悪いことをしてしまいました
とある顔の半分が腫れて怪我をしている猫を見つけて後先考えずに自転車で30分程度先の我が家の駐輪場まで連れ帰りました。
ですが病院にも連れていけず飼えないのにと親に諭され今後のことを考えたらその子は片目しか見えないなかであの場所が居場所であり生きていくのに定めた場所だったのかもしれない。団地のところで一匹でいましたが今思うと片目だけなのでそんなに動かずとも車も来ず草も生い茂って食にも困らない、その猫には生きやすい場所だったのかもしれない。
なら私がしたことは余計な世話なんだと気づいて元の場所に帰そうと駐輪場に行くとその猫の姿はありませんでした。
知らない土地で、怪我した猫一匹では他の猫にいじめられて最悪命を落とすかもしれません。だから近くを探しました。連れてきてしまった以上、元の場所に帰すまでが自分の責任だと思いずっと探してみましたが見つかりませんでした
私のせいでその猫は居場所から遠ざけられ知らない土地で不安を抱えながら生きていくんだと思うとあまりにも申し訳なくて罪悪感でいっぱいになりました。
今さらどうすることもできないとはいえ私がしたことは猫にとってすごく悪いことでひどいことをしたんだと自分を責めずにはいられません。
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辛い経験から学ぶこともあります。
ゆきひらさんのお悩みお察し申し上げます。
良かれと思った行動が取り返しのつかないことになる。ということは平素でも起きていると思います。事の重大さが分かった時は、とても重苦しい状況になりますし、反省しても反省しきれない。となります。
また、家族の人を恨んでも仕方ありません。自分の責任でできる範囲も限られているので、助けようと思う気持ちは大切ですが、現実はそれ以上に厳しいということです。
今回の出来事は、まさにこのようなことでしょう。
さて、まず言えることは今さら過去に戻れないということです。悔やんでみても仕方ない、冷たいようですが現実を受け入れてください。反省したなら、次はどうするかを考えておくことです。
また、探してもいないとなれば、誰かが手を差し伸べているのかもしれません。無責任な言い方もしれませんが、そういう場合もあり得ます。
せめてそうであった欲しいと祈るしかありませんが、ともあれ、自分の判断と行動を今後の為にと再認識する、そして今後のための学びになったとなれば、いい機会を与えてくれたとも言えます。
私たちは、様々な縁によって人生そのものを学んでいます。良い事もそうでない事も、すべてに意味があります。今回は、ゆきひらさんの将来のために猫がその役目を果たしているとも言えます。
ゆえに、この辛い経験を活かせるよに、これから人生を歩めばいのです。
あまり自分を責めないでください。