40代以降はどんな考え方で生きる?
43歳男性独身でアルバイト生活しています。
23歳の時にうつ病を発症して30歳手前まで療養して、今は元気ですがずっとアルバイト生活を継続しています。
病気を経験して人生観も変わり、もうあまり頑張りたくないのが本音です。
一度の人生そんなに生き急がなくてもゆっくりで良いではないのかという思いが強くなっています。
極端に言えば世の中の事が色々見えてしまって、冷めて見ている自分もいます。
勿論、生き方にこうでなければならないという決まりはないと思いますが、日々悶々としている自分がいます。
今の目標はこれだ!というものがなく日々過ごしています。
何とか健康体を取り戻せたということでいっぱいで充分だという考えもありますが
このような考えで過ごすのはあまり良くないものでしょうか?
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
価値観を一度捨て、新しい価値観を入れる。
拝読させていただきました。
世の中を見られたことで冷める気持ちをもったことは、ある意味「見切り」をつけたことでもありますね。これも一つの悟りなんですよ。
他人や、世間や、時代にそぐわない人々は声を出さないだけであり、多いものでもあるのも事実です。では、どんな時代ならいいのかと考えるとそう思う時代は無いものでもあるのです。人生とは「無」でもあるのです。例えば山登りをし、頂上まで登ったときに見える景色は、山の上からの景色です。ここで、人それぞれの感性により感じ方が変わるのです。「絶景だった」「綺麗だった」「しんどかった」「登れて良かった」「あきらめなくて良かった」「雨で大変だった」などなど、人は欲求という仏教でいう「求不得苦」であり、達成感という心が満たされても、また欲は欲をつくり果てることがないものでもあります。
新しい価値観をもつことは、「他人と比べないこと」「世間の流れについていこうとしないこと」、比べないことが疲れない生き方となっていきます。
世の中はこうだからという思いなどをもつことで、心労の始まりとなるものであります。同年代の人たちが楽しそうにしていたり、自分らしく生きている人を見ると少し羨ましくなったりが見比べている価値観を生み出してしまうのであり、わたなべさんは、Aさんや Bさんにならなくていいのです。わたなべさんは わたなべさんの人生であり、わたなべさんの人生に小さくても大きくても自分らしい花を咲かせれば、他人が今度は教えて欲しいその生き方をと尋ねてくるかも知れません。
まだまだこれからです。こんな ことわざ があります。「50、60歳 鼻たれ小僧、70、80歳 働き盛り」とありますように、人は皆自身の生き方を後年になり、気付いていく人がほとんどです。それまでは会社のため、家族のため、世の中のため、お国のため、など色々です。
「種だけあっても花は咲かなく、光や水、栄養土など様々なご縁により、幹がゆっくりと伸びていくことを信じてください。」
人生な泥中の蓮です。花を咲かせましょう。ゆっくりゆっくり焦らず焦らず。どんどん良くなります。
合掌
南無大師遍照金剛
今は生活が大切
わたなべさん、病気からの回復おめでとうございます。日常生活は大変ですがご自愛ください。
さて、質問の内容ですが、私は取り敢えず生活出来るなら今のままでも良いと思います。
あなたに世の中が見えているかどうかはもう少し経験を積んでほしいです。世の中は大きくお世話出来る人もいれば、悩んで居る人に寄り添える方、話しは傾聴出来る方。全く無視する方もいて、多様性に溢れております。あなたが世間の温度を気にして決めてしまったら状況を変えたくてもかえられませんよ。
自分が不満におぼえても、自分から行動しないと結果はついてきません。
冷暖自知、この水が暑いか冷たいかは触るまではわかりません。私もわかりません。まずは行動してみましょう。
仏教を一生の趣味に
仏教を学ぶことは、一生続けられる趣味になります。
人生の喜び、楽しみの一つとして、仏教を趣味にすることをお勧めします。
心は無常。
心は瞬間ごとに浮かんでは消えてゆく。
今の悩みは1秒間だけの悩み。
たとえば、壮大な人生の問題よりも、「おしっこに行きたい」という苦しみの方が今は重大。
だったら、解決すべきは目の前の作業。
人生の課題は、目の前の作業の中にしかない。
だから、今の1秒間にやるべきこと、考えるべきことを取り組めば良いだけなのです。
というような感覚も、仏教を学ぶうちにわかってきます。
すごく気楽で身軽に生きられるようになりますので、仏教を学んでみてください。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
大変参考になりました。