早く家に着く事が出来る、その時はそう思いました。 でも今考えると、親が病気なのに、苦しんでるのに、たった15分だけの早退にしてしまった後悔におそわれています。 父より、周りの目を気にしてしまった…その自覚もその時はなかったです。 私は父にあたってばかりいた… 父は鬱病の私を心配して少ない年金から少しでも私が元気になるように調理器具とか弁当のおかずとか色々買ってきてくれました。 でも、私父に何もしなかった… 今考えると、何一つ父にしてあげてなかったんだから、周りの目なんか気にせずに最期ぐらい少しでも早く帰って父のために過ごせばよかった… 最後まで自分を優先してしまった… 寂しい思いもさせたと思います 申し訳なくて誤りたくて 父の日も父の誕生日も何もしなかった ケチってばかりいた… どうして最期の時まで判断を間違えるのか 家族が病気なのに、たかだか15分ぐらいで周りの目を気にして、あんな時にフルで仕事して自分でバカなんじゃないかと思う 避けてばかりいたけど、今更ですがもっと話をすれば良かったと思ってます 家族を守ってあげれなかった… 何でこんなに弱いんだろ…

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毎日がつらくて

今年、最愛の母が亡くなりました。 生前は一緒に病院に行ったり、介護の際も2人で頑張ろうね、一緒に楽しいことしたいね。といつも出かける予定と楽しみを2人で考ていました。いつもポジティブで何事も楽しく明るく取り組む母が大好きで、その優しい笑顔が見たくて毎週いつも出かけたり家では冗談ばかり言ってました。終末期になって、母は苦しい、助けてよ、助けてよ。と何度も私に言っていました。ですが、私に病気を治すことは出来ないので抱きしめて、大丈夫だよ。良くなるよ。怖くないよ。ずっと私が隣にいるからねと励ましました。亡くなってしまってから、その母の『助けてよ』『しんどいよ』と苦しそうな母の声と表情を思い出したり、母の行きたかった所、したかった事が出来なかった事を想うと、可哀想で苦しくて胸が張り裂けそうです。もっと、長生きしたかった気持が凄く伝わってきてましたし、私もそう願っていました。 余命宣告をされてから 私の弟が心臓の弱い母の耳元で『わっ!」と驚かせたり、私のことを母の目の前で殴ったり... 亡くなる前の日、考えなしの父が骨が弱くなっていた母の喉を押しました。その後から息が苦しそうになり翌日亡くなりました.. 私はこの気持ちを どうしたらいいか分かりません。 病気で苦しんでいる母に対する家族の対応が私には理解できません。その件を家族に言うと、逆に私が悪いと言われたり.. もう心が壊れそうです

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亡くなった父に対する後悔が消えません。

昨年父が亡くなりました。倒れてから寝たきりになり、数ヶ月に息を引き取りました。 短い時間でしたが自宅で介護ができましたし、家族全員できることは全てやり切ったと思っています。 父も幸せだったのではないかと信じたいのですが、後悔していることがありその気持ちがなかなか拭えません。 まず、花嫁姿も孫の姿も見せられなかったこと。最後に元気な父な会った時、そっけない態度をとったこと。最期を看取れなかったこと。よく眠るようになった父を、病気かもと疑わなかったこと。 幸せな思い出がたくさんですが、そんななかで後悔も消えません。 父が夢に出てくると、決まって笑顔です。現実と同じく入院していても、夢の中では歩いていて、笑っていて、家族を愛しんでいる雰囲気を感じます。 そんな夢を見た朝ほど、もっとしてあげたかったことが浮かんできて、仕事中にも辛くなりそうになるので、無理やり忘れます。 そうすると、無理やり忘れるなんて父も悲しむのでは、なんてことも考えてしまいます。 誰との別れでも後悔はあると思いますが、どうやって乗り越えていけばいいのでしょうか。前に進んでいくための言葉をいただけるとありがたいです。

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祖父の死、後悔が尽きません

癌の余命宣告を受けていた祖父が旅立ちました。宣告されていた余命よりも長く頑張りました。 幸いにも、亡くなる1週間ほど前までは元気で、薬は飲んでいたものの、入院することもなく、亡くなる前日まで散歩をしたりしていました。 私は祖父と同居していたこともあり、おじいちゃんっ子でした。 海外に住んでいるため、コロナ禍ということもあり、祖父が亡くなるまで一度も日本に帰り会うことはできませんでした。 そのため、毎日祖父にビデオ電話をかけて、お喋りすることにして、連絡を取り合っていました。でも、毎日と決めていたのにも関わらず、3日間連絡が空いてしまうことや、祖父の話をちゃんと聞いていなかったときもあったなあ…もっといろいろ聞いて、もっと闘病中の祖父を労ってあげればよかった、という後悔で押しつぶされそうです。闘病中でしたが、ご飯もよく食べ、散歩もし、元気だったため、その姿に甘えて、寄り添ってあげれてなかったのではないか…実は苦しかったのにそれを見せなかっただけだったのか…考え出すと苦しくて涙が止まりません。人間未熟な自分が嫌になります。 まとまりのない文章で申し訳ございません、いまの素直な感情を書かせていただきました。私もいつか祖父のいる場所に行く時が来たら、また会えると信じています。また会いたいです。

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母の死に罪悪感と後悔で一杯です。

数日前に実家の母が亡くなりました。末期癌で、病気の発覚から僅か4ヶ月でした。 1ヶ月前に電話で話した時も体調はあまり良くなさそうな様子ながらも「死なない」とはっきり言っていました。 ところが2週間程前から体調が急激に悪化して電話もメールも出来なくなってしまいました。 母が亡くなった今、罪悪感に押し潰されそうです。というのも、喧嘩別れのような状況で死ぬまで優しい言葉をかけられませんでした。 私は幼少期から母との溝を感じて生きてきて、自分の気持ちを理解してもらえない。苦しい時に寄り添ってもらえないと感じていました。 成長するにつれて価値観や考え方すれ違いは増していき、次第に私は母に対して反抗するようになりました。 自立してからも反抗的な気持ちがおさまらず、溝がありました。 私が結婚し、孫をとても可愛がってくれましたが相変わらず溝は深いままでした。 一年程前子供を連れて実家に行った時に、自分の中でどうしても許せないことを言われ大喧嘩をして連絡を断ちました。死に目にも会わない覚悟でした。 ところがいざ母の病気が発覚した時に気持ちが揺らぎ、連絡を再開しました。 しかし、今までのことがあり母にどういう言葉をかけていいかわからずぎこちないやりとりでした。 コロナ禍で直接会うことは叶わず、病気に対して実感がわかなかったのもあります。そして、精神的に強い人なので母は死なないのではないかと根拠なく心のどこかで思っていました。自分より強い母が死ぬことを認めたくなかったのかもしれません。 喧嘩別れして以来、母に会えたのは葬儀の場でした。棺桶に横たわる母は別人のように痩せこけていました。 その時、言い様のない感情が襲ってきてその場では唖然とするばかりでしたが、自宅に帰ってから涙が止まりません。 もっとかけるべき言葉があったのではないか。優しくできたのではないか。そして、今までの人生で母にしてきた己の身勝手で酷い仕打ちを思いだし後悔しかありません。謝りたい。 闘病中に元気付けられればと子供の写真や動画を送った時の嬉しそうなお礼のメールが、辛くて読み返せません。心の中で和解しきれていないと感じていた私は、そっけない返事をしました。それが最後のやりとりでした。 子供のためにも切り替えなければならないと頭では理解しています。自分が悪いことは承知ですが、どうしたら前を向けるでしょうか?

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父はどう思っているのでしょうか?

父が亡くなる直前まで心労をかけてしまいました。 婚約後、価値観の違いから衝突して、入籍の無期限延期を言われたのですが、 話合いをしても平行線で、自らピリオドを打ちました。 当時入院中だった父は病室から何度か電話をくれて 「心配しているけど、自分の将来なんだからおまえに任せる」と言ってくれていました。 遠距離恋愛の為、名古屋まで話合いに向かいました。 彼の要望を聞いていると、私が望むごく一般的なつつましい結婚生活は期待できそうもなく、好きな気持ちはあるけど、先々の事を考えて交際自体も終わらせる事を選んで自分の住む町へ戻りました。 翌朝、父の容体が急変し、16日間の危篤状態を経て他界しました。 この期間私の為に頑張ってくれたような気がしてなりません。 父も理解してくれていたこととはいえ、死の直前まで心労かけました。 その所為で死期が早まったのではないか? 糠喜びさせて、悲しい気持ちのまま旅立ったのではないか? 悔やんでも悔やみきれません… 父の訃報はSNSなどで知ることが可能ですが、彼からは音沙汰なしでした。 最後はお互い納得して別れたのに、別れてしまったとはいえ、ひと月まえに家族になっていたはずの人なのに…。 親族への挨拶まで済んで入籍直前なのに自分の都合で延期を言い出したのに、両親への説明や謝罪もしてくれませんでした。 別れることまでは考えていなかった彼ですが、その言い分が自分にだけ都合の良すぎるものだったので、私から去ることを決断しました。 それでもお互い人としての義理人情はあると信じていました。 私は愛されていなかったんだ… 今は内省していないと気持ちの置き場所が見つかりません。 職場の人もみんな知っていて、誰に対しても申し訳ない気持ちです。 私の状況を知る親族も二重の悲しみを抱いています。 葬儀の間、隣に座る姉の横には姉の旦那さんが居て、 本当だったらあの人がここに座っていてそれだけで救われたはずなのに… 父の死をこんな絶望感で受入なければいけないのは何でなのだろう? 私は何をそんなに間違えたのだろう? 彼氏に自分の気持ちを言ってはいけなかったのだろうか? たまに彼に対して恨みのような感情が沸き上がるのが辛いです。 父の死、ただそれだけを悲しむことができればどんなにいいか…。 「お父さん、ごめんね。」 父に会いたいです。

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