ペットの死後を考えると虚しくなる
何度かお世話になっております。取り留めのない話になるかもしれませんが、もしよろしければご回答をお願いいたします。
私は現在大学3年生です。今まで何度かご縁があってか、動物を保護することがありました。
3ヶ月前には扁平上皮癌という病を患った老猫を保護しました。とても辛い病気です。当然、保護したからには、どんな病気でも、最期まで責任を持ってお世話するつもりです。
そして猫の最期はそう遠くの未来の話ではありません。猫はもう十分に頑張っています。そのときがきたら、お世話をさせてくれてありがとう、会えて幸せだったと感謝の気持ちで見送りたいと思っています。
しかし、この子が亡くなったら?その後は?と考えると、とても虚しい気持ちになってしまいます。全てどうでもいいのです。何もしたいことがありません。オシャレするとか、遊ぶとか。
大学3年生の現在、同級生は就活を始め前に進もうとしています。しかし私には就活の志望動機どころか生きる意味すら見出せません。
付き合っている彼氏は大学を出たら私と暮らしたいと言ってくれますが、もっといい人いるのに、どうしてこんな奴と、なんて考えてしまいます。自分から振る勇気もありません。最低です。
私だけが辛いのではないことは重々承知です。そもそも動物を飼うことは最期までお世話をするということで、当たり前の事が起ころうとしているだけです。
それなのに何故こんなにも虚しく空っぽになるのかわかりません。私は猫の世話をすることに生きる意味を見出そうとしている、それ故に猫がなくなることで生きる意味がなくなるのでしょうか。
長くなりましたが、大切な存在を亡くしたら、どのように生きていけばいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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やることは次々に現れる
仮にペットが亡くなっても、やるべきことや、やって面白いことは次々とやって来ます。
太陽光が地球に降り注ぐと、そのエネルギーで大気は動き雨風が発生します。
そのように、人生の刺激、新しいエネルギーは次々に現れるのです。
私達には眼・耳・鼻・舌・身・意の6つのセンサーがあり、常にそのセンターに、物理的刺激と精神的刺激が入力されて来ます。
それらの刺激の本質は苦しみであり、私達は、刺激に対して何らかの反応、動きをしたくなります。
刺激・苦しみの姿形は変わり続けますが、刺激・苦しみは無くならない。
だから、必ず新しいやるべきこと・やりたいことが現れます。
遊び心を忘れずに、目の前の課題に集中しみましょう。
人間は、くだらないような意味もないような単純作業とかでも、集中していれば楽しめるのです。
質問者からのお礼
願誉浄史様
何だか自分で無意識にやるべきことを見ないように視野を狭くしていて、そのせいで虚しくなっていたような気がします。
確かにやるべきことはこれからも現れるはずだし、それを楽しむこともできるはずですよね。それに、この猫から学んだことをまた出会うかもしれない他の子に活かすこともできるのかもしれません。
もう少し視野を広げて、見方を変えてみようと思いました。
ご回答ありがとうございました。