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悲しみについて

回答数回答 4
有り難し有り難し 47

一昨年前に実母が亡くなり、以来、こちらでお世話になっております。
お寺のことや、供養、お墓等のことで質問させて頂き、ご丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。
毎日のお勤め、花やお供え、茶水を絶やさず供養させて頂いています。

長らく二人暮らしでした。
病を抱えながらも私のために家事をしてくれていました。
私は幼い頃から病弱で心配ばかりかけ、苦労させました。
ある日、突然調子が悪くなり救急車で病院へ、そして次の日から意識が無くなり、一週間後に息を引き取りました。
私はその瞬間にも立ち合うことができませんでした。

生前は、私は仕事なので一人きり。最期も一人で逝かせてしまいました。
延命処置も断ったのは私です。

今年、三回忌となりますが、未だにあの時こうしてあげれば良かった、なぜあんなこといってしまったのだろう、最期にありがとうも言えず、後悔と悲しみの毎日です。

他人からすると、ただのマザコンなのかもしれません。
毎日、成仏し、父やご先祖様と幸せに過ごしてくださいと祈ることしか出来ません。

ただただ毎日冥福を祈り、悲しみが癒える日が来るのを待つしかないのでしょうか?それともいつまでもクヨクヨ引きずっている私の精神が弱いだけなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悲しい時は悲しいのです。

こんばんは。

このサイトを利用されておいでのご様子、
既にいろんなアドバイスを受けてこられたのだと拝察致します。

母上の三回忌、みまかられてから早いもので丸2年が経過したのですね。
あんくまさんのご心中、察するに余りあります。
多分、私も貴台の立場ならば同じような心境に到っていると思うからです。

我が親を思慕することが、もしもただのマザコンという人がいるのなら、
そのようにしか考えられない人なのですから、ほっておけばいい。
それほどに我が子から慕われていた母上は幸せだと思います。
そして何よりも成仏されて我が子の幸せを願っておいでだと思います。

思うに、貴台は母上が亡くなられた事実を、
精一杯受け止めようとされておいでなのだと思います。
受け止めるという思索的行為は、辛いと拝察します。
それが2年続くのか3年続くのか…人それぞれだと思います。
私はそうした思いを今すぐにやめなさいとは申しません。
その行為そのものが、母に対する我が子の愛情だと思うからです。

でも、いつの日にか“受け止める”ことから“受け容れる”時が来るはずです。
事実を受け止めるには苦痛を伴いますが、
受け容れることには苦痛は伴いません。
何度も言うようですが、
いつの日にか必ず、受け容れられる日が巡ってきます。
そのことを心の片隅にとどめておいて下さい。

仏の慈悲もまた然り、我々凡夫の苦悩を受け止めて下さるのではなく、
仏は我々の苦悩を受け容れて下さる存在なのです。

クヨクヨすること、気で病む必要はないですよ。
悲しい時は悲しいのです。
ムリにぬぐい去る必要はありません…。

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モットー 「寺は心に溜まったゴミを捨てに来る所」。回答数は決して多くありま...

自分の想いにだけに生きない

誤解される表現かもしれませんが、お母さんへの最大の供養は自分の想いにばかり生きないことです。お母さんが人の子の親としてこの世に生きて、あなたという人をそこまで育てて、この世を去ったという事。
お母さんが母の子としてあなたにのぞんだことがあるはずです。
命を授けてくださったお母さんが生命存在としてのあなたにも託したことがあるはずです。
それが宗教心なのです。
あなたがあなたの人生を生きる事。
そして他者とのかかわりをより良くしていく努力を惜しまない事。
母の愛を他者にめぐらし向ける事。
この世に生きていく上で望まれている生き方があるはずです。
自分の中のインナーマザーと向き合い、互いに浄化し、赦し合うことです。
感応道交という言葉があります。
どうぞ、お母さんとの心の交流、語らい、関係が最上になる様、ただお供えをするということばかりでなく、語らいを大切にしてください。
自分の想いだけに生きない、ということは「こうだったんではないだろうか」「こうかもしれない」「こうなんじゃないだろうか」というセルフマインドに陥らないということです。
埼玉ではお墓にコメをまきます。コメは舎利、亡き人への供養ということもありますが、普く広くに供養し、シャリ(遺骨=亡き人へのそばに置いておきたいという想い)を手放す象徴行為でもあります。あなたが母の深愛に導かれ多くの人に母から授かった愛を広める事が永遠に生きるお母さんをこの世に誕生させることになります。和尚の布教活動、檀信徒の強化活動が慈悲、愛を広める、とはそういう意味合いもあるのです。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

この世で何年、一緒でしたか?

あんくまさま
ご無沙汰しております、なごみ庵の浦上哲也です。

幼い頃から病弱で、心配をかけ苦労させたと仰っていましたね。
でも、あんくまさんが非常に健康であっても、どんなに絶好調で暮らしていても、やはりお母さまは心配をしたと思います。それが親、特に母親という存在なのです。

「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」という絵があります。お釈迦さまが亡くなる場面を描いたものですが、上空にお釈迦さまのお母さまが書かれています。お母さまはお釈迦さまを産んで7日後に亡くなったと伝えられています。おそらく20代でしたでしょう。

そして80年後、悟りを開き、自分よりも遥かに年上となった息子が亡くなる時、それを嘆き心配し、天界から秘薬を届けようと降りてくるのです。お釈迦さまですら、母親は心配するのです。

1人で逝かせてしまった、延命処置を断った、最期にありがとうと言えなかった。後悔は耐えることがないかもしれませんが、あんくまさんのお母さまは仏さまの世界で、「そんなことを気にしないで、元気に過ごしてね」と微笑んでおられると思います。

悲しみの気持ちについてです。
あんくまさん、お母さまとはこの世で何年一緒にお過ごしになりましたか? 何十年も過ごされましたよね。そんな方を失った悲しみが、1年や2年でどうして消し去ることができるでしょうか。
何年でも時間をかけてよいと思います。じっくりと受け入れていって下さい。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

洞然坊の大橋慈峰です。

始めまして、大橋です。母上様お亡くなりになり、心中お察しいたします。
私も昨年母の3回忌を勤めました。私もお母ちゃん子で、何でも母でした。苦労かけました。心配もかけました。父が他界後一人で暮らしていましたが、痴呆症もでてきて、自坊に引き取り
一緒に暮らしていました。最後は老人病院に入り、病院で亡くなりました。私も母の最後は見送り出来ませんでした。息を引き取り5時間後に病院に到着、息を引き取取る時に私の事、息絶え絶えで聞いていたと聞き、恥も外聞も気にせず病院内で大泣きいたしました。それで気持ちスッキリしました。悲しいけど、無事 通夜、葬儀執りえました。今でも遺影見ると涙出て来ますよ。この文面打ちながらも、涙出て来そうですよ。親子ですもの。だけど悲しみがこの頃、想い出とスライドする様になって来ました。母との思い出の最後が葬儀と思える様になって来ました。
寂しい時、悲しい時、ご仏前でどうぞ涙お流し下さい。人の子供ですから当たり前です。
そして手を合わせ、供養して上げた下さい。きっと喜んでおられますよ。
只そろそろ悲しい思い出ですが、お母様の事想い出として心に残して下さい。
私もその様に努力しています。

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おきもち

大橋慈峰
始めまして、洞然坊の大橋慈峰です。小さな修験道のお寺で、住職しています。

質問者からのお礼

藤波 蓮凰様
ご回答ありがとうございます。
いつの日か受け容れる日が来ることを待ちながら供養を続けていきたいと思います。
ありがとうございます。

大橋 慈峰様
ご回答ありがとうございます。
大橋様もお母様を亡くされ、お辛い中、ご回答頂いたのですね。
子供の頃から入退院、阪神大震災、父の死等、大きな出来事があり、
助け合いながら、と言うより、助けてもらうことばかりでした。
母は気の強い人だったので、喧嘩もよくしました。
仏前で涙を流す事は無くなってきましたが、やはり写真を見ると。
良い思い出として、気持ちに区切りを付け、前向きに 生きる努力をしなければいけませんね。

丹下 覚元様
ご回答、ありがとうございます。
自分の想いにだけ生きない、今の私には難しいお言葉かもしれません。
しかし、いつまでもこのままではいけないと自分でも思います。
ありがとうございました。

浦上 哲也様
ご無沙汰しております。
今回もまたご回答頂き、ありがとうございます。
周りの方々からは、もうそろそろ気持ちに区切りを付けて…亡くなったお母さんも浮かばれない等のお言葉を頂戴します。母もそれなりの年齢、私もいい歳をしていつまでもと思うところもあるのですが、病を抱えた母でしたが、早起きで、たまに寝坊すると、私はビックリして飛び起き寝ていることを確認してホッとしたり、仕事中も倒れていないか心配の毎日でしたので、今でもよく飛び起き、ああ、もういないんだな心配しなくていいんだなと安心やら寂しさやら複雑な心境になります。
母に対する色々な想いは一生消えることはないと思います。
受け止めるのに何年かけても良いと言うお言葉に、救われるような、また安心するような気がします。
これからも出来る限りの供養をして行きたいと思います。ありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

友人の魂はどこにいるのでしょうか?

1ヶ月前に大切な10年来の友人が亡くなりました。 それを知ったのは昨日のことです。 高校生の時からの大切な友人でしたが、私と友人は2年ほど連絡を取っていませんでした、というのも私は友人の些細な一言で怒ってしまい、連絡を取ることを一旦やめてしまっていたからです。 1月に急に友人からメッセージが届きました。 「いろいろなことがあってパニックになってる、たくさん話したいことがある、また前みたいに遊びたい」と言われて私はまだその気になれない、と回答をしました。いつかまた友人の言葉を許せたら遊びに誘えばいいと思っていました。 私の回答を聞いた友人はとても反省していて、これからは連絡とらない方がいいよねと返信をくれました。 私はその返信について何も答えられず、悩んで返信をしないままでいました。 そして昨日、その子の母親から彼女が2月に死去したという旨のメッセージをもらいました。 肝臓がんでした。 まだ連絡とりたくないとは言ったけど、またいずれ遊びたいと思っていたし、またいつか会えるものだと思っていて、すぐに返信を返さなかったことを強く後悔しました。 彼女に嫌な事を言われたり、うんざりすることもあったけど、友達をやめたいなんて思っていないし一緒にいるのは本当に楽しくて彼女のことは大好きだった。 この気持ちをどうにかして彼女に伝えたいです。 自己満足になってしまうけれど、これだけはわかって欲しくて。 49日までは、亡くなった方の魂は現世?にとどまる、という様な話を聞いたことがあります。 彼女のお仏壇はなく、お墓があると彼女の母親から聞きました。 すぐにお墓にいってこの話をしたら彼女に聞いてもらえるでしょうか? ほかに伝える方法はあるのでしょうか? 教えてください。 長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。 どうかよろしくお願い致します。

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震災で亡くなった母の気持ち

3月11日震災の日が近く、ある女性の手記を目にしました。その女性はお母さんと一緒にいる時に津波が来て逃げようとしたところ、お母さんは瓦礫に挟まり身動きが取れなかったそうです。 でも津波はどんどん迫ってきて、女性はお母さんを置いて逃げる事しかできなかった。その気お母さんは、「待って!行かないで!助けて!」と、ずっと叫んでいたそうです。女性は「ごめんなさい…ごめんなさい…どうか許して…」と、胸を引き裂かれる思いで避難したとの事でした。そしてお母さんは遺体で見つかったと…。 9年経つ今でも、ずっとお母さんの声が頭から離れず苦しんでいらっしゃいます。一緒にいてあげれば良かったのか、何とかできなかったのか…という思いが何度も押し寄せるそうです。 少し話は違いますが今まで質問させて頂いた通り、まもなく私には赤ちゃんとお別れした日がやってきます。それに加えて震災でのこうした手記などを読み、最近は命や魂が救われているのかをよく考えます。 この世に生まれる事なく空へ帰った赤ちゃん(水子様)は一切の恨みや煩悩は無く、私などが思うより限りなく純粋な魂であり、母が幸せに前を向いて生きていく事を望んでいるとハスノハで学びました。本当に尊いです…。また、煩悩などは生まれてから大人になるにつれて身に付くものだとも学びました。人間には生きたいという本能があると思います。だから女性のお母さんは、そう叫んだのだと思います。 赤ちゃんはこうした気持ちは持っていないかもしれません…。でも女性のお母さんの魂や思いは、仏様に救われているのでしょうか?本能でその瞬間は助かりたいと叫んだのだと思います。でも、娘さんである女性がずっと苦しむ事を望んでいるわけでもないと思うのです…。女性が間違った行動をしたとは思いません。自分の事もお母さんの事も、助けようと必死だったはずです。私なんかがとてもおこがましいですが、自分とリンクして考えてしまいました。赤ちゃんを助けたかった、本当は自分が死んでもいいかは産んであげたかったです…。それができなかった酷く愚かな母です。 でもそんな私を清らかな赤ちゃんは受け止めてくれていると学びました。女性のお母さんも今は救われているのでしょうか?女性を恨んだりなどしていないと信じたいです。 長々とすみません。色んなご意見をお聞きしたいです。

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他界した夫に謝り、感謝を伝えたいです。

初めて質問をさせて頂きます。 アルコール依存から肝硬変、食道癌。 夫の命を守りたくて約10年、仕事で看護師をしている時よりも、全身全霊込めて夫の看護をしました。 在宅で療養しやすいよう、医師達からかなりの協力も受けていました。 夫は療養中、昔の知り合いの女性と飲みに出て動けなくなり、警察に保護されることや怪我で救急車で運ばれていたり、毎日がジェットコースターのような感じでした。 この3年は特に、疲れや高額な医療費の圧迫で、私は余裕がない状態で接していました。 他界する当日、何か苦しく感じたのでしょう。 断酒していましたが、夫は近くのドラッグストアでお酒を購入し、飲み、自宅付近でうずくまっていました。 「いい加減にして欲しい。もう限界。」の気持ちが爆発してしまいました。 夫に罵詈雑言を言い、杖を投げつけて自宅に入るよう言ってしまいました。 夫は全く動く事が出来ず、帰宅した息子に介助して貰い自宅へ入れた直後に心配停止。 息子を指示して心肺蘇生を開始しましたが、あっさりと亡くなってしまいました。 長い闘病生活の中で、飲む、体調を悪化させる、入院、回復してきたので、まさか最期になると思わず酷い対応をしてしまいました。 夫へ「あの時は本当にごめんなさい。」、「一緒に過ごした時間は本当に楽しかった。」、「またいつか逢えることを楽しみにしている。」ことを伝えたいです。 菩提寺様にお話して、納骨はまだ先にさせて頂き、家でいつも話し掛けています。 夫の人生はなかなか破天荒だったので、初七日から四十九日の大切な日には、審判する仏様へ「彼は心根は良い人なので、審判をお間違えのないようお願い致します。」と手を合わせて来ました。 夢にも殆ど現れず、お釈迦様のお弟子さん生活を開始し、頑張っているのかな?等と感じながら過ごしています。 毎日お線香をあげ、話し掛け、節目、節目には菩提寺様へ伺わせて頂くことで、夫へ伝わるでしょうか。 纏まらず、ごめんなさい。 どうぞ宜しくお願い致します。

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母が亡くなりました。後悔ばかりです。

つい先日、最愛の母が亡くなりました。 約8年前に乳癌がみつかり、すでにステージ4。 自分はいつも後まわしの家族思いの母は、私や姉、父の入退院で大変だったこともあり、自分の体調変化をわかっていながら病院へ行くのが遅くなりました。 母にとっての宝物は家族。 娘や孫のために長生きするとツラい治療を頑張ってくれていました。 ひ孫も産まれ毎日楽しく暮らしているなか脳に転移し、手がつけられないと医者から告げられ入院して10日で亡くなりました。 優しくて、家族が大好きで、我慢強くて。明るく、常に前向きで、母の口から誰かの悪口や弱音も聞いたことないような素晴らしい人でした。 病院では、母が『私もう長くないね…』って。涙が止まらずにいる私に、自分が1番ツラいはずなのに私の涙をふいてくれて『泣かないよ』って。 母は、『私は幸せだった~』って何度も言ってました。私が『貧乏で、お金なかったのに?』ってきくと『良い娘、孫、ひ孫に恵まれたから、私は幸せだった~』って言ってくれるんです。 『生まれ変わってもまた私の娘で産まれてきてね』って母は言ってくれました。 私と姉が出来るのは、亡くなるその時を、ひとりにさせないこと、そして痛み苦痛がないようにでした。母は寂しがりだったので。最期は母は自ら、家族写真を手に取り、大好きな孫に手を握られ、家族に見守られ亡くなりました。 亡くなったあとも私は後悔ばかりで涙が止まらず前に進めません。 私がはやく脳転移の異変に気付いていれば。体の不調を言ってくれてたのに。どの医者に言っても脳転移は誰も分からなかったようで。でも私が何度も医者に言えば良かったのに。家に帰りたいと言う母、病院に連れて行かないで家で看とり出来るようにしてあげれば良かったとか。 ひ孫と遊んでいる幸せな母の顔を思い出しては、なんで助けてあげられなかったんだろうと後悔ばかり。 母は、家族一人一人に手紙を残してました。 家族の心配と、自分が病気になって迷惑をかけたという内容です。 私はもちろん家族も迷惑かけられたなんて一度も思ったことありません。 家族にとって母は、大きな大きな存在でした。 私は自分が大好きな母を殺してしまった気持ちから抜けられず、寂しくて悲しくてツラくて。 私を信じて一緒に治療を頑張っていてくれた母。私のせい…。。

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おじいちゃんに何もできなかった。

初めまして。1人で夜中に何時間も考え悩んだ末に、投稿させていただきます。 僕は昔からおじいちゃんが大好きでした。実家の横が祖父母の家なので、頻繁に通い、祖父にとても優しくされた記憶が今でも鮮明に蘇ってきます。 そんな中、高校進学を機に部活等々で忙しくなりあまり顔を出すことが出来なくなりました。ちょくちょぬ顔は出してはいたのですが、これといって特別なことをするわけでもなく時間が過ぎていきます。 高校卒業後は、海外の大学に行く予定でしたので、さらに会う時間が減るのだろうと思っていた矢先、祖父の体調が悪化し(肺炎、肺がん)、渡米3ヶ月前には病院のベッドから起き上がるだけで精一杯の状態へ。 昔から力強く優しい祖父を見ていたこともあり、その段々と弱っていく姿を見るのがとても辛かったです。 渡米前日のことです。今でも鮮明に覚えています。その日病院へ行く前、母親からは「最後の顔合わせになるかもしれへんけど、ありがとうはまだ言わんといてな」と言われました。 病室に入るといつも通り会話をしていたのですが、今まで僕の前で泣いたことのなかった祖父がいきなり泣き崩れました。「いかんといてくれ」「ずっと日本おってくれ」と。 心の準備は出来ていたと思ってましたが、全く出来ていませんでした。 結局、祖父は僕が日本にいない間に亡くなってしまい、亡くなる時立ち会えず、葬式すら参加することは出来ませんでした。 既に一年以上経ちますが、後悔しかありません。 なぜあの時に、日本に留まる決意ができなかったのか。なぜあの時にありがとうすらいえなかったのか。なぜ、僕はこんなにも祖父に対して何もしてあげられない孫なのか。 僕以外の家族は、既に心の整理ができているようなので、これを相談すると、また悲しい空気が生まれるのではと思い相談すらできません。 祖父に感謝の言葉すら、かけることができませんでした。最後の顔すら、見れませんでした。何もしてあげれることが出来ませんでした。 この後悔は、どうすれば良いのでしょうか。最近、祖父に謝るために、いっそ死んで会いに行った方が良いのでは?とも考えてしまいます。 僕は今から亡くなった祖父に出来ることはあるのでしょうか。何をすればこの後悔を和らげることが出来ますか。 回答、よろしくお願い申し上げます。

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母の死の後悔

今週月曜日に心筋梗塞による心不全で母が亡くなりました。 母は、要介護2で、ある程度家の中を歩くことはできましたが、軽い認知症でした。私は、腎臓病でこのままだと透析と医者に言われている状態もあったのですが、ここ数か月、私自身会社を退職し、母の面倒を見ながら、自分の腎臓の温存療法中でした。そのため母には、何かできない事があると、しっかりして、透析になったら面倒見れないよ。などと言って、喧嘩することもありました。 日曜には、そのことが母の頭にあったのか、洗濯を自分で行おうとして、紙パンツを洗濯機で洗ってしまい、洗濯機を壊してしまい、その事で母をかなり叱咤してしまいました。 亡くなる当日、珍しく私が起きて食事を作っていると、痛み止めが欲しいと私の所まで来て「痛み止めがないか」と薬を欲しがりました。土曜には法事があり、日帰りで横浜、前橋を往復したのですが、その影響で、腹痛、背中痛が起きたのだと思っていました。(今思えば、かなり痛くて、私が起きるまで我慢していたのかもしれません。) 薬は飲ませましたが、その日、朝食も食べず(いつもの嫌いなものを残す)、食べないなら、今日はゴミの日だから自分で捨ててきてと喧嘩をしてしまい、母を責めてしまいました。デイサービスの迎えの時も、行きたがらなかったようで、半ば無理やり、デイに行ったようです。午後、調子が悪いようでと連絡があり、車で迎えに行き、そのまま近くの診療所へ行きましたが、駐車場から診療所まで歩くのも痛い痛いと言いながら診察したのですが、診察後、待合室でか細い声で、痛いよ痛いよと言いながら、うずくまってしまい、動かなくなってしまいました。その後救急車で救急病院に搬送されましたが、そのまま亡くなりました。 前日の私の行いや、当日の態度、診療所に連れて行きながら、気づいてあげる事が出来なかった事、非常に後悔し、苦しいです。母の痛いよ痛いよという声が残って、悲しみがこみ上げてきて、辛いです。 今週末、通夜、告別式ですが、家で安眠している母に、どう接すればいいのでしょうか。

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看取りの後悔

先日同居している祖父が亡くなりました。ですが、その時の対応に後悔しています。 私と叔父は看取れましたが、一番祖父と関係が近かった母と祖母は看取れませんでした。 その日、母は買い物をしてから家に帰っていました。いつも通り母が会社からどこにも寄らず帰ってきて、祖母を連れて病院に来ていれば祖父の最期に間に合っていたと思います。 私は医療を学んでいるので、祖父が亡くなる1時間ほど前、祖父の状態の変化から、保ってあと数時間かもしれないと思っていました。ただ、まだ学生なので自信もなく、母や祖母を無駄に心配させたくないと思い、その時点では電話もしませんでした。 今思うと、あの時電話してあげていれば、母と祖母は祖父の最期に間に合っていたのではないかと思います。母も祖母も、あの時買い物していなければ間に合ったと後悔しています。 母と祖母には、異変を感じていたことは言っていません。これから先も一生言えません。墓まで持っていくつもりです。 二人には、祖父は母と祖母に最期の瞬間を見せたくないから、二人以外に祖父と同居している私と叔父がいる時に亡くなったのではないかと言っています。少しでも心が楽になるのではと思ってのことです。 ですが、私の中では異変を感じた時に呼んであげていればと後悔しかありません。 今となっては祖父の気持ちも分かりませんので、母や祖母が死の瞬間を見てショックを受けないようにだとか、急いで来て事故をしないように考えてくれていたのかもしれませんが、本当は祖母や母にそばにいて欲しかったのかもしれません。 母と祖母への対応はこれでよかったのでしょうか。少しでも後悔をしないように、心を楽にしてあげたいです。

有り難し有り難し 13
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