意見、アドバイスを素直に受け止められない
日常生活で白い目で見られた/それはおかしいと言われた記憶、有名人が悩み相談で相談者に厳しいこと(真実かもしれないけれど、そんな回答相談者が傷つくのではと思うこと、相談者が自分だったらきっと素直に受け止められないこと)をいう、頭が良くて面白いと思う人が誰かを傷つけるような意見をいう、そういうもので自分が否定された気になってしまいます。一つも素直に受け止められません。
みんな自分が正しいことを証明できれば他人を傷つけるのは問題ないと思っているのではと思ってしまいます。
他人に厳しいことを言っているとき、そして他人が反論できなくて黙っているとき、私は気持ち良いと感じてしまいます。みんなが人を傷つけるのも本当は自分が気持ち良くなるためでは?と思ってしまいます。こういうのを下衆の勘繰りと言うのかもしれませんが。
私が他人を助けたいと思ったことが一度もないからかもしれません。
私みたいな人間もいるし、そうではない真心の人もいる、その時々によって同じ人でも違うと思いますが、何を参考にすべきで何を参考にしないべきか判断がつきかね、結局全部反感を持ちながらも中途半端に真に受けて傷ついてしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
正しい間違いも人間の物差しなので、正解はないのだろうと思う
自分が、そうだと思う情報だけを受け取っていけばいいのではないかしら。自分都合の人生でも、それはあなたが望むならそれでもいいと思いますよ。
(前回の質問も読みましたが)
相手が、自分のために言ってくれているかどうかは、結局はその人にしかわからないし、自分も そうだと思えば受け止められるし、疑えば信じられない。ただそれだけのこと。
それは、どれだけ相手や周りの人を見てきたかにより、本気で心配してくれていると判断していけるし。反対に、信用ならんなと 人となりを見て思う人もいます。
今後のお付き合いを考えていくと、その点は、忖度して聞く耳を持つ場合もある。
あなたが素直に受け取れないのは、裏読みしてしまうからではないですかね。また、人が厳しく言われていたり 反論出来ない人を見て、気持ちがいいと感じてしまうのは、ちょっと嫌な性格だな〜。
究極は、正しい間違いも人間の物差しなので、正解はないのだろうと思います。
それでも、人の意見に耳を貸す人は、視野も広がるし、柔軟性も出る。自分の中の知識や人を見る目を養えます。
聞かないままだと、ひとりよがりの思考になるものね。
実るほど頭が下がる稲穂かな
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるように「口はわざわいの元」でもあると思います。良かれと思って発言したことやアドバイスした言葉が相手にとってみたら本当に傷つくようなこととして受け止めてしまうこともありますからね。
せっかく善いことを伝えているのに相手にとっては「ひどいこと、プライドをきずつけられること」とにもなります。つまりは正義を鋭利な刃物で突きつけるような行為でもあると私も思いますね。
やはり相手の方の思いや置かれた状況や価値観を充分に想像して考慮した上、決して大声になったり上から目線になったり威張ったりしないで謙虚な態度で言葉を使うことが大切だと思いますよね。
TV越しにいろんな意見や主張をなさっていらっしゃる方々の発言には耳をふさぎたくなるものも多数あります。本当にその人に良心の呵責はあるのかと思うような態度や姿勢や言葉があることは事実です。
私達はとても愚かな存在です、人のことを思いやるようなつまり「想像力の欠如」しているのです。そのような愚かな私達なのです。
仏様はその様な愚かな儚い井の中の蛙のような私達を全て優しく受けとめて善き方へとお導きなさって下さいます。そして私達の迷いや悩みや苦しみを全て救いとって下さいます。
私達もその何万分の一、何億分の一にも満たないですが、いつでもどこでも誰に対しても誠意をもって謙虚に相手を思いやりながら考えて言葉を使い行動していきたいですね。
「実るほど頭が下がる稲穂かな」という言葉があります。
本当に心のおおらかな豊かな素晴らしい方はいつも己の頭を下げて謙虚な姿勢で人にお向き合いなさるものです。
ひとまずあなたもちょっと立ち止まって我が身のほどをゆっくりと見つめてみませんか?
きっとあなたは様々なものごとを見聞きしながらこれからも人としてご成長なさっていかれると私は思います。愚かな言葉や人やものを傷つけるような行いは慎み、そのようなことを為す者は反面教師としていきましょう。「因果応報」の道理の通り自ら為したことは必ずわが身に戻ってきますからね。
あなたがこれからも謙虚なお気持ちで善き考えや言葉や行いを為し、お健やかに心豊かに生き抜いていかれます様心より仏様にお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma
ありがとうございます。
悩んで相談している人も、他人から見てバカだなと思うようなことをする人も、みんな多少なりとも自分の至らぬ点には気付いていて、その人にとっては直すことが難しいから苦しんでいるのではと思います。
それを正面からきつい言葉で正論を振りかざして相手のためになると思うのはどうしてなのかなと思うのです。その人が突きつけた言葉は、もう本人が何度となく自分を呪うために使ってきた言葉なのではと思います。そういうことを言うのが優しさで、相手に気づきを与えられると思っている人がいることがよく理解できないです。
ただそれを非難するこの私も同じ穴のムジナです。それも良くわかります。
私は想像力もない方ですし、他者を慈しむ気持ちを持って生まれては来ず、これまで少しも育んでこなかったので、本当にそういう気持ちが他の人の中にあるのかという疑問が幼い頃からずっとあります。
精神の落ち着いた人に会うと、なるほどそういう気持ちのある人もいるのかなとたまには思うこともありますが、自分には現実味のある感情ではないです。自分が傷つかないために相手を傷つけまいとする気持ちはありますが多分そういうことでもないのだろうと思います。
ですが他人にされて嫌だったことを自分は他の人にしないことを目指すことは私にもできそうですし、役には立たないまでも自分が人様の害になるのを抑えることはできるかもしれないと思います。そういう風に嫌な記憶を意味づけして前向きに生きていこうという気になれました。
中田三恵様
ありがとうございます。
はい、素直に受け取れないのは裏読みしてしまうからです。でも裏読みでも深読みでもない場合もあるのではとも思います。でもそれが私の病的なところなのかもとも思います。
他人が黙らせられるところをみていい気分になると言っているのではなくて、自分が相手をやり込めるといい気分になるという意味だったのですが、どちらにしろ自分でも性格悪いと思います。でもそういう人間が世の中に私一人ではないし、私がかなりの少数派というわけでもないだろうと思います。だからいいと言っているのではなく親切心のフリしてちょっと抜きん出たいだけ、何か言わないと気が済まない人、どんな会話も全部勝ち負けに結びついてしまう人からは、たとえその人のアドバイスが正しかったとしても素直に受け取れないと言いたかったのです。
私がまさに上に書いた性格の悪い人間だから何でもそういう風に受け取っているだけかもしれないです。
都合のいいアドバイスしか聞きたくないってだけのことかもしれません。忠告を悪意ととらえると自分が楽だから。
そういう面もあるかもしれないです。でも本当の悪意をいちいち真に受けていたら身が持たないです。
自分の心の弱さから他人の意見を悪意と捉えてしまうのか、本当の悪意なのか判断するのは難しいです。