命について
最近、自身の死について考え込んでしまうようになり、心が落ち着かない日々が続いています。コロナ等の影響もあって「死」という物をよく見るようになり、突然、究極を気にするようになって日常生活に支障が出るほど恐怖を感じています。
また、そんな漠然とした事をなかなか相談出来る所もなく、それが更に悪影響になっています。
何か考え込んでしまう自分と上手に付き合う事は出来ないでしょうか? 稚拙な文ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【後生の一大事】
"コロナ等の影響もあって「死」という物をよく見るようになり"
"最近、自身の死について考え込んでしまうようになり"
うんうん、そうだろう。そうだろう。
そうでなくては、逆に不健康というものだ。
"心が落ち着かない日々が続いています"
そりゃあ、そうだろう。
コロナで亡くなったという報道を毎日聞き、明日は我が身と思うとき、不安にならない者などまずいないでしょう。
"考え込んでしまう自分と上手に付き合う事は出来ないでしょうか?"
ところで、じつはその不安の本体は【死】という現象それ自体ではないんだ。死後どこへ行くのか、どうなってしまうのかがサッパリわからない事が怖いんだ。ちなみに僕もやっぱり死にたくないし、死ぬのはやっぱり怖いんだけど、すでに行き先はバッチリ決まっている身なので、安心して存分に不安がっていられるんだ。ただし、これは僕がお坊さんで特別な存在だから…ではない。
さて、あなたはどうする?
あなたのこの疑問は、たとえ明日コロナがウソのように消え去っても、生きているうちに確実に解決しておくべき重大な課題なんだ。
<追記>
"せめて楽観的・前向きな見方をしたいなとは思います"
いやいや、これはねー、楽観的とか前向きとかいうレベルじゃあない。この事ひとつ間違いなし!!という深い頷き、確信なんだ。これを浄土真宗では【信心】という。
"重要な課題というのは意外な答えでした"
死を避けると、どこまでも人は暗くなる。
死を見つめるとき、やっと命が輝きはじめるんだ。
あなたの持った疑問は、じつに素晴らしい。きっとあなたの人生を銅から銀、銀から金へと導くだろう。大事に温めていくといい。
質問者からのお礼
返信ありがとうございます。
行先が決まっている身ですか…。自分にはまだ分かりませんが、せめて楽観的・前向きな見方をしたいなとは思います。
また、重要な課題というのは意外な答えでした。絶望だと思っていたので、捉え方次第なのですね。改めてありがとうございます。