学歴至上主義をやめたい
私は、良い大学良い就職先に行く事が幸せだという考え方を変えられない、かなりの学歴至上主義です。
そうではないと思いたいのですが、出来ません。大企業の福利厚生、生涯収入、綺麗事言っても、やはり、お金はあるに越した事ないです。
もっと大切なもの、健康とか生きがいとか、理解は出来るのですが、やっぱり学歴至上主義を払拭する事がどうしても出来ず、とても苦しいのです。
我が子は一人は有名難関大学に通っています。一人は受験に失敗、大企業は到底無理な大学です。
その子の事が心配でたまりません。
人一倍の学歴至上主義で、私はおかしくなってしまっています。
苦しくて毎日涙がとまらなくて精神状態が普通ではないのです。
助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「もっと大切な」何かを具体的に
こんにちは。
「人一倍の学歴至上主義」でお悩みとのこと。
「もっと大切なもの、健康とか生きがいとか、理解は出来るのですが、やっぱり学歴至上主義を払拭する事がどうしても出来ず」、と書いています。あなたは「学歴」と比較できる他の価値観がある、そのことは一応わかっているようですが、肝心な「もっと大切な」何かが具体的になっていなことが原因だと思います。だから、「お金」を含めて結局は世にいうところのステレオタイプ的な幸せに引きずられる。
仏教徒である私には、南無阿彌陀佛という心の拠り所があります。
それは、南無(帰依するという意味)させていただく仏様、阿彌陀仏という、判断の基準あるということです。自分の考え、物の見方を支えて下さるお方が、私とは別に居て下さるということです。
この観点から言うと、あなたは南無「学歴至上主義」とも言えるかもしれません。
その「主義」では、どこまでいっても判断するのはあなたであり、もっと言えばそれを支持する漠然とした世間とも言えます。言葉を変えれば、あなたは世間というよく正体がわからないものを拠り所にし、その世間に従う自分を拠り所にしているのです。この世界観は、仏様が不在なのは勿論のこと、煩悩という自己中心の人間による人間だけのものの見方の枠を出られません。
「我が子は一人は有名難関大学に通っています。一人は受験に失敗、大企業は到底無理な大学です」とあります。あなたのものの見方は、あなただけのものではなく、子供さんにも影響するでしょう。「受験に失敗、大企業は到底無理な大学」で「心配」と書いていますが、当のご本人は「心配」しているのですか。一先ずはきちんと大学に入ったのではないですか。
あなたが「失敗」と考える見方は、子供さんにも薄々伝わるでしょう。それは、「学歴至上主義」についてこれない人を認めない態度として伝わります。もっと言えば、「有名難関大学」に入った子と無意識に比較する事もありえて、兄弟間の仲の悪さにもつながる可能性があります。
あなたは「学歴至上主義」ではない「もっと大切な」何かを見つけることは、子供さんのためにも喫緊の課題です。それは、根本から見直す気持ちで取り組む必要があると思います。「もっと大切な」何かは、仏教かもしれないし、他のものかもしれません。後は、ご自身で一度試行錯誤してみて下さい(字数制限)
固定概念を払拭する。
ご質問拝読いたしました。
学歴至上主義は
価値観として
歴然とあると思います。
しかし中身を吟味されましたか?
T大学をでて、
霞ヶ関勤務にすることなった、
または、
丸の内の大手企業勤務に
なったとします。
霞ヶ関の場合は、
大きな権限があり、
この国の一翼を
担っているのだと言う、
やり甲斐はあるでしょう。
しかし、
毎日毎日、残業続き、
午前様が当たり前です。
終電に間に合わず、
タクシーで帰るのが
常態ですよ。
2年もすれば異動で、
どこに行くかはわからない。
地方に出向だと、
多少楽にはなります。
国会待機や
予算や立法化の時は、
泊まり込みになります。
いまはどうかは、
わかりませんが。
次に、
大手企業、
支社や支店、工場は、
国内のみならず、
世界各地にあります。
辞令一つで異動になります。
福利厚生はしっかりしています。
保養所は会社の保養所で
足ります。
仕事については、
職務職制がハッキリしています。
与えられた仕事を
キッチリとこなしていく、
やり甲斐はあります。
しかし、
縦断的横断的に仕事をするのは、
難しいかもしれません。
たしかに、
どちらも給料はいいし、
福利厚生は、
しっかりしていて
安定しています。
しかし、
必ずしも幸せかどうかは、
その方の価値観です。
あなたは安定した生活を
価値観においているから、
学歴至上主義を掲げている。
たしかに安定した生活を
営めるでしょう。
安定イコール幸せでは、
ありませんが、
幸せである確率は、
物理的に満たされているので、
高くなると思います。
しかし、
必ず幸せとは限りません。
お子様にはお子さまの人生、
そして生き様がございます。
そして、
私たち親の方が、
お子さまよりも先に、
お浄土に旅立つのが、
一般的でございます。
いろいろな社会経験を
させていただいた愚僧から
言わせていただけば、
人生いろいろ、
その与えられた環境で、
如何に楽しく生きるか?
だと思うのです。
あなたの最愛のお子さまを
まずは心から信じて
くださいませ。
この子には、
神仏の御加護があり、
必ず幸せになると、
あたなが思い、
信じれれば、
この子は必ず幸せに
なります。
どうか最愛のお子さまの
将来を信じて、
祈ってくださいませ。
ご多幸を祈ります。
質問者からのお礼
花山雲吉様
ご丁寧に回答下さりありがとうございます。
ご回答、心に滲み入り涙が流れました。
与えられた環境を如何に楽しく生きるか、ですよね。
我が子を信じる、肝に銘じます。
煩悩の固まりの私ですが、少し心がほどけ楽になりました。
心より感謝申し上げます。
釋悠水様
ご丁寧に回答下さりありがとうございます。
もっと大切な何か、そうですね、根本から見直さなければなりません。
それがとても難しいですが、少しずつでも取り組んでいきたいと思います。
試行錯誤はつらく厳しい道のりですね。
でも少し前を向く事ができました。
このサイトを毎日拝見しており、仏教への関心もございますので、今後より勉強していきたいと思っております。
ありがとうございました。
花山雲吉様
ご丁寧に回答下さりありがとうございます。
ご回答、心に滲み入り涙が流れました。
与えられた環境を如何に楽しく生きるか、ですよね。
我が子を信じる、肝に銘じます。
煩悩の固まりの私ですが、少し心がほどけ楽になりました。
心より感謝申し上げます。
釋悠水様
ご丁寧に回答下さりありがとうございます。
もっと大切な何か、そうですね、根本から見直さなければなりません。
それがとても難しいですが、少しずつでも取り組んでいきたいと思います。
試行錯誤はつらく厳しい道のりですね。
でも少し前を向く事ができました。
このサイトを毎日拝見しており、仏教への関心もございますので、今後より勉強していきたいと思っております。
ありがとうございました。