虚無感が酷いです。
自分でも、自分の状態が危うい気がしてしまい、投稿しています。
私には友達と呼べる友達がいません。
連絡するのは母と、同居人ぐらいです。
人と関わるのは苦手ですが、孤独になるのは恐ろしいと思っています。
誰も彼も、自分の周りから人がいなくなって、孤独になってしまったら、孤独死してしまうんじゃないかと思っています。
生きがいと呼べるものもなく、夢もなく、目的もなく日々を消費していることに、嫌気が差してきました。
からっぽの私は、どうして生きているのでしょうか。
誰かのために、何かのために、と思えるものもなく、楽しいと思えるものも、守りたいと思うものもありません。
ただ資源を消費して生きて、なんの役にも立たないのに、何も生み出せないのに。
命を断つことは怖いし、人様に迷惑をかけると思うので、それは考えていませんが、ある日ふと糸が切れてしまったとき、どうなるかが恐ろしいのです。
私が生きていることによって発生するメリットが、デメリットより少なく、どうしても自分が不要に思えてなりません。
ここに縋り付いている時点で、どうにかしたいと思っているのだと思います。
でも、どうすればいいか分からないのです。
私は、このまま生きていて良いのでしょうか。
どう考えれば、前向きに生きる活力が得られるのでしょうか。
漠然とした相談になり申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生かしてもろてるんです
生きるに値するから生きていていいのだったら、たいていの人は生きていちゃいけないことになります。
会社の中心人物が定年、出向、病気などで職場を離れなければならなくなったとき、「あの人がいなくなったらどうしよう」と不安がる。だけど、いざいなくなると誰かがその人の役割を代わって務めるようになり、何も不都合は起こらなかったということが多々あるようです。会社のエースが代替可能な存在であるなら、大した価値はないという考え方もできます。
プロ野球でも、大リーグに行ってしまったからといって人気がなくなるということはありません。「この人がいなければ」という人は実は本当に少ないんです。
また、仮にそんなかけがえのない人でも年を取れば衰えます。人間はかならず病にかかり、年老いて、そして死にますから、年寄りは役に立たないから早く死んだらよいことになります。役に立たないから生きる資格がないなら、ほとんどの人が若いころから生きる資格がなく、年老いて体や頭が衰えればやっぱり生きる資格がなくなることになります。それって違うんじゃないですか。
私は、そんな考え方じゃなくて、人間は生かしてもらっているのだと思っています。値打ちがどうの、あの人は、自分は、と値踏みしても意味はなく、みんな等しくいのちを与えられていて、ある種、許してもらって生きていると思うんです。
それだけじゃ、生きる張り合いがないかもしれません。だったら、出来ることから何か見つけて出来ることをなさったらよいと思います。出来ないことは出来ないのだからどうしたって出来ない。でも自分にもあなたにも出来ることはあるだろう。出来ることをやって、足りない分は許してもらって生きていったらいいと思います。
生きていると楽しいこともあります。晴れているとき近くの丘に登るのは楽しいですし、美味しいものを食べるのも楽しいです。ささやかなことから幸せを見つけると生きていてよかったと思います。少しだけでも他者が喜ぶことをしたら少しだけ感謝されるかもしれない。他者とのつながりを楽しむと生きていてよかったとあなたもお思いになるのじゃないかと思います。