祖母が92歳で自殺をして苦しいです。
8年前から施設に入っている祖母が92歳で自殺しました。認知症はないですが、身体が不自由で、施設から這って出て、立ち上がれないから施設の敷地にある低い枝に紐をつけて首を吊ってしまいました。遺書は『おしずかに、おせわになりました』と力強く書かれていました。
ここ2週間で食欲も落ち、血液検査の結果も悪く、病院へ入院する予定の2日前のことでした。
大体3ヶ月に一度くらいはひ孫を連れて会いに行っていた(家から1時間の距離に施設があります)のですが、電話も私からも、祖母からも1ヶ月に一回くらいはしていましたが、私の第二子の妊娠出産(昨年2月に出産)と、その後のコロナ禍の影響で(施設ではコロナで面会禁止が一年続いてました)、1年以上会えていませんでした。
2日後に入院が決まったなら病院の方が施設より面会制限が厳しくないからやっと会えるかも思った矢先の出来事でした。
祖母は若くに夫と息子を亡くし、30年前くらいから死にたいと孫の私にだけこぼしていました。いつもそんなこと言わないでと励ましていました。
ずっと会えてなくて、電話でもすれば良かったのですが、私も二人の子の育児でバタバタして、ワンオペ育児の時も多く、祖母への最後の電話は数ヶ月前でした。母や叔母は週に2回は電話していたようですが。祖母のことを何度も思い出したのに、その時に電話すればよかった、施設玄関の窓越しでも会いに行けばよかった(施設では最近玄関窓越しの面会が許可されたばかりだそうですが、知りませんでした)、と後悔するばかりです。
年賀状に『コロナが落ち着いたら会いに行くから。元気で待っててね!』と書いたのに、待っててはいませんでした。
祖母の携帯は私が契約しました。もう電話しても祖母の声が聞けない、もう会えないのが悲しくてたまりません。自殺を食い止められなかったこと、二人目のひ孫を見せられなかったこと、電話しなかったこと、後悔がつきません。
一連の葬儀で、お坊さんが、四苦八苦、愛別離苦は苦しいもので、お経は生きている人のためにあると言ってました。後悔と寂しさで辛いです。
仏教的な考えで、私は何か救われますか?近所のお寺に駆け込んだら救われたりするのでしょうか?おばあちゃんは幸せだったのでしょうか?今は辛い思いをしていないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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救われる、ということ
こんにちは。
先ずは、お悔やみ申し上げます。
お祖母さんは、ご苦労を重ねてこられたのでしょう。お身内に先立たれた悲しさと寂しさに耐え続けられていたのだと推察します。
また、あなた自信も「ワンオペ育児」など忙しく、コロナの影響もあって面談が難しい状況、いくつかの要因が重なって「後悔がつきません」というお気持ちになっているのでしょう。
「年賀状」に「コロナが落ち着いたら会いに行くから。元気で待っててね!」と書いた。あなたは、会えなかったことに後悔を抱いていると思いますが、お祖母さんはその一言を読んだ瞬間に嬉しかったと思いますよ。自分を思ってくれている人が居る、その事実だけで人間は心落ち着くものです。
「四苦八苦、愛別離苦は苦しい」、確かにそうですね。
「お経は生きている人のためにある」これもそうです。
ただ、大切な所は「苦しい」ということを明らかにするとともに、救いがセットで説かれているのが仏教です。
「仏教的な考えで、私は何か救われますか?近所のお寺に駆け込んだら救われたりするのでしょうか?」と問われています。そう、やはり救いの問題になります。
私はあなたの宗旨がわかりませんので、私の仏教の立場だけを簡単に述べます。
私達の仏様、阿弥陀如来様は「必ず極楽へ連れ往く(救う)、拠り所とせよ」と仰せです。肝心なのは、「拠り所とせよ」の部分です。なぜ、そう仰るのか。それは人間の拠り所が自分にあるからです。自分を拠り所にしている人に、仏を拠り所とせよということです。
人間は、自分で自分のことがわからないで生きている部分も多く、死後のことに至っては全くわかりません。方向性を見失って、命の行く末を分かっていない人間に向かって、あなたを極楽という方向性に導き、極楽へ連れゆくと方向性と目的地を明示してくださるのが仏様です。
これは、お寺での聴聞という、阿弥陀如来様のお心を聞き抜いていってこそ初めて得心できることです。
その聴聞の末に、お祖母さんは私を阿弥陀様に引き合わせて下さったお方だった、今は極楽にいらっしゃるのだと思えるために、是非法話を聞いて下さい。
先日の法話会で同様のことを話しました(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=rZdG3g8nF_Q
追記
ご返信並びにご丁寧にお気持ちを運んでくださり、誠に有難うございます。
質問者からのお礼
早速ご回答いただき本当にありがとうございます。有り難いお言葉ばかりで読むと泣いてしまいます。法話会の動画をみようと思いますが、きっと泣いてしまうので、本日の仕事を終えてから、夜に拝聴するつもりです。
取り急ぎお礼申し上げます。
法話を拝聴しました。大変興味深い内容でした。
これまで法話会の存在も知らず、自分の宗派、菩提寺なども考えたことがなく、今回の件で色々調べ、仏教に少し近づけたのは事実です。
私の今回の悩みは昔から多くの人に悩み尽くされ、既に論議されたことかもしれません。
急に完全に救われないでしょうけど、救いを求めるため、そこに救いがあると信じ、阿弥陀様の教えを少しずつ学び理解したいと思います。すがれるものがあって良かったです。
この度は誠にありがとうございました。