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親の死の受け入れ方

回答数回答 1
有り難し有り難し 14

相談させて下さい。

先日、父が急逝致しました。
私の実家は両親が父の浮気をきっかけに離婚をし、浮気された側の母が苦しむ姿を見てきました。
その為父とは疎遠にしており、私の結婚や出産は1度報告したきりで、ドレス姿や孫に会わせる事はせずに居ました。
そんな中、突然亡くなったと報せを聞きました。

安らかに眠る姿を見、生前孫の姿を人伝てに写真で見せてもらい喜んでいたと聞いて、憎らしくて堪らなかったのに言葉に現せない色々な気持ちが押し寄せ、涙が出て気持ちが不安定になっています。
葬儀等一通りの事を見送り済ませたのですが、お骨になった姿や顔、生前の楽しかった思い出を思い出しては気持ちが安定してしまいます。

孫に会わせてやるべきだったのか、いや私は許せてなかったろう...など、考えても仕方ない事を沢山考え、まだ死を受け止めきれていないような状況です。

このような気持ちは、時間をひたすらにかけていくしかないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愛したし、憎んだし、別の人生を歩んだ

こんにちは。
先ずはお悔やみ申し上げます。

複雑な心境が心中を反芻することでしょう。
そのお気持ちを察します。

切っても切れない絆、親子の情というものがある、と私は思います。

「生前の楽しかった思い出」を心に浮かべるとともに、「憎らしくて堪らなかった」ことも胸をよぎる。憎らしいと愛することとは紙の裏表のようです。表だけを以て紙とは言わないし、裏だけを取って紙ともいえない。表と裏、どちらも一体で紙であり、あなたとお父さんの関係も同様であるのだろうと想像します。

「孫に会わせてやるべきだったのか、いや私は許せてなかったろう」という気持ちに揺れているのですね。勿論、「時間をひたすらにかけていく」ことも必要かもしれません。しかし、今回のケースで少しづつでも「べき」は本来無いと思い定めていくことも必要かと思います。

つまり、「孫に会わせてやる」のも正解、「孫に会わせて」やらないのも正解だったということです。

電車の線路には、分岐器という進路を変更するポイントがあるそうです。
その分岐を切り替えることによって進路を操作する。

お父さんは、自ら「浮気」という行為によって、分岐のポイントを変えた、家族の進路を変えたのです。そして、お父さん、方やお母さんとあなたは違う方面に向けて走り出した。さらに、その先で時々の分岐で別れ別れて、ついに同じ路線を走ることは無かった。

ただ、それは違う路線を走っているという事実であり、その事実自体に良い悪い、正解不正解はないはずです。

愛したし、憎んだし、別の人生を歩んだ。
その事実を「べき」で縛らず、それはそれで良いのだと腑に落ちていくことができればよいか、と思います。

ご参考になれば。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

ご回答頂き、ありがとうございます。

どちらの選択も正解だった、事実を受け止めるというお言葉で少しずつ私の中で整理をつけられそうです。

ありがとうございました

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