自分のせいで生きるのがつらいです
自分の傲慢で怠惰な性格のせいで毎日が苦しく、このまま人生が続くならいっその事本当に死んだら苦しまなくてすむのではないのかと考えています。22歳の男です。私は母の意向で中学受験をする為幼い頃から塾にずっと通っていました。勉強は大変しんどく、これがずっと続くなら死ぬのも悪くないかもしれないとも思いましたが、塾に通っていたお陰で小学校ではトップクラスに頭が良く、自分は優秀だという優越感から何とか乗り切りました。その結果私は中学受験で第一志望の全国的に有名な学校に合格しましたが、ここから一転し周りは当然自分と同じかそれよりも勉強が得意な生徒ばかりにも関わらず、私は中学受験が終わったことで完全に勉強をする意欲を失いました。その後、中高6年間まともに勉強せず結果として大したことの無い大学に進学し大したことの無い会社に就職が決まりました。中学受験をしたことで無駄に高い自尊心が固定されました。しかし努力は根本的に嫌いで、理由は自分で考えると2つほど心当たりがあります。1つが中学受験の勉強の辛さが頭に残り生理的に嫌いになったから。2つ目が自尊心が高く努力をして失敗した時、自分が凡人以下だと認めざるを得ないのが恐ろしいからです。それに加えてストレス耐性が非常に低く、ちょっとしたことでも動悸がし、夜は眠ることが出来なくなります。まとめると、自尊心が高く理想を妥協することが出来ないが同時に努力をすることも耐えられず、理想と現実のギャップを感じ、ストレス耐性の低さが更に辛さを増強しています。この三つの要素が混同することで生きるということが詰んでいるのではないのかという絶望感すら感じます。正直な話、自分が凡人以下の才能しかないということは頭では分かっています。そもそも中学受験なんて発育の速さに左右されるため、優秀さの証明にはなりえません。それに加えて努力が苦手でストレス耐性も低いため人材価値は低いでしょう。これを認めることが出来れば生きるのが楽になるでしょうが、心が弱く認めることが出来ません。
そして、自分の性格の問題にも関わらず、最低なことに、こんなに辛い世の中に自分を産んだ親が憎く感じてしまうような自己中心的な性格です。
自分が凡人だと認めて楽になりたいです。どのような考え方をしたらよいのでしょうか
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あなたの心ひとつで変わる
こんにちは。
非常に自省的に「自分の傲慢で怠惰な性格のせい」と言われています。
また、ご自分がなぜ苦しんでいるのかを、中学受験の頃までにさかのぼって分析をしています。冷静に自分がいまなぜこのように悩んでいるかを、必死に把握しようとしているのだと察します。
確かにあなたもご自分で指摘しているように「優越感」「自尊心の高さ」が、根本の問題だと私も思います。では、そのような所謂プライドの高さがなぜ自分を苦しめるのでしょう。問題の本質は、「ストレス耐性」ではないと思います。
プライドの高さ。
常に、この相手は上か下かを見定め、時に競争心を持ち、時に敵わないと思う。これは、運動会の徒競走を無限に続けているのと一緒です。生まれてこの方、永遠に鳴り響き続けるテンポの速い曲にのって走り続けるのは、どんな人にも為しえません。あなたは、その終わりの見えない連続に疲れ果ててしまっているのではないでしょうか。
だから、あなたは走るのを止めたらいいのです。
その競争のトラックから降りて、傍らに座ればいいのです。
そして、たまたま座った隣の人同士と、競争していないその人と天気のことや、お腹すいたななどと話せばいいのです。一位、二位、そんなことはどうでもいい、と。
強烈なプライドの高さは、敗れた時に強烈な卑下になります。
自分で「凡人以下」と表現しているのは、その表れでしょう。
人を上下で見ることを止める。
自分を順位付けることを止める。
出会う相手を対等な人として遇する。
自分を豊かにしてくれる人だと接する。
後は、あなたが心の中で繰り広げられる競争の循環から、思い切って飛び出す心ひとつです。
「大したことの無い大学に進学し大したことの無い会社に就職」ではなく、自分なりの努力で大学に入れた、その報われた結果で今の会社に入れてよかったな。この道筋を大切にしよう。それでいいのです。
追記
ご返信ありがとうございます。
お役に立てれば何よりです。
少しずつ自分のペースで歩んで行ってください。
質問者からのお礼
他人と比べ、自分と相手を上か下かではなく、対等で自分を豊かにする存在として付き合っていこうと思います。また、働く会社も縁だと思い精一杯頑張っていきます。ありがとうございます。