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父の死から立ちなおる事ができません

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1月末、コロナウイルス感染症により父が亡くなりました。75歳でした。私の家族は子連れ同士の再婚家庭で、私は長年継母からの虐待に耐え、父からの辛い言葉にも耐えながら「きっといつかは分かり合える、家族なんだから」といつか父とまた家族として関われる事を心の拠り所に生きてきました。

大人になり結婚し、漸く人並みの幸せを得て、父と親子として再出発する為始めは実家にこまめに足を運んでいましたが、継母や義妹との関係は変わらず顔を見せても冷たい言葉をかけられるので精神的に参ってしまい、実家に姿を見せるのは年に一度程度になっていました。
年老いた父が私に会えずに寂しそうにしているのは分かっていましたが、長年の虐待や孤立により「私は必要のない人間」という感覚が無意識下で刻み込まれていた為、猜疑心に苛まれていた為に父の寂しそうな顔も無意識に疑う状態になっていましたが、長年の溝を埋める為にもまず父と2人でゆっくり話せる時間を作ろうと模索している最中でのコロナ感染でした。

父の最後はLINE電話で義妹が看取り、喪主も継母の意向で義妹が務め、最後の最後まで私は蚊帳の外のまま、父に会えないまま私は一般席でひっそりと父を見送りましたが、父の死後に自分の中に刻まれていた「私は必要ない」という考えの癖が邪魔をして、父の想いが届かなくなっていた事に気づき、父にとてつもない寂しい思いをさせたまま、父の為に何ひとつできなかった事に苦しんでいます。

どんなに孤独で辛くても、父と分かり合える未来に希望を持ち強く生きてきましたが、寂しそうにしていた父の顔や「お前と話したい」と最後の電話で言っていた父の言葉が頭をよぎり、ここにきて心が折れかけています。笑う事も、幸せを感じる事も、拒む自分がいます。

寂しがり屋な癖に頑固で、どこか弱くて、支えてあげたいと思える、私にとってかけがえのない大事な父でした。
元はお母さん子だった私が父について行く事を選んだのは、家族と離れ1人ぼっちになる父を守ってあげたいと子供ながらに思ったからでした。
でも、私は父の為に結局何もしてあげられませんでした。寂しそうにしていた父の顔があまりに辛く毎日泣き暮らして、後を追いたいと考えてしまいます。

父に会いたい、会って話がしたいです、こんな気持ちを抱えて生きていく自信がありません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お父様とのご縁

拝読させて頂きました。
大切なお父様が病によって突然お亡くなりになられてあなたが深く悲しんでおられること、さみしいさにくれてること、そして深く後悔の念にさいなまれておられることを読ませて頂きました。あなたのそのお気持ちはとても深く重いでしょう、あなたのその思いを心よりお察しします。

お亡くなりになられたお父様が一切の迷いや苦しみや痛みからも救われて心安らかになります様切にお祈り申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

お父様は速やかに仏様がお導きなさって下さり、先に往かれて親しい方々やご先祖様方がお父様をあたたかくお迎えになって下さいます。そしてお父様はご先祖様方に巡り合い心から安心なさることでしょう、お父様は仏様のもとにて一切の迷いや苦しみや痛みからも解放されて心から安らかになり、ご先祖様方と一緒に安らかに清らかになられてご成仏なさっていかれます。

あなたとお父様とのご縁はこれからも続いていくのです。お父様とのつながりはこれからももっと深くなっていきます。お父様はいつでもどこでも何をなさっていてもあなたを優しくこれからも見守っていて下さいます。

あなたのその悲しみや後悔は消えることはないでしょうけれどもどうかお父様に心から手を合わせてご供養なさり、あなたの思いありのまま全てを心からお父様にお伝えなさって下さい。

お父様はあなたの思いを全て優しく受けとめて下さいます。そして今まであなたがお父様のことを気にかけてお話しなさろうとしていたことや親孝行なさろうと思っていたことも受けとめて下さり、あなたに心から感謝なさって下さいます。

生前中もなかなかお会いしてお話できなかったでしょうが、あなたの思うままにお父様にゆっくりとお向き合いなさって心からお話なさって下さいね。

あなたはこれからもお父様とのご縁の中で生きていくのです。そしてあなたがいつか天寿を全うなさる時にも必ず仏様がお導きになって下さり、お父様がやさしく迎えて下さり共に喜びを分かち合うことでしょう。

あなたがこれからもお父様とのご縁を大切になさりながらご家族の皆さんと一緒に心から健やかに仲良く幸せに生き抜いていかれます様心からお父様にお祈り申し上げます。どうか安心なさって下さいね。そしてまた宜しければあなたのお気持ちをお聞かせ下さい。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

御礼が遅れ、大変申し訳ありませんでした。お優しいお言葉を有難う御座います。涙ながらに読ませていただきました。

「早くに母親を亡くし、ずっと母親の愛情を知らずに育った」と話してた父でしたが、今頃お母さんと会えているでしょうか、沢山甘えられているでしょうか、もう苦しくなんて無いでしょうか。すれ違ってばかりでしたが、これまで父の愛を求めたことはあっても恨んだ事は一度も無かったよと伝えたいです。
どんなに離れても、それが天と地だとしても、これからも変わらず愛しているよと伝えたいです。

今はまだ何も考えることができずに父との子供の頃の思い出に逃げ込んでばかりいますが、また父と会えることを願いお仏壇に手を合わせ父の為に毎日お経を唱えたいと思います。

この度は本当に有難う御座いました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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