このままでは人を死なせてしまう
25歳の頃、独学でクンダリーニヨガをやり、無呼吸になり神との合一をしたようですが、心身の浄化がされてないため、1年後に統合失調症を発症、それ以来人を傷つける幻聴幻覚がずっとあります。
最近思うのは、ヨガは私の元々の問題を押し出したに過ぎず、問題は私の傲慢さ、そしてその原因は身分不相応の富(行が足りない)であると感じております。
でも、行といっても、何をしたら良いのかわかりません。掃除炊事を体力と相談しながらやっています。(大腸を全摘していて体力があまりありません。)
最近は、恐ろしい言葉が増えて、物を壊したり、大声で叫んだりすることもよくあります。思い通りにいかないとすぐにキレてしまいます。
人を幸せにしたいです。世のため人のために一生懸命身を粉にして働きたいと願い続けております。
今朝方、人に危害を加えてしまう夢を見て、これは予知夢かも知れないと思い、すぐ起きて、水シャワーを浴びました。
神棚のみ前にてのご挨拶も、恐ろしい言葉が出てくるので、ほとんど出来ない有り様です。
もし宜しければ、アドバイスなどありましたらよろしくお願い申し上げます。
傲慢、気が小さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「行」と自分の関係
こんにちは。
「統合失調症」とのことで、先ずはお大事になさって下さい。
「人を傷つける幻聴幻覚がずっと」ということは筆舌に尽くしがたい苦しみでしょう。お察しします。
「神棚」「神との合一」というワードがありますので、基本的に宗教が違う可能性があり、仏教徒の立場からどれほどあなたに資する言葉をかけられるかは分かりませんが、思う所を書こうと思います。
もしあなたが、現在の症状の原因にあなた自身の「傲慢さ」、「行が足りない」ことをお考えであるならば、その思いは段々と手放していった方が宜しいと思います。
仏教では、お釈迦様などの仏様の前で行うものが「行」です。
それは、悟りを目指す、砕けて言うと幸福を目指すという大きな方向性を持った上での「行」であり、これを修めることを「修行」といいます。
もし、「行」を自分を責める方向性、「傲慢さ」にさいなまれる方向性でお考えならば、これは何のための「行」なのか、という根本を問う視点が必要になると思います。
「人に危害を加えてしまう夢」をみるとこと。
詳しくはお医者さんとも相談してほしいですが、自分をあまりに強烈に責める心が耐えきれなくなって、他者への爆発となっている可能性があります。その夢は、自分自身の在り方に一石を投じている意味があるとも思われます。
私も「傲慢」の一面を抱えています。
でも、そんな自分中心で、「傲慢」な私を仏様は、阿弥陀如来様はそのままの私を救うとお慈悲を向けてくださっています。そのお慈悲を、感謝の「行」、お念仏でしみじみと味わいます。
「人を幸せにしたいです。世のため人のために一生懸命身を粉にして働きたい」、その志は大切です。ただ、そのためには自分が幸せである、だからこの幸せを他の人にも、という余裕がやはり必要になるでしょう。
あなたにとっての「行」。
「行」と自分の関係。
あなたの宗教を尊重しますが、少し立ち止まって考えることも必要かと思いました。
追記
返信ありがとうございました。
お役に立てて何よりです。
「行と自分との関係を考えてみます」とのこと。
回答が考えるきっかけになったのが嬉しいです。
再追記
ご丁寧にお供え頂き誠にありがとうございます。
今後とも、ご相談ありましたらどうぞお寄せ下さい。
また、御身お大事にお過ごしさい。
再々追記
ご体調が持ち直されてよかったです!
質問者からのお礼
ありがとうございます!行とは、自分を含め皆が幸せになるためにするものなのですね。心に刻みます。わかりやすく優しいお言葉をお掛け頂いて、感動しております。
行と自分との関係を考えてみます。
その後、半断食を行うことでエネルギーのバランスがとれ、幻聴幻覚が減ってきました。余分なエネルギーが病気を作っていたようです。悠水さまの仰るように、自分を責める必要はなかったのですね。長く苦しいトンネルを抜けたようです。一番苦しい時に寄り添って頂いた悠水さまのことは忘れません。